太平百物語卷五 四十 讃岐の國騎馬の化物の事
○四十 讃岐の國騎馬の化物の事
或る僧、さぬきの國丸龜より、三井(みゐ)といふ所へ行(ゆく)とて、「千代池(ちよいけ)の堤(つゝみ)」といふを夜中(やちう[やぶちゃん注:ママ。])に通りけるが、むかふの方(かた)より、騎馬の、おほく、いなゝき來(きた)る体(てい)の聞へければ、此僧、心に、
『あやしや、夜(よ)いたく更(ふけ)て、何方(いづかた)へ行(ゆく)人々にて有(あり)けるぞ。』
と思ひながら、靜(しづか)に進み行けるに、蹄(ひづめ)の音、次第次第に近くなりて、今は其間(あいだ[やぶちゃん注:ママ。])十間(けん)[やぶちゃん注:約十八メートル。]斗(ばかり)にもなるらん、とおもふ折節、向ふの方(かた)を、
「きつ。」
と見るに、音斗(ばかり)はなはだしくて、其あや[やぶちゃん注:ここは単に姿・形・シルエットの意。]、少(すこし)も、見へず[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]。
『こは、ふしぎ。』
と、おもひながら、堤の上にかゝれば、かの騎馬、行過(ゆきすぎ)て、跡に、聞ゆ。
此僧、いよいよあやしみ、思ふ樣、
『此堤より外(ほか)に行べき道、なし。あら、不審(いぶか)さよ。』
と、立留(たちとゞまり)て、能(よく)々きけば、堤の下(した)に、ありありと聞ゆ。
『さらば、行て見定めん。』
と、堤を下(くだ)りて見れ共、更に、見へず。
しばらくして、又、上の堤に聞ゆ。
『扨は。』
と、上にあがりてきけば、いなゝく聲、下に、あり。
下(した)へ、行けば、上に、音す。
此僧、ふかく怪しみながら、今は、はや、すべきやうなく、志ざす方(かた)に行(ゆけ)ば、又、むかふの方(かた)に聞ゆ。
追付(おつつき)てきけば、後(しりへ)に、あり。
此僧、あきれて、四方(しほう)を見廻しければ、夜(よ)はゝや、東より白みて、ほのぼのと明渡(あけわた)りぬ。
此僧、大きに仰天し、それより、三井にぞ、急がれける。
後(のち)、能々きけば、古狐の、夜もすがら、徃來(ゆきゝ)の人を、かく、たぶらかしけるにてぞ有ける。
[やぶちゃん注:『さぬきの國丸龜より、三井といふ所へ行くとて、「千代池(ちよいけ)の堤(つゝみ)」といふを夜中に通りける』「千代池」は現在の香川県仲多度郡多度津町葛原に実在する(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。丸亀城下(丸亀市内)はここの東北で直線でも三キロ半ほどしか離れていない。問題は「三井」で、このような地名を見出し得ない。方向から見て、南西方向の路次であるから、この延長線上で、「三」の附く古い地名は、恐らく、讃岐国旧三野郡の現在の三豊(みとよ)市三野(みの)町地区(取り敢えず最北の三野町大見をポイントしてある。広域の「三豊市」は現代になって統合で生まれた地名で元が「三野」の「三」由来であるから候補にはならない)と思われる。丸亀と三野のほぼ中間に千代池があることになるからである。万一、「三井」という地名が相応しい場所に別にあるとせば、御教授頂けると幸いである。]
« いさり舟 すゞしろのや(伊良子清白) | トップページ | 和漢三才図会巻第三十九 鼠類 鼫鼠(りす) (リス類) »