山彥 伊良子清白 (ハイネの訳詩/参考付加・片山敏彦氏訳「山の声」)
山 彥
だくをゆるめて谷路行く
武士(もののふ)一人駒の上
「腕にすがらん戀人の
さらずば行かむ墓の下」
木魂の聲の答ふらく
「さらずば行かむ墓の下」
重き吐息をもらしつつ
武士なほもうたせ行く
「さらば墓場にわれ行かむ
墓場の下に休息(やすみ)あり」
木魂の聲の答ふらく
「墓場の下に休息あり」
なやみにみつる頰の上に
淚の珠のまろびつつ
「墓場の外に家ぞなき
われは墓ばをこのむなり」
木魂の聲の答ふらく
「われは墓場をこのむなり」
[やぶちゃん注:明治三六(一九〇六)年十月発行の『文庫』初出であるが、そこでは総標題「夕づゝ(三)(Heine より)」の下に本「山彥」以下に電子化する「金」「牧童」の三篇から成る(署名「清白」)。されば、これらはドイツのユダヤ人詩人クリスティアン・ヨハン・ハインリヒ・ハイネ(Christian Johann Heinrich Heine 一七九七年~一八五六年)の訳詩で、本篇は一八二一年作の“Die Bergstimme”(「山の声」・一八二七年刊行の詩集“Buch der Lieder”(「歌の本」所収)のそれである。原詩はこちら(リンク先はドイツ語の「ウィキソース」)。
初出は表記違い以外では、第三連の初行が「なやみにみつる頰の上は」となっているのが、大きな異同である。
参考までに、以下に所持する片山敏彦氏(昭和三六(一九六一)年没でパブリック・ドメイン)の訳を示す(「ハイネ詩集」昭和四一(一九六六)年改版新潮文庫刊)。
*
山 の 声
山のはざまを騎士が行く、
陰気に静かな馬の足音。
「俺は今、恋しい人の腕へ行くのか?
それとも暗い墓へ行くのか?」
山の声(こえ)がそれに応(こた)える――
「暗い墓へさ」
騎士はそのまま進んで行くが
重い吐息をついて言う。――
「早や俺は暗い墓へ行くというのか――
それも宜(よ)かろう。墓の中には憩いがある!」
山の声がそれに答える――
「墓の中には憩いがあるさ」
愁いに充ちた騎士の頰には
一しずく淚が落ちた。
「俺のために憩いのあるのは墓穴だけか!
それなら墓もわるくはなかろう」
山の声が空(うつ)ろに答える!
「そうさ、墓もわるくはないさ」
Die Bergstimme
*]
« 柳田國男 山島民譚集 原文・訓読・附オリジナル注「馬蹄石」(18) 「駒形權現」(4) | トップページ | 金 伊良子清白 (ハイネ訳詩) »