松風 すゞしろのや(伊良子清白)
松 風
茅浦微吟
新潮ひゞく眞砂地に、
西風高くわたりつゝ、
酒賣るはたや茅渟の浦、
秋の光は靜かなり。
樓のうへに登り來て、
欄干近く眺むれば、
淡路島山帆に消えて、
鷗飛びかふ浪の色。
旅寢の夢に語らひし、
こひしき人はのせねども、
舟さす唄や故鄕に、
にたるしらべもなつかしく。
葦のすだれに日は透きて、
ねぶりはあさき簟、
玉の盃あらはせて、
酒の名をとふ思かな。
うす紫の摩耶の峯は、
晴れたる空に畫かれて、
月になれよとねしものを、
なほ暮遠し秋の海。
[やぶちゃん注:「茅浦」は、詩篇本文の「茅渟」(ちぬ)「の浦」に同じ。既出既注であるが、再掲しておくと、。「茅渟の海」として「古事記」に既に登場する古語で、和泉・淡路の両国の間の海の古名。則ち、現在の大阪湾一帯を指す。
「簟」これ一字で「たかむしろ」と読み、「竹席」とも書く。細く割った竹を筵(むしろ)のように編んだ夏用の敷物のこと。]
あ る 夜
たのしき戀の睦言を、
いそうつ浪はさゝやきて、
かたらぬ星や小夜の空、
天の河原も幽かなり。
夜露やきみにかゝらんと、
松の木陰をさまよへば、
葉越をうらむ月影の、
思ひもかけずひま洩れて。
花 木 槿
うす紅によそひして、
みそべにさける花木槿、
なにのうれひを含むらん、
たゞうつむきて咲きにけり。
そこに一人の少女子の、
花さく陰をたづねきて、
髮の插頭に手折りしが、
やがてはかなくしをれたり。
かの美しくかゞやける、
こひの光にてらされて、
こゝろにのこるくまもなく、
今はとまみをとぢしごと。
[やぶちゃん注:明治三一(一八九八)年十一月三日発行の『よしあし草』掲載。署名は「すゞしろのや」。本篇を以って底本の明治三十一年パートは終わっている。
老婆心ながら言っておくと、「花木槿」は「はなむくげ」で木槿(むくげ:アオイ(葵)目アオイ科アオイ亜科フヨウ(芙蓉)連フヨウ属Hibiscus 節ムクゲ Hibiscus syriacus の開花したものを指す。ウィキの「ムクゲ」によれば、『夏から秋にかけて白、紫、赤などの美しい花をつける。花期は』七~十『月。花の大きさは』直径五~十センチメートルで、『花芽はその年の春から秋にかけて伸長した枝に次々と形成される。白居易の詩の誤訳から一日花との誤解があるが』、二『日以上咲いていることがある。朝花が開き、夕方にはしぼんでしまうものもあるが、そのまま翌日も開花し続ける場合もある』とある。なお、誤訳云々とは「白氏文集」の巻十五に載る「放言」(八一五年、上疏を越権とされて左遷され、江州の司馬となって現地へ赴く途次の舟中で詠じたもの)の一節、
松樹千年終是朽
槿花一日自爲榮
松樹は千年なるも 終(つひ)に是れ朽ち
槿花(きんか)は一日(いちじつ)なるも 自(みづか)ら榮(えい)と爲す
(松の樹は千年の寿(よわい)を保つとは言え、いつかは必ず朽ちてしまうし、朝顔の花はただ一日(ひとひ)の寿命(いのち)でも、それはそれでまたその生の栄華とする)
で、六朝東晋の文人郭璞(二七六年~三二四年)の「遊仙詩」に「蕣は朝を終へず」とあり、本邦では「槿花」は朝顔の異名でもある。されば本詩篇も現在のムクゲではなく、アサガオ(ナス目ヒルガオ科ヒルガオ亜科 Ipomoeeae 連サツマイモ属アサガオ Ipomoea nil)と採る。一九五八年岩波書店刊の高木正一注「中国詩人選集」第十三巻でもそう訳注されてある。さすれば、ウィキの言う誤訳の意も有意に強化されるからである。]
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