序に代へて 伊良子清白 /(歌集の序の代わりとした詩篇)
序に代へて
一
若き人達集(つど)ひて、
涼しき夏の濱邊に、
オリンポスの神々の如(ごと)、
若やかなる饗宴を開きぬ。
靑き髮微風に縺れ、
微笑(ほゝゑみ)の唇忘我の花匂へり。
殘燻未だ山の端に薄く、
蒼茫として萬波一頃(けい)を湛ふ。
島の上投げ揚げられし月の球は、
おどけたる樣(さま)に空に浮び、
雲の林水脈(みを)曳きて、
あるかなきかに漂ふ。
二
此時我は思ふ。
⦅あはれ、人生の哀求(あいぐ)は、
血の夕暮、淚の曉を過ぎて、
なほ滿し難し。
何故の生死(いきしに)ぞ!、
かの永遠をおもふて、
寂しさ限りなし。
刹那(せつな)の蝶を眼前に追ひ、
愁(うれ)ひの市(まち)に幻(まぼろし)を繫ぐ。
ああ朱(あか)き陽(ひ)は虞淵(ぐゑん)に沒りぬ。
われは老いて之を知る、
われは哭(な)きて人に告ぐ、
紅顏の因緣(いはれ)を、
欒園の悲哀(ひあい)を。
死者よ、紺碧の氷河を越えて去れ。
嬰兒(みどりご)よ、月界の崫(いはや)を開きて來れ。
すべてはとどまらず、すべては慌(あわただ)し、
滅(ほろ)びの奏鳴曲(ソナタ)!、
時の妖魔(あやかし)蒼ざめて立つ。
パンドーラの小筐(ばこ)の紐は美し⦆と。
三
おお、黃金の牡牛よ、
偉大の肉體よ、
健康の立像よ
淸艶の薔薇(せうび)に
聖愛の祠(ほこら)を齋(いつ)きて
光耀(くわうゑう)の白鳥(はくてう)は
魂(たましひ)の故鄕(ふるさと)に翔(かけ)る。
ああ、今し滿ちきたる新潮(にひじほ)の音、勝利の響
とうとうとして、トリトン螺(ら)を吹く。
(饗宴の莚(むしろ)、酣なりや)
[やぶちゃん注:昭和一六(一九四一)年二月二十五日志支良社刊の「志支浪歌集」。署名は「伊良子清白」。「!、」の読点はママ。「虞淵(ぐゑん)」と後の「光耀(くわうゑう)」のルビの「ゑ」は孰れもママ。「小筐(ばこ)」の「ばこ」は「筐」一字へのルビ。本歌集は清白が特別同人となっていた三重歌壇の代表的歌人印田巨鳥(いんだきょちょう 明治二七(一八九四)年~昭和五四(一九七九)年)の主宰した歌誌『志支浪』(しきなみ)の単行アンソロジー歌集である。但し、この月を以って同誌は休刊しているから(戦後に復刊している)、その名残の集大成とも言うべきものであろう。清白は本書に「歸鄕」と総標題した十二首の新作短歌を発表している。なお言っておくと、私は大の短歌嫌いなので、向後、伊良子清白の短歌群を電子化する意思は残念ながら全くない。悪しからず。それはまた、私のような好事家で短歌好きの方がやってくれることを期待されよ。但し、詩篇電子注化も残すところ五篇なので、近々、伊良子清白の全俳句は電子化するつもりではある。
「頃(けい)」は本来は中国古代からの田畑の面積単位で百畝相当(時代によって大きさは異なる)であるが、ここは「萬頃」(ばんけい)の熟語で「水面が広々としていること」を指す。
「虞淵(ぐゑん)」(歴史的仮名遣は「ぐえん」でよい)は中国の伝説上の、太陽の没するところとされる場所。]
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