鳥羽の入江 伊良子清白 (初出形復元)
鳥羽の入江
春は鯛繩
春は鯛繩
夜延(よばえ)の大漁
からだちいばらも
花が咲く
註 夜延は夜間海上に釣繩の絲を延べるをいふ
鱶 釣 り
裸一貫 男で候
波は立つ程 吹け吹けあらし
やんれ、乘り出す、灘の上
鯛や鰆(さはら)の 小魚にや飽いた
漁師泣かせの
鱶釣りに
寢たか起きぬか
寢(ね)たか起きぬか
萱野の貉(むじな)
よいそらよい
沖の夜繩を
鮫がとる
岳(たけ)の朝西風(あさにし)
飛び出せ螇蚸(ばつた)
よいそらよい
濱の鰯(いわし)を
鮪(しび)が逐ふ
[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年十二月一日発行の『民謠音樂』(第一巻第一号)に掲載されたもの。署名は「伊良子清白」。伊良子清白、満五十二歳。但し、この内、最後の「寢たか起きぬか」の一篇は、先行するこの年の四月十五日改造社刊の「現代日本文学全集」第三十七篇「現代日本詩・漢詩集」の「伊良子淸白篇」に九篇(八篇は「孔雀船」から採録)載った際に「ねたか起きぬか」(既に昭和四(一九二九)年十一月十五日新潮社刊の「現代詩人全集 第四巻 伊良子清白集」版を電子化済み。今回はその注で復元したそれを合成(底本ではここは注記附きでカットされている)して初出形を復元した)という題で単独独立詩篇新作追加として先行発表されているという、変わった経緯がある。また、この年は四月にロシア文学者中山省二郎の尽力で梓書房から詩集「孔雀船」の再刻本が刊行(伊良子清白は「小序」を追加している。この後に電子化する)され、同月には上記改造社のアンソロジーが、十一月には新潮社のそれが相次いで刊行された(新潮社版には「伊良子清白自伝」が書かれている。因みにこれは同全集編集コンセプトとして依頼されて書いたものである。やはりこの後に電子化する。また前者の改造社版に附された解説「明治大正詩史槪觀」では、北原白秋が伊良子清白を絶讃、この年の一月と十一月に出た日夏耿之介の「明治大正詩史」(上下巻)などによって、まさに伊良子清白再評価の機運がいやさかに高まった年であった(中山省二郎や北原白秋はこの年中に鳥羽に清白を訪ねてもいる)。しかし一方で、十一月十九日、次女不二子が自殺するという痛烈な不幸に遭遇している。不二子は大正一五(一九二六)年に大阪の女子神学校を卒業し、東成区の会社に就職したが、翌年には肺尖カタルを発症して入院しており、その予後は不詳であるが、自死したのは、伊良子清白の異母弟岡田道寿の鳥取の家でであった。]
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