一ふし すゞしろのや(伊良子清白) / 河合酔茗・橫瀬夜雨との合作
一 ふ し
あやひも赤き加賀笠の
やがては嫁となる君も
あたらま白きたな首に
蛭藻からまる苗代や
七つ下りの杜のうへ
橫目を受けて卷帶の
植つかれては泥ながら
けしぎ休むる土手の芝
ほのめき出る明星の
光は水にあはけれど
苗をな投げそ苗投げて
飛沫も袖にかゝるもの
肩上ほそき撫肩や
膝にはつせば紅梅の
うつろひ易き染色を
謎にはかけぬあや襷
誰が戀さそふ橫笛か
背戶に吹なす音をきゝて
寐覺の夜半の木枕に
わりなき泪ながしたる
小窓の機に帶織りて
許せし人にくれしより
うき名そしげき藪のかげ
顏を袂におほひけり
夢はづかしき此ごろの
思を人にさとられて
うたになろともまゝよ只
なき名にあらぬ戀なれば
[やぶちゃん注:明治三三(一九〇〇)年十月十日発行の『關西文學』(第二十九号)掲載。であるが、河合酔茗・橫瀬夜雨との合作。署名は「すゞしろのや」。
「加賀笠」加賀菅笠。加賀国(石川県南部)から産出する菅笠。天和年間(一六八一年~一六八四年)の頃から流行したとされ、町家の女房や尼僧などが用いた。色が白く、糸縫いが細かくしてあり、恰好がよく、上物とされた。
「たな首」手首。
「蛭藻」「ひるも」であるが「蛭」と「藻」では気持悪過ぎ。ここは単子葉植物綱オモダカ目ヒルムシロ科ヒルムシロ属ヒルムシロ Potamogeton distinctus 或いは同属の仲間の異名であろう。ウィキの「ヒルムシロ」によれば、『浮葉性の水草で』、『また、ヒルムシロ属の種のうち、浮葉を展開するものの総称でもある』。『楕円形の葉を水面に浮かせる。穏やかな流水条件化で生育することもあり、細長い浮き葉の形はそれへの適応かとも見えるが、池などの止水にもよく出現する』。『地下茎は泥の中にあって横に這い、水中に茎を伸ばす。茎には節があり、節ごとに葉をつける。葉は互生するが、花序のつく部分では対生することもある』。『水中では水中葉を出す。水中葉は細長く、薄くて波打っている。次第に茎が水面に近づくと浮き葉を出し始める。浮き葉は細長い柄を持ち、葉身は楕円形で長さ』五~十センチメートルで、『幅』は二~四センチメートルほど。『先はやや』、『とがる。表側はつやがあって水をはじくが、ハスほどではない。葉はやや赤みを帯び、表側は黒っぽく、裏側は赤っぽく見える』。『花は夏以降に出る。葉腋からやや長い柄が出て、先端に棒状の花穂がつく。開花時には穂は水面から出て直立するが、花が終わると』、『横向きになって水中に入る』。『秋になると茎の先は膨らんで芋状になり、越冬芽を形成する』。『池や用水路で普通にみられるが、水田周辺からはほとんど消失した』。『日本では北海道から琉球列島まで、国外では朝鮮半島から中国、ミャンマーにまで分布する』。『名前の由来は蛭筵で、浮葉を蛭が休息するための筵に例えて名付けられたとされる』とある。
「七つ下り」夕七ツ(定時法で午後四時頃。不定時法だと季節的には午後四時半頃)を有「泥ながら」「ひぢながら」。
「けしぎ」不詳。「氣色」の濁音表記で、気持ちの謂いか。
「飛沫」「しぶき」。
「膝にはつせば」不詳。「發せば」で、「膝に向かって差し出した」或いは「放ったなら」だとしても、意味がよく判らない。識者の御教授を乞う。
「うき名そしげき」「そ」の清音はママ。強意の係助詞「ぞ」。
「なき名にあらぬ戀なれば」無意味な他愛もない軽い気持ちではない恋だから、の謂いか。]
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