うたかた すゞしろのや(伊良子清白) (河井酔茗・横瀬夜雨との合作)
うたかた
[やぶちゃん注:本篇は明治三一(一八九八)年七月二十日発行の『文庫』掲載。署名は「すゞしろのや」。但し、河井酔茗・横瀬夜雨(既に示した通り孰れもパブリック・ドメイン)との合作。「さへつる」「さくり」の清音はママ。なお、「未通女」「おぼこ」の当字で、ここは未だ世間慣れ(擦れ)していない若い女性の意。また「閻浮」は「えんぶ」で「閻浮提(えんぶだい)」のこと。仏教の世界観での「四洲(ししゅう)」の一つ。須弥山(しゅみせん)の南方の海上にあるとする巨大な島で、その中央には閻浮樹(えんぶじゅ)の大森林があり、諸仏が出現する島とされた。具体にはインドを指したが、その後は辺縁に拡大し、遂には人間世界及び三世(さんぜ)の内の現世(げんせ)の代名詞となった。他に「閻浮洲」「瞻部(せんぶ)洲」等とも呼ぶ。]
もゝ舟はつる夕つけの、
鳥羽の港は見えながら、
白帆まきては碎けゝん、
三河のあまの小舟はも。
黑髮長きくはし女の、
蛋にあらねば汐なれぬ、
花の衣のかゝりては、
岸のいはほも靡きけん。
柩を土にをさむれば、
雲雀さへつる春の野の、
つぼすみれ咲く靑草も、
慰み難き墓なるを。
夫に嫁ぐとて行きしこの、
沈める舟のあと見ては、
答志の浦に玉藻刈る、
未通女の歌もつらきかな。
逆汐いかゞ荒くとも、
海になれたるかこならば、
み命ばかりたゝでもと、
思ふもあはれ數ならで。
いらこ岬のあらいはに、
くつをもめさで泣倒れ、
こかれたまへる妹君は、
今も渚にまたすらん。
さすが別れを惜みてか、
琴のつれびき遊ばして、
よめりをいはふ盃に、
むせびませしも今朝なれば。
せめて空しきからをだに、
さくり求めて歸らんと、
浪のまにまにかいやれど、
其れかと思ふちりもなく。
閻浮を戀ふるなき魂の、
若しも我身にうつりなば、
鳥羽の港にさす棹の、
せめて力もあるべきを。
今宵よりして吾妹と、
呼ばゝん人は世を代へて、
みなわの痕もなきぞとは、
雲の色にもさとるまじ。
數の小島は廻れども、
君待つ磯はあらなくに、
哀しき今日も立ちこむる、
汐のけふりにくれてゆく。
かへらぬ浪のあと追ひて、
何處にはてむわが舟ぞ、
七十五里の灘の上、
隈なく渡る月はあれど。
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