鹿 伊良子清白
鹿
日の朝まだき獵人(かりびと)は
森と草野の鹿逐ひて
垣越し花の處女子(をとめご)が
物見てあるにいで逢ひぬ
駿馬(しゆんめ)に事や起りたる
さては蹄の傷きし
狩倉たてず叫(さけび)せず
何のささはり獵の子よ
谷越え嶺(を)こえ物恐(お)ぢて
鹿(か)の子ひまなしのがるるに
とまれ希有(けう)なるけだものよ
獵人ながく汝(なれ)を忘れじ
[やぶちゃん注:初出は明治三九(一九〇六)年四月発行の『文庫』であるが、総標題「きらゝ雲」として、先の「休ひの谷」を筆頭に「かへし」・「ちごのをはり」(後に先の「稚児の終焉」に改題)・「運命」・本「鹿」・「よきねがひ」・「秋」・「君の園生に」・「涅槃」・「さいはひ」(表記はママ)の十篇から成っている(署名「清白」)。初出は有意な異同を認めない(最終行末は「忘(わす)れし」だが、単なる初出の誤植と断じた)。]