何を私は考ヘるだらう?……… ツルゲエネフ(生田春月訳)
何を私は考ヘるだらう?………
私が死ななければならぬ時に、若しその時何事かを考へることが出來たとすれば、何を私は考へるだらう?
一生を無駄に費してしまつたこと、ずつと眠りつゞけて夢のやうにすごしてしまつたこと、人生の賜物(たまもの)を享受する道を知らなかつたことなどを考へるであらうか?
『なに? もう死ななきやならんのか? こんなに早く? そんな事があるものか! 私はまだ何一つする暇(ひま)もありやしなかつたんだ……これからやつと何かしようとしたばかりなんだ!』
私は過去を追想するであらうか、經驗して來た僅かばかりの光彩ある瞬間を――わが身に貴い面影(おもかげ)や容姿(かほかたち)に思ひ浮べるであらうか?
おのが惡行(あくぎやう)を思ひ出すであらうか、そしてあまりに遲く來た後悔の燃えるやうな苦みに胸を刺されるやうに覺えるであらうか?
墓の彼方で私を待つてゐるものについて考へるであらうか……實際、其處で何ものかゞ私は待つてゐると考へるであらうか?
否。……私は考へまいとするであらう、そして私の前を眞黑に閉(とざ)してゐる脅かすやうな暗黑から。自分の心を轉じさせよう爲めにのみ、强(し)ひて何かつまらない事に興味を向けさせることであらう。
私は曾て、胡桃(くるみ)を嚙ませないと言つて、怒りつゞけてゐた瀕死の人を見た!……しかもそのどんよりした眼の底には、致命傷を受けた鳥の破れた翼のやうに何ものかゞ顫(ふる)へてゐたのである……
一八七九年八月
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