ほし柿の唄 伊良子清白
ほし柿の唄
(大關さんからとてもうまいほし柿を頂いた、そのうた)
羽前山形、ほし柿を
一心不亂に味へば
身は煙立(だ)つ暖かさ
冥加(みやうか)あまりて目も見えず
ほい この、つるし柿
羽前山形、干柿は
衣(きぬ)は剝(は)がれし膚(はだ)の皺
日練夜練(ひねりよねり)の肉の色
眞實(しんじつ)こもる核(たね)二つ
ほい この、晒(さら)し柿
羽前山形、雪國の
黑い干柿何んとせう
蔕(ほづ)はあれども陰囊形(ふぐりがた)
男の物とぶらさがり
ほい この、いぶし柿
[やぶちゃん注:昭和八(一九三三)年二月一日発行の『新日本民謠』に掲載。底本ではこの年(伊良子清白満五十六歳)の詩篇はこの一篇のみである。
「大關」思うに『新日本民謠』を主宰していた詩人大関五郎(明治二八(一八九五)年~昭和二三(一九四八)年)か。大正一〇(一九二一)年頃、「詩話会」の機関誌『日本詩人』に作品を発表、後、童謡や民謡に転じ、北原白秋らの協賛で、昭和六(一九三一)年に雑誌『新日本民謡』を刊行した。但し、彼の出身は茨城県である。
「蔕(ほづ)」漢字から「ほぞ」(「臍 (ほぞ) 」と同語源。古くは「ほそ」)で、「果実の蒂(へた)の謂い(方言か)。]