太平百物語卷五 四十九 天狗祟りをなせし事
○四十九 天狗祟りをなせし事
或國(あるくに)の大守君(たいしゆくん)、御領分の山々の樹木を、おほく切(きら)せられければ、其中(そのなか)に、天狗の栖家(すみか)、おほく有(あり)て、此天狗ども、安からぬ事におもひ、
「いざや。此恨みに返報をなさばや。」
とて、御別埜(おんしたやしき)におかせ玉ふ女房達の黑髮を、夜每(よごと)に、壱人宛(づゝ)、髻(もとゞり)より切(きり)ければ、ありあふ女中、打集(うちあつま)り、皆々、恐れ歎きつゝ、
「いかゞせん。」
とぞ、あきれ居(ゐ)たり。
主君、此よしを聞(きこ)し召(めし)、大きに驚かせ玉ひ、
「是、天狗の所爲(しよゐ)ならめ。」
と、おぼし召(めし)て、
「此後(このゝち)、樹木を剪採(きりとる)事、かたく停止(てうじ)仕(つかまつ)るべき。」
よし、仰出(おほせいだ)されければ、これにこゝろや足(たり)けん、其後(そのゝち)は、此災(わざはひ)もなかりしとぞ。
[やぶちゃん注:以下は原典では全体が本文の二字下げで、有意に字が小さく、本文同様、ベタで(改行せずに)書かれてある。]
評じて曰(いはく)、此事、何國(いづく)の事といふ事を、しらず。或人のいふ、
「是は唐土(もろこし)の事をば、此道のすき人、わが國に附會して、ちか比[やぶちゃん注:「ちかごろ」]のやうに、いひなしける。」
とも、いひあへりぬ。
何(いづ)れか是(ぜ)なるや、しる人は、しるべし。われは、しらざるを、しらず。
[やぶちゃん注:評の末尾は、「中国の原話を日本に付会したに過ぎない翻案とする説と、確かな本邦で起こった実話とする説(それをことさらに挙げてはいないが、それを対峙させなければ、怪談本としての面目は丸潰れである)との、孰れが正しいかは、まあ、知っている人は、知っているのであろう。私は知らない。知らないことは知らないと言うしかない。」という謂いであろう。既に見た通り、巻三の「三十 小吉が亡妻每夜來たりし事」は明の瞿佑(くゆう)作の志怪小説集「剪燈(せんとう)新話」の中の、知られた一編「牡丹燈記」を素材として用いているし、他にも発想や展開を中国の伝奇・志怪小説に求めていると思しいものもあるから、これも逆に見れば、筆者が、「翻案だ」の「これが種本だ」のという五月蠅い穿鑿(「批判」と言うのはあまり当たらない。当時は同時代人に書いたものでさえ、ほぼ真似て板行しても「盗作だ」などとする感覚はほぼ皆無に等しかったからである。要は面白ければよかったのである)をかわすためポーズとも見られる。]
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