牧童 伊良子清白 (ハイネ訳詩/附・生田春月及び片岡俊彦訳)
牧 童
牧のうなゐぞ帝王(みかど)なる
綠の丘ぞ御座(おまし)なる
天(そら)に輝く天津日は
かれが金(こがね)の冠(かぶり)なり
羊は伏(こや)す足の下
やさしき君に媚ぶるなり
犢(こうし)は騎士の役目にて
いとほこりがにはねめぐる
山羊は俳優(わざおぎ)大宮の
吹くや笛竹鳥の群
鈴をならすは牝牛にて
いづれもをかし雅樂寮(うたのれう)
ゆかし瀧水ひびき來て
樅(もみ)の梢のうち戰(そよ)ぎ
歌男(うたを)歌女(うため)にかこまれて
うまいしませる山の帝(きみ)
狗(いぬ)の大臣(おとど)は其ひまを
國司るつとめあり
警(いまし)め顏に吠ゆる聲
あたりの山に木魂して
ねたらで醒めし小帝王(こみかど)は
「國をさむるはむつかしや
麿は歸らむわが宿に
可愛(かな)し后(きさき)の傍(かた)へに」と
「可愛し后の腕(ただむき)に
まろが頭(かうべ)を橫へむ
かれの涼しき眼のうちに
はてなき領(うなじ)をよこたへむ」
[やぶちゃん注:明治三六(一九〇六)年十月発行の『文庫』初出であるが、そこでは総標題「夕づゝ(三)(Heine より)」の下に、先の「山彥」・「金」及び本「牧童」の三篇から成る(署名「清白」)。ハイネ(Christian Johann Heinrich Heine 一七九七年~一八五六年)の訳詩で、本篇は一八二一年作の“Die Bergstimme”(「羊飼いの少年」・一八二七年刊行の詩集“Buch der Lieder”(「歌の本」所収)のそれである。原詩はこちら(リンク先はドイツ語の「ウィキソース」)。
「うなゐ」はここでは少年の意。
初出は表記違い以外では、私は大きな異同を認めない。
参考までに、まず、ハイネの紹介に尽力した詩人生田春月(明治二五(一八九二)年~昭和五(一九三〇)年:入水自殺)の訳を、PDサイト「PD図書室」のこちらから引用させて貰う。但し、漢字の一部を正字化した。引用元の底本は昭和一〇(一九三五)年二十四版新潮文庫刊生田春月譯「ハイネ詩集」である。
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牧 童
羊飼ひの子は王樣だ
綠の丘はその玉座
頭にかゝるお日さんは
大きな金の冠(かんむり)だ
その足もとには赤い斑(ぶち)の入つた小羊が
やさしい阿諛者(ごきげんとり)が寢そべつてゐる
犢(こうし)のむれは騎士(カヴアイリル)
大股に威張つて歩き廻る
仔山羊はみんなお抱へ役者
そして小鳥と牝牛とは
お抱へ樂師の一組で
笛を吹いたり鈴を鳴らしたりする
氣もちよく響くその音樂に
瀑布(たき)の轟き、樅の樹の
氣もちのよいそよぎが調子を合せるのを
聞きながら王はすやすや眠り入る
その間にも大臣の
犬は警備を怠らず
そのいさましい鳴聲は
國の四方に反響(こだま)する
若い王樣は眠さうに呟いて言ふ
『國を治めるのは實にむづかしい
あゝ、早く 家うちへ歸りたい
女王のところに歸りたい!」
女王の腕にやはらかく
この王の頭をやすめたい!
女王のきれいな眼の中に
僕の無限の國はある!』
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次に所持する片山敏彦氏(昭和三六(一九六一)年没でパブリック・ドメイン)の訳を示す(「ハイネ詩集」昭和四一(一九六六)年改版新潮文庫刊)。
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牧 童
牧童は王さま。
みどりの丘はその玉座。
頭の上の太陽が
大きな金のその王冠。
足元に羊たち。
赭(あか)いまだらのある、柔らかい声のお世辞屋。
犢(こうし)たちは騎士。
この騎士たちは大威張りで歩きまわる。
小さな山羊(やぎ)らは王室劇場の俳優。
横笛を吹く小鳥らと
頸(くび)の鈴を鳴らす牝牛(めうし)らとは
楽士たち。
歌声と楽器のおとのおもしろさ。
それに可愛いざわめきを添える
滝つ瀬と樅(もみ)の樹立。
聴きながら王さまはお眠りになる。
そのあいだに宰相である犬が
統治を怠ってはならぬ。
その唸(うな)るような吠声(ほえごえ)が
あたりに木魂(こだま)する。
若い王さまが眠たい声で口ずさむ。
「治める仕事はむつかしい。
早う家に帰って
妃(きさき)の傍に居りたいものじゃ。
妃の腕に抱かれると
王の頭はゆっくり眠れる。
妃の奇麗な瞳の中に
わしの広い広い国がある」
Die Bergstimme
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