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2019/06/04

松風 すゞしろのや(伊良子清白)

 

松 風

 

 

 茅浦微吟

 

新潮ひゞく眞砂地に、

西風高くわたりつゝ、

酒賣るはたや茅渟の浦、

秋の光は靜かなり。

 

樓のうへに登り來て、

欄干近く眺むれば、

淡路島山帆に消えて、

鷗飛びかふ浪の色。

 

旅寢の夢に語らひし、

こひしき人はのせねども、

舟さす唄や故鄕に、

にたるしらべもなつかしく。

 

葦のすだれに日は透きて、

ねぶりはあさき簟、

玉の盃あらはせて、

酒の名をとふ思かな。

 

うす紫の摩耶の峯は、

晴れたる空に畫かれて、

月になれよとねしものを、

なほ暮遠し秋の海。

 

[やぶちゃん注:「茅浦」は、詩篇本文の「茅渟」(ちぬ)「の浦」に同じ。既出既注であるが、再掲しておくと、。「茅渟の海」として「古事記」に既に登場する古語で、和泉・淡路の両国の間の海の古名。則ち、現在の大阪湾一帯を指す。

「簟」これ一字で「たかむしろ」と読み、「竹席」とも書く。細く割った竹を筵(むしろ)のように編んだ夏用の敷物のこと。]

 

 

  あ る 夜

 

たのしき戀の睦言を、

いそうつ浪はさゝやきて、

かたらぬ星や小夜の空、

天の河原も幽かなり。

 

夜露やきみにかゝらんと、

松の木陰をさまよへば、

葉越をうらむ月影の、

思ひもかけずひま洩れて。

 

 

  花 木 槿

 

うす紅によそひして、

みそべにさける花木槿、

なにのうれひを含むらん、

たゞうつむきて咲きにけり。

 

そこに一人の少女子の、

花さく陰をたづねきて、

髮の插頭に手折りしが、

やがてはかなくしをれたり。

 

かの美しくかゞやける、

こひの光にてらされて、

こゝろにのこるくまもなく、

今はとまみをとぢしごと。

 

[やぶちゃん注:明治三一(一八九八)年十一月三日発行の『よしあし草』掲載。署名は「すゞしろのや」。本篇を以って底本の明治三十一年パートは終わっている。

 老婆心ながら言っておくと、「花木槿」は「はなむくげ」で木槿(むくげ:アオイ(葵)目アオイ科アオイ亜科フヨウ(芙蓉)連フヨウ属Hibiscus 節ムクゲ Hibiscus syriacus の開花したものを指す。ウィキの「ムクゲ」によれば、『夏から秋にかけて白、紫、赤などの美しい花をつける。花期は』七~十『月。花の大きさは』直径五~十センチメートルで、『花芽はその年の春から秋にかけて伸長した枝に次々と形成される。白居易の詩の誤訳から一日花との誤解があるが』、二『日以上咲いていることがある。朝花が開き、夕方にはしぼんでしまうものもあるが、そのまま翌日も開花し続ける場合もある』とある。なお、誤訳云々とは「白氏文集」の巻十五に載る「放言」(八一五年、上疏を越権とされて左遷され、江州の司馬となって現地へ赴く途次の舟中で詠じたもの)の一節、

松樹千年終是朽

槿花一日自爲榮

 松樹は千年なるも 終(つひ)に是れ朽ち

 槿花(きんか)は一日(いちじつ)なるも 自(みづか)ら榮(えい)と爲す

(松の樹は千年の寿(よわい)を保つとは言え、いつかは必ず朽ちてしまうし、朝顔の花はただ一日(ひとひ)の寿命(いのち)でも、それはそれでまたその生の栄華とする)

で、六朝東晋の文人郭璞(二七六年~三二四年)の「遊仙詩」に「蕣は朝を終へず」とあり、本邦では「槿花」は朝顔の異名でもある。されば本詩篇も現在のムクゲではなく、アサガオ(ナス目ヒルガオ科ヒルガオ亜科 Ipomoeeae 連サツマイモ属アサガオ Ipomoea nil)と採る。一九五八年岩波書店刊の高木正一注「中国詩人選集」第十三巻でもそう訳注されてある。さすれば、ウィキの言う誤訳の意も有意に強化されるからである。]

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