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2019/05/30

ニンフス ツルゲエネフ(生田春月訳)

 

    ニ ン フ ス

 

 私は半圓(はんゑん)をなした美しい山脈に對(むか)つて彳んでゐた。若々しい綠の森がその頂(いたゞき)から麓まで蔽うてゐた。

 その上には澄み渡つた靑い南國の空が輝いてゐた。頂には日光が戯れ、麓には半ば草に隱されて、小川の早瀨がさざめいてゐる。

 するとかの古傳說が私の胸に浮んだ。基督降誕後一百年、希臘の船が多島海を走つてゐた時のことである。

 時は眞晝(まひる)……天候(てんき)は靜穩であつた。突然水先案内の頭上高く聲あつてはつきりと呼ばはつた、『汝かの島の傍を行かば、聲高く呼ばはれよ、「大いなる神パンは死せり!」と』

 水先案内は驚いた……恐れた。けれども船がその島にさしかかつた時。彼はその命に從つて呼ばはつた、『大いなる神パンは死せり!』

 すると忽ちその叫聲に應じて、その海岸のすべてに亘つて(その島は無人であつたけれども)高い歔欷慟哭の聲、長く曳いた悲鳴の叫びが響き渡つた。『ああ死せり! 大いなる神パンは死せり!」と。私は此の傳說を思出した……そして妙な考へが胸に浮んだ。『若し今私が呼び懸けたならばどうであらう?』

 ところで身のまはりの喜ばしげな美景を眺めては、死ついて考へることが出來なかつたので、私は懸命の聲を舉げて叫んだ、「大いなる神パンは蘇(よみがへ)れり! 蘇(よみがへ)れり!』すると忽ち、何等の不思議ぞ、私の叫び聲に應じて、半圓形の綠の山脈から嬉しさうな笑ひのどよめき、喜ばしさうな私語(さゝやき)や拍手の音が起つた。

『彼は蘇(よみがへ)れり! パンは蘇れり!』と若々しい聲々がどよもした。眼前(めのまへ)のすべては急に笑ひはじめた、大空の日よりも輝かしく、草間を流るる小川のせせらぎよりも樂しげに。せはしげなぱたぱたと云ふ輕い足どりが聞え、綠なす木立の間には、ふはりとした白衣が大理石のやうにきらめき、生々(いきいき)と紅味(あかみ)のさした裸形の四肢(てあし)がちらちらした……それは山からこの野邊へと急ぐニンフや、ドライアッドやバッカントの群れなのであつた。

 忽ち彼等は森のすべての出口に姿をあらはした。捲髮(まきげ)はその神々しい頭から垂れ下り、そのしなやかな手には花輪や鐃鈸(にようばち)を捧げ持つてゐる。そして笑聲は、はれやかな神々の笑ひ(オリンピアン・ラフタア)は飛びつ躍りつ彼等に伴つて來る……[やぶちゃん注:「オリンピアン・ラフタア」のルビは「神々の笑ひ」の五文字に対するもの。]

 一人の女紳が彼等の先頭に立つてゐる。彼女は皆の神より一層脊(せい)が高くて美しい。肩には箙(えびら)、手には弓を携へて、その浪打つた捲髮(まきげ)には白銀(しろがね)の新月(しんげつ)がきらめいてゐる……

『ダイアナ、おん身はダイアナだな?』

 けれどもその女神は突然立止つた……そして一時にニンフの群れもすべて立止つた。はればれしい笑ひ聲は消え失せてしまつた。

 私は沈默せる女神の顏が忽ち死人のやうに蒼褪(あをざ)めたのを見た、彼女の足は地にぴつたり着いてしまつて、名狀すべからざる苦痛に脣が開き、眼が大きく見開かれて遠方を凝視するのを見た……彼女は何を見附けたのだらう? 何を見詰めてゐるのだらう?

 私は彼女の見詰めてゐる方に向きかへつた……

 遙かなる地平線の上、なだらかな野の果てに、基督教の寺院の白い鐘樓の頂きに、一點の火のやうに黃金の十字架がきらめいてゐた……此の十字架を女神は目に留(と)めたのであつた。

 後(うしろ)に切れた絃(いと)のやうな長い切(せつ)なげな嘆息(ためいき)が聞えたので、私が振向いて見ると、ニンフの群れはあと方もなく消え失せてゐた……うち擴がつた森は依然として綠で、ただ繁り合つた木の間の其處此處(そここゝ)に何か白いものがかつ消えかつ輝いてゐたが、それがニンフの白衣であるか、谿(たに)から立のぼつた聲であるかはわからない。

 然し、女神達の消え失せたのを私はどんなにか悲しんだであらう!

