磯の蛸壺殼 伊良子清白
磯の蛸壺殼
北のうみ
因幡の國の
しろうさぎ
雪の降る日は
草の根齧(か)じる
白砂山(しろすなやま)に
防風が萠えて
雪のなかにも
春が來た
あらい浪打ち際
兎はおどる
北のうみべの
朝日の濱を
蜜 柑 山
山は南受(したう)け 晴南(はれみなみ)風
みかんばたけは 小六月
潮のぬくみの 熊野の浦は
蜂がみかんの 臍を刺す
靑い浦波 靑い草
冬も蒲公英 咲く路で
靑い蜜柑の 籠(かご)の山
鋏(はさみ)ちよきちよき 日が永い
註 此蜜柑山は奧熊野新宮以南の海岸潮岬近くをうたふたもの。
[やぶちゃん注:昭和五(一九三〇)年二月一日発行の『民謠音樂』(第二巻第二号)に掲載。署名は「伊良子清白」。
「防風」これは海岸の砂地に自生する多年草である、セリ目セリ科ハマボウフウ属ハマボウフウ Glehnia littoralis。本邦には北海道から南西諸島にかけて広く植生する。食用・薬用になる。花期は五~七月頃で、温暖なところほど早く開花する。花茎は立ち上がり、大きいものは五十センチメートルを越えることもあるが、一般には背は低いことが多い。白色の毛が多数生え、花序は肉質で白色、見た感じは、ごく小さなカリフラワーに似ている(以上はウィキの「ハマボウフウ」に拠る前のリンクは同ウィキの開花画像。因みに、薬草として知られる「防風」はセリ科ボウフウ属ボウフウ Saposhnikovia divaricata であって、属の異なる別種であり、しかも中国原産で本邦には自生しない)。
「南受(したう)け」初めて見る読み方であるが、小学館「日本国語大辞典」の「くだり」の方言解説で、主に東北及び北陸地方に於いて「南風」のことを「くだり」「くだりかぜ」と呼ぶことが判った。「くだりかぜ」には隠岐の採取が含まれており、伊良子清白の生地鳥取が近い。本篇は気におけない小唄民謡の拵えであるからには、鳥羽或いはロケーションの紀伊半島南部でも通用される語でなくてはならないと私は思う。それらの現地で「南風」を「したうけ」(下受け)と呼ぶ事実を御存じの方は御教授あられたい。
「小六月」陰暦十月の異称。雨風も少なく、春を思わせる暖かい日和(ひより)の続くところからいう。「小春」に同じいから、ここは初冬の頃と読み換えてよかろう。
「奧熊野新宮以南の海岸潮岬」和歌山県東牟婁郡串本町の潮岬(しおのみさき)(グーグル・マップ・データ)。和歌山県の最南端で太平洋に突出する。ここは本州最南端でもある。長さ約九百メートルの砂州で紀伊半島と結ばれた陸繋島で、標高 四十~六十メートルの海食台地から成る。台地上には上野 (うわの) ・出雲などの集落があり、各家は防風林や石垣で囲まれている。黒潮の影響で気候は温暖である。]