太平百物語卷四 卅一 女の執心永く恨みを報ひし事
太平古物語卷之四
○卅一 女の執心永く恨みを報ひし事
備後の國尾道に小左衞門といふ者(ひと)あり。代々、冨有(ふゆう)の家にてありける。
其親を觀勇(くはんゆう)と申せしが、此觀勇の父、故なくして、竹といひし召遣ひの女を、罪なきに罪におとし、剩(あまつさへ)、食物(しよくもつ)をたちて、なぶり殺しにせられけるが、此竹、死せんとせし時、苦しき眼(まなこ)を開きて、いひけるは、
「此恨(うらみ)、必ず、此家(いへ)のあらんかぎりは、おもひしらせん。」
と叫びて果(はて)しが、其死㚑(しりやう)、觀勇が父に付(つい)て、終に殺しけるに、猶も、末期(まつご)の言葉のごとく、又、觀勇をも惱(なやま)しける。
觀勇、次第によはり、今はの限りとなりて、一子小左衞門を招きて申しけるは、
「われ、常に佛神(ぶつじん)を祈り、此災(わざはひ)を遁(のが)れんとすれ共、終に又、竹が爲に命を失ふなれば、汝、此家を相續し、能(よ)く能く佛神を信じ、貧しきものに慈悲を与へ、此災を遁るべし。」
と云終(いひおは)りて、死しけり。
小左衞門、ぜひもなくなく[やぶちゃん注:ママ。「是非も無く」と「泣く泣く」を掛けたものととっておく。]、父を㙒邊におくり、追善殘る所なくして、一周忌をも念比(ねんごろ)に營み侍りしが、其翌(あけ)の朝、座敷に出(いで)て、前裁(せんざい)を詠(なが)め居(ゐ)けるに、疊より壁・柱等(とう)に至る迄、血、おほく、ながれかゝりてあり。
小左衞門、
『こは、いかに。』
と思ひながら、私(ひそか)にこれを拭(のご)ひ取りて、家來の者にも、ふかくかくし居たりしが、次の日、何となく居間をみるに、爰(こゝ)も又、疊より板數に至るまで、夥しく、血に染(そみ)たり。
小左衞門、大きにあやしみ、今は力なく、家來を招きて、「しかじか」のよしを語れば、家内(かない)の者、おどろき、其邊(そのあたり)見るに、血の付たる所、少しもなければ、此よしをいふに、小左衞門、腹を立(たて)、
「何条(なんでう)、これほどに血の付たるを、汝抔(なんぢら)が眼(め)には見へざるや[やぶちゃん注:ママ。]。はやく、拭(のご)ひ取るべし。」
と、いふにぞ、是非なく、小左衞門が差圖(さしず)に任(まか)せ、爰(こゝ)かしこ、ふけば、小左衞門、みて、
「雜巾(ざうきん)までも血にしたゝりぬ。取替(とりかへ)て、拭(のご)ふべし。」
と、いふ。
元來、血なければ、雜巾も、ぬれず。
されども、主命、(しうめい[やぶちゃん注:ママ。])黙(もだ)しがたく、取かへて、ぬぐへば、又、臺所に出(いで)て、同じく、前の如くに、いひ付(つけ)ぬ。
それより、日每に、かく、いひ付けるまゝ、家來の者ども、あきれはて、
「こは、只事ならず。偏へに昔の竹が遠恨(ゑんこん/とをきうらみ)ならめ。」
と、私(ひそか)におそれ合(あひ)けるが、後(のち)には家來の者も、次第に疎み去(さり)て、終には小左衞門一人となり、自身、家内をふき廻りしが、日每に、血かさ、增(まさ)りて、小左衞門が座する所も、皆々、血に染(そみ)ければ、衣類にも、こぼれかゝりしを、
「ひた。」
と、引きさき、捨てぬ。
此よし、一家(いつけ)[やぶちゃん注:一族の親類縁者。]の人々、聞きて、淺ましくおもひ、訪ひ來たれば、小左衞門いはく、
「誠に一類とて、能(よく)ぞ尋(たづね)給ひける。御志しは過分ながら、御らんのごとく、家内(かない)、血に漲(みなぎ)りて、尺寸(せきすん)の間(ま)も坐(ざ)し給ふ所、なし。早く歸り給ふべし。」
と、いふ。
