誕生 すゞしろのや(伊良子清白)
誕 生
谷の淸水をあたゝめて
產湯とらせし狹筵に
其子の肌は淸くして
松の嵐に吹かれけり
紅閉す薄霞
あまりかたちの稚さに
年まだわかきふた親は
なで抱くさへはゞかりぬ
炭燒く家の子なれども
菫咲く野の若草に
をとめとならん行すゑの
夢こそ花の園生なれ
產衣の色はみどりにて
柳にまじるさくら花
梢にまよふ胡蝶こそ
かりにその子の風情なれ
香ひの露のしたゝりて
むすぶがごとき唇の
まだ蕾なる紅に
夕の風のさはるてな
松の枯葉をたきくべて
夕げをかしぐその父の
かまどになれぬ手つきこそ
けふの吉き日にをかしけれ
この靜かなる夕暮を
產屋の窓に雲下りて
小雨はれ行く女松原
弱き日の影てらすなり
世を新しくなすものは
夕の星の色ならじ
小百合の花の野にあらじ
草のとぼそに聲あげて
すがたすぐれしちごをこそ
美の神々は招きけれ
藁屋の前にながれあり
ながれの上のまろ木ばし
故に繁る栗の樹を
うす紅ににほはして
よき子うまれし軒端より
夕の虹は根ざしたり
[やぶちゃん注:明治三三(一九〇〇)年九月十五日発行の『文庫』掲載。署名は「すゞしろのや」。]
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