うかれ魂 すゞしろのや(伊良子清白)
うかれ魂
おくつきどころ小夜更けて、
おきそふ露の色寒く、
生ひしげりたる夏草に、
もゆる螢もかすかなり。
法の燈とてらすなる、
月の光も影更けて、
苔路を風の吹くなべに、
こゝらの墓もゆらぐめり。
うらさびまさる夜もすがら、
佛の御名を唱へつゝ、
おくつきのべにぬかづきて、
なげきかなしむをのこあり。
暮れ行く春にともなひて、
こゝにうもれしこひ妻を、
こがれこがれていつしかに、
もの狂はしくなりしとや。
ひとつ蓮葉(はちす)にゐならびて、
二世の契を結ばむと、
ほとけに禱みしちかひさへ、
妻はわすれていそぎけむ。
のこる恨の長くして、
御寺のにはにあかしつゝ、
こゝろのかぎりいのれども、
妻はふたゝび皈りこず。
あはれかなしやわが妻は、
ふたゞび世にはかへりこず。
われのみひとりのこりゐて、
はかなき戀にしづむなり。
かなしやあなとなき伏せば、
かすけき聲に遠くゆも、
さななげきそよわが背子と、
いふ聲風にたぐひきて。
見かへりすれば奧城の、
小草の陰ゆぬけいでゝ、
妻のおもわはまぼろしの、
たゞよふ中にうかぶなり。
ゆめかうつゝか戀妻は、
なげくをのこの手をとりて、
たまへとばかりあともなく、
おくつきのべにさそふなり。
うつし心もきえはてゝ、
ものもおぼえずなるなべに、
魂はむくろをぬけいでゝ、
雲井はるかにかけり行く。
一ひらくだる白雲に、
うちのせられて行くほども、
天津御空のあなたより、
淸淨き光のわきいでゝ。
雪にまがひてふりかゝる、
蓮の花もかぐはしく、
のどけき風に物の音の、
妙なるふしもきこゆなり。
白がね流す天の川、
みぎはに立ちてひれふれば、
まさごの上にいつ色の、
橋の姿もうつるなり。
天の羽衣匂ふまで、
おもわたえなる久方の、
天津少女にさそはれて、
玉のうてなを來て見れば、
たなびきかくす紫の、
雲の光もまばゆくて、
軒端をめぐるあし鶴の、
一聲高くひゞくなり。
けはひまぢかき御佛の、
あまねき法のみめぐみに、
障(さは)りの雨のあともなく、
迷ひの雲もはるゝなり。
をのこはものゝ尊さに、
ことばもなくておろがめば、
やさしき聲にみ佛は、
をのこも妻もきけよかし。
こゝは佛の國なれば、
心にかゝる塵もなし。
幾千代かけて妹と背の、
まことの契むすべかし。
こひしき妻と袖並めて、
淸淨きうてなの上ながら、
かたみにかたるうれしさは、
前の世いつかわすられて。
あくごもあらずあるほどに、
ほのぼのあくるいなのめの、
雲のまぎれにまぎれつゝ、
妻の姿はきえにけり。
うすく殘れる有明の、
月のひかりにながむれば、
おくつきどころ風吹きて、
見しはゆめぢか天津くに。
八重立つ峯のあなたより、
妻のおもわのあらはれつ、
よばむとすれば影きえて、
聲のみ背子とさけぶなり。
[やぶちゃん注:明治二九(一八九六)年十月『文庫』掲載。署名は「すゞしろのや」(現在知られる本署名の初出)。全体のシチュエーションも対象映像も朧げで、私は今一つと感ずる。
標題は「うかれたま」或いは「うかれだま」か?
第二連初行「法の燈とてらすなる、」は「のりのともしとてらすなる、」か?
第五連の「禱みし」は「たのみし」か?
第二十一連頭の「あくご」は、悪意・邪意含んだ言葉、悪口・悪言の謂いか。
以上、語彙も少し自己陶酔的に上すべってしまって、却って白ける気が私にはする。]