    一八七八年十二月

 

ニンフス、この篇は基督教と異教との爭鬪を知つてゐなければわからない。基督教の宣傳されると共に、希臘の神々は滅ぼされてしまつた。】

パン神は牧神である、頭に角を生やし、半羊の姿をしてゐる。】

ニンフ、山林水澤の神、女神である。】

ドライアツド、森の闇の中に棲んでゐるニンフの一種。】

バツカンテス、酒神バツカスに仕へる女神達をいふ。】

神々の笑ひ(オリンピア・ラフタア)、無遠慮な哄笑である。神々はよく笑ふのだ。】

ダイアナ、狩獵の女神である、貞潔を代表してゐる。ダイアナの原形は月だから月を頂いてゐるのだ。】

十字架云々、基督教は神々には禁物だから、それで十字架を見て驚き恐れたのである。】

[やぶちゃん注:生田の詩篇本文の外来語の表記と註の違いは総てママである

「ニンフス」英語「nymph」(可算名詞)の複数形のカタカナ音写。古代ギリシャ語では「ニュンペー」(ラテン文字転写:Nymphē)で複数形は「ニュンパイ」(Nymphai)。

「パン神」(Pān)はギリシア神話に登場する牧羊神の半獣神で、ローマ神話におけるファウヌス(Faunus)と同一視される。

「歔欷」「きよき(きょき)」。啜(すす)り泣き。咽(むせ)び泣き。

「ドライアッド」英語「dryad」のカタカナ音写。ギリシア神話に登場する木の精霊であるニンフのドリュアス(ラテン文字転写:Dryas)。

「バッカント」「バツカンテス」これは本来はギリシア・ローマ神話に登場する豊饒と酒の神ディオニュソス(Dionȳsos))や酒神バッカス(Bacchus)の女性の信奉者を指すマイナス(複数形:マイナデス/英語: Maenad)。ウィキの「マイナス(ギリシア神話)によれば、マイナスと『は「わめきたてる者」を語源とし、狂暴で理性を失った女性として知られる。彼女らの信奉するディオニューソスはギリシア神話のワインと泥酔の神である。ディオニューソスの神秘によって、恍惚とした熱狂状態に陥った女性が、暴力、流血、性交、中毒、身体の切断に及んだ。彼女らは通常、キヅタ(常春藤)』(セリ目ウコギ科キヅタ属セイヨウキヅタ Hedera helix)『でできた冠をかぶり、子鹿の皮をまとい、テュルソス』(thyrsos:オオウイキョウ(セリ目セリ科オオウイキョウ属オオウイキョウ Ferula communis)で出来た杖。ブドウの蔓や葉などで飾られ、先端に松毬(まつかさ)を附けたものである。「タイニア」と呼ばれるリボン状のものが添えられる場合もある)を持ち運んでいる姿で描かれる。そこで未開時代に見合った粗野で奔放な踊りを踊る』。『ローマ神話では、ディオニューソスに対応する』バッカスに『狐の皮(bassaris)を身につけさせる傾向が強くなった後、マイナスはBassarids(またはBacchae、Bacchantes)としても知られることとなった』とある中の、英語の複数形「Bacchantes」と、その単数形「bacchante」をカタカナ音写したもの。

「鐃鈸(にようばち)」ルビは擦れて「□よ□ばち」しか現認出来ないが、「う」は破片から推すことが出来、その場合、「にようばち」と振られていると考えるしかない。しかし、これは歴史的仮名遣としては誤りで「ねうばち」(原題仮名遣は「にょうばち」)でないといけない。而して「鐃鈸」とは「鈴」或いは「銅製の銅鑼・シンバル」である。孰れでもよいように思われるかも知れないが、ギリシャ神話の技芸神の女神の祝祭に捧げ持つてゐる持ち物としては、私には孰れも、今一つ、ピンとこない気がするのである。鈴はやや小さい感じがし、ドラやシンバルはちょっと重々しい。原文を見ると、ここは「тимпаны」(ラテン文字転写:timpany)であって、これはイタリア語の「timpani」、楽器の「ティンパニ」であるが、これも相応しくないように思われるのだが、この西洋の「太鼓」を先の「鈴」や「シンバル」と合成してみると、ある楽器が思い出される。それは英語「timbrels」「tabourine」、タンバリンである。小さなシンバル状の鈴のついたタンバリンはニンフの持ち物に相応しく、ここでの音響としても、私は最もしっくりくる楽器であると思うのである。

「神々の笑ひ(オリンピアン・ラフタア)」「Olympian Laughter」(オリンポスの神々の笑い)という「神々の哄笑」の成句表現があるのかと思って調べたが、ない。]

「ダイアナ」ローマ神話に登場する、狩猟と貞節、及び、月の女神ディアーナ(ラテン語表記:Diāna)。新月の銀の弓を手にする処女の姿を特徴とする。日本語では長母音記号を省略して「ディアナ」とも呼び。英語「Diana」から「ダイアナ」の表記が現行は一般的。ギリシア神話ではアルテミス(Artemis)に相当する。主に南イタリアのカプアとローマ附近のネミ湖湖畔のアリキアを中心に崇拝された。]

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