夏の夜 伊良子清白
夏 の 夜
林洩る菓物の
濃きかをり今しばし
高まりぬ時すぎし
花の香も殘るかに
くゆるめりめざめたる
家をめぐりひたひたと
波よせぬそは大き
夜の息この時に
われ思ふ外の方を
霰降り月光は
地に箔すまた磯は
家も低くいくみ竹
波に乘る浩々と
白き夜は海に居り
眠られずいとけなき
子心にかへりつゝ
われなきぬ
[やぶちゃん注:明治四〇(一九〇七)年一月十五日発行の『文庫』(第三十三巻第四号)に掲載。署名は「伊良子清白」。底本全集年譜によれば、この年、六月前後、『文庫』編集部内で、伊良子清白が投稿した評論「鏡塵錄」と翻案詩「七騎落」について、早稲田派のグループが採用掲載の可否について問題提起をして紛争が起こり(結果的には七月十五日発行の『文庫』(第三十四巻第五号)に二篇とも掲載された)、伊良子清白の『文庫』からの訣別が決定的になった。なお、この六月には島根県検疫医も兼任している。
「いくみ竹」「組竹」。葉が組み合って繁茂している竹の意。「古事記」に出る古語。]