墓場に君の 伊良子清白 (ハイネ訳詩/附・生田春月訳)
墓場に君の
墓場に君のねぶる時
くらき墓場に眠る時
われはゆかまし土の下
われは抱かまし戀人を
冷たく靑く動かざる
きみを接吻(キス)しつ肌觸れつ
さけびつ泣きつをののきつ
むくろとわれも成りにけり
丑滿時を面白く
亡者はさめてをどるなり
二人はたたずとどまりて
われはその子の腕に倚る
くるしくたのしくさまざまに
亡者はおきぬ審判(さばき)の日
われら二人は何かあらん
物におそれずねぶるなり
[やぶちゃん注:明治三六(一九〇三)年五月発行の『文庫』初出(署名「清白」)であるが、総標題「夕づゝ(Heine より)」の下に、「さうび百合ばな」・「きみとわが頰の」・「頰は靑ざめて」・「使」・「老いたる王の」・本「墓場の君の」・「うきをこめたる」・「戀はれつこひつ」・「夕となりぬ」・「なれをこひずと」の十篇からなる、ハイネ(Christian Johann Heinrich Heine 一七九七年~一八五六年)の翻訳詩群である。本篇は一八二三年刊の詩集“Tragödien, nebst einem lyrischen Intermezzo”(「抒情的間奏曲附きの、悲劇」)の“Lyrisches Intermezzo”(「抒情的間奏曲」)の第XXX歌(第三十歌)である。原詩はこちら(リンク先はドイツ語の「ウィキソース」)。初出は最終連が、
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にがくたのしくさまざまに
亡者はおきぬ審判(さばき)の日
われら二人は何あらん
物におれずねぶるなり
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であるが、終行の「おれず」は「おそれず」の脱字(誤植)であろう。
前に倣って、生田春月(明治二五(一八九二)年~昭和五(一九三〇)年)の訳を示すが、今まで使っていたPDサイト「PD図書室」のこちらのものには致命的な誤植があることが判ったので、新たに見出した国立国会図書館デジタルコレクションの、大正一四(一二五)年春秋社刊の生田春月訳「ハイネ全集 第一巻」(「詩の本」)の「抒情插曲」パートから起こした。春月のそれは第「三十四」歌とする)。
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三十四
いとしい人よ、もしもおまへが墓場へと
くらい墓場へ行くならば、
わたしはそこに下りてゆき
おまへの身體(からだ)にまつはらう。
接吻(きす)し、はげしく抱きつかう、
しづかな、冷たい、靑ざめた子よ!
わたしはよろこんで、ふるへて、はげしく泣かう、
わたしも死骸になつちまはう。
眞夜中ごろにをめいて立ち上り、
死人は群れてたのしく舞ひをどる、
ふたりは墓にとゞまつて
わたしはおまへの腕に寢る。
審判(さばき)の日、死人の群れは立ち上り、
苦みに歡びにみな叫びあふ、
ふたりは何を苦しまう
しづかにもたれてよこたはる。
*]
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