太平百物語卷二 廿壱 孫兵衞が妾蛇になりし事
○廿壱 孫兵衞が妾(てかけ)蛇になりし事
備前の國金山(かなやま)のほとりに、孫兵衞といふ百姓あり。弟(おとゝ)は播磨に住(すみ)て、獵を業(わざ)として居(ゐ)ける。彼(かの)孫兵衞は、家、富(とみ)さかへて、常にたのしかりしが、跡を嗣(つぐ)べき子なければ、行末、あぢきなくおもひくらしける。
然るに、孫兵衞、かりそめに煩ひいだし、次第におもくなりて、心地死ぬべく覚へければ[やぶちゃん注:ママ。]、急ぎ播磨の弟が許(もと)へ、「かく」と告(つげ)やりしかば、弟は、取る物もとりあえず、いそぎ、備前に來たり、孫兵衞が病床に至れば、孫兵衞、いと嬉しげに眼(まなこ)をひらき、
「よくぞや、遠路を、はやく、參りたれ。我(われ)、病(やまひ)重ければ、本復(ほんぶく)せん事、おもひよらず、命(いのち)終らば、跡の營み、念比(ねんごろ)に、賴み參らするなり。元より、名跡(みやうせき)なければ、家財・田地等(とう)、ことごとく、御身に與(あたふ)るなれば、今よりしては、殺生(せつしやう)の業をやめて、わが屋敷に住(すみ)玉へ。又、これ成(なる)女は、とし比(ごろ)、われに仕へし馴染の者なれば、行末、見屆(みとゞけ)やり玉へ。」
と遺言して、程なく果(はて)ければ、弟、やがて、僧を招き、なくなく、死骸を㙒邊におくりけるを、此妾(しやう/てかけ)、限りなくかなしみ、共に㙒邊におくり行(ゆき)しが、彼(かの)孫兵衞がなきがらを土中に埋(うづ)み、僧、念比に囘向(ゑかう)ありて、皆々、歸らんとせしに、此妾(しやう)、孫兵衞をうづみし許(もと)に、
「つかつか。」
と行きて、塚の前を、三遍、
「くるくる。」
と廻りて、其儘、たふれ伏(ふし)けるが、たちまち、大き成蛇となりて、死(しゝ)たりける。
人々、おどろき、
「こは、いかに。」
と、あはてけるが、此僧、つくづくみて、
「かゝる例(ためし)、なきにしもあらず、共に土中(どちう)に埋むべし。」
と。
仰せに任せ、孫兵衞を埋みし傍(そば)に埋ませければ、此僧、此女が爲に、煩惱除災の法を行(おこな)ひ、念比に吊(とぶら)はれしに、此冢(つか)[やぶちゃん注:「塚」の異体字。]より、忽ち、木欒樹(もくげんじゆ)、おひ出(いで)たり。
「扨は。即座に佛果を得たるに疑ひなし。」
とて、此僧の奇瑞を、皆々、有り難くおもはれけるとかや。
ふしぎなりし事ども也。
太平百物語卷之二終
[やぶちゃん注:「備前の國金山(かなやま)」現在の岡山県岡山市北区金山寺(かなやまじ)か(グーグル・マップ・データ)。本篇に登場する寺は固有寺名を示さないが、ここには古刹天台宗銘金山金山寺(きんざんじ/かなやまじ)がある(近世には銘金山観音寺遍照院とも呼ばれていた。本尊は千手観音)。
「播磨」現在の兵庫県南西部。
「木欒樹(もくげんじゆ)」ムクロジ目ムクロジ科モクゲンジ属モクゲンジ Koelreuteria paniculata。落葉高木。小学館「日本国語大辞典」によれば、「木槵子」「木患子」とも書き、本州西部の日本海側や朝鮮・中国に分布し、寺院に多く植えられる。高さ十メートルに達し、葉は奇数の羽状複葉で四~七対の小葉からなる。各小葉は長さ五~八センチメートルの卵形で、縁に二重の鋸歯がある。初夏、黄色い小さな四弁花が円錐状に集まって咲く。果実は袋状で、長さ約四センチメートル、初め紅色で、後に黒色に変わる。種子は黒色で堅く、数珠玉にする。和名は「ムクロジ」の漢名の「無患子」を誤用したもので、その字音に由来する。漢名は「欒樹」「木欒子」「欒華」。和名異名は「せんだんばのぼだいじゅ」「もくれんじ」「むくれにし」「むくれんじのき」「もくげんじゅ」「もくれんず」「もくらんじ」等。グーグル画像検索「Koelreuteria paniculata」をリンクさせておく。]
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