然(しかれ)ども、他(た)の人々、更に一滴も、血をみる事、なく、只、小左衞門が目にのみ、家内、何方(いづかた)も、血ならずといふ事なし。
「此上は、とに角に、小左衞門、心に背(そむ)かんも、いかゞなり。」
とて、皆々、歸りしが、余り、痛ましくて、食物(しよくもつ)、奇麗(きれい)にこしらへさせ、使(つかひ)の者にいはせけるは、
「此器物(うつはもの)は、能(よく)々改め、淸淨(しやうじやう)にさふらふ。きこし召(めし)候へ。」
と、つかはしければ、小左衞門、悅び見て、
「實(げに)々、奇麗なる食物かな。」
とて、少々、喰(くらひ)ける内に、はや、血、こぼれかゝりぬれば、もはや、喰ふ事、叶はず。
「淸めすゝがん事も、此方(こなた)にては思ひもよらず。」
とて、皆々、歸しぬ。
かくする事、既に一年斗(ばかり)にして、終に、やせ衰へて、身まかりぬ。
子孫なければ、其家(そのいへ)、斷絕しけり。
誠に、無罪の者を殺したる恨(うらみ)によつて、親子三代、とり殺しけるこそ、恐ろしけれ。
[やぶちゃん注:以下は、全体が明らかに少し小さな字で書かれてあって、しかも全体が本文文字で二字分(ぶん)下に記されてある(ブログ・ブラウザの不具合を考えて引き上げてある)。無論、本文同様、実際には改行はなく、ベタで書かれてある。]
或人のいはく、
「世上に『播磨の皿(さら)屋しき』といひ傳へしは、実は、此所の事なりける。」
とぞ。
[やぶちゃん注:実は原本では本文標題は「卅四」と誤記している。流石におかしいので訂した。またしても(「太平百物語卷三 廿八 肥前の國にて龜天上せし事」にもあった)最後の添書きが何とも面白い装置として働いている。殺された下女の名は「竹」で、これは「播州皿屋敷」の「菊」に応じており、「播州皿屋敷」のみならず、現存する皿屋敷譚の最古のもの(但し、そこでは皿ではなく、主君から拝領した五つ一組の鮑の貝盃)とされる、室町末期に永良竹叟(ながらちくそう)が書いた「竹叟夜話」(天正五(一五七七)年成立)の作者の名前と書名にも響き合う。食事を与えずに、なぶり殺しするというのは、「食物」で「皿」と縁語になっており、それが実際に後半分では血がしたたる「器物」=「皿」として行間に浮かび上がるのである。しかも、作者が最後の添書きで言いたかった真相はと言えば、
元の話は実は
――「皿」屋敷――ではなく
――「血」まみれの――「血」屋敷
であったのだ!……という「チョン!」(「血」一画目の点)という柝(き)が入って終わる、なかなかに手の込んだ仕掛けなのである。私は幼少期よりかねがね、「皿屋敷」譚の、例の、「一ま~い、二ま~い、……」という皿数えの声の妖気というのが、何と言うか、所謂、怪異の鋭い迫力としては、いやに間延びしていて、上質の怪奇シークエンスとは思えないと感じ続けてきた。寧ろ、「皿屋敷」譚の読者・観客の期待部分は、下女を猟奇的にいたぶって惨殺するシークエンスなのではないかとさえ思っているのである。本話のそれは、「罪なき罪」と、前振りの動機部分を思いっきりよくカットし、飢えさせた上で嬲り殺しとする残虐の極致という点でしっかりとそこをも押さえあり、血に塗(まみ)れた屋敷が小左衛門にのみ現出するというマクベス夫人もびっくりの、重篤な精神疾患か脳梅毒のような幻覚と、そのために遂に物を食うこと出来なくなって飢えたままに無残に衰弱死するという顚末は、「皿屋敷」より遙かに残虐でしかも怪異に富んでいて、よい、と思うのである。]
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