祈禱 ツルゲエネフ(生田春月訳)
祈 禱
その祗るところが何であらうとも。人間はすべて奇蹟を祈るのである。どんな祈禱でも皆これに歸する。曰く『大いなる神よ、二二が四たることなからしめ給へ』
たゞかゝる祈禱のみが人格ある者より人格ある者に捧ぐる眞の祈禱である。宇宙の靈に祈り、上天に祈り、カントの、ヘエゲルの、實體無形の神に祈るといふ事は、あり得べき事でもなく、また考ふべからざる事である。
然し人格あり、生命あり、形體ある神なりとも、二二が四たることなからしめ得べきか?
すべての信者は『然り』と答へなければならぬ、また自らそれを信じなければならぬ。
然し理性が彼をしてかゝる不合理に反抗せしめる時はどうする?
此の時シエイクスピアがその助けに來る。曰く『ホレエシオよ、天地の間には汝の哲學で夢みられるよりはより多くの事物(もの)がある。』
しかも人々眞理の名によつて、なほも駁し來つたならぱ、かの有名な問ひを繰返しさへすれぱよい、曰く『眞理とは何ぞや?』
さらば、我等盃を舉げて樂しまう、そして祈禱をしようではないか。
一八八一年七月
【カント、獨逸の大哲學者、「純正理性批判」によつて哲學に一時代を畫した、近世哲學の鼻祖である。】
【ヘエゲル、カントに續いて起つた大哲學者、ツルゲエネフが獨逸に留學して學んだのはこのヘエゲル哲學である。】
【二二が四とは理窟に合つた事、當然の事、それが二二が五にでもなれぱ、これ卽ち奇蹟である。あり得べからざる事が卽ち奇蹟。】
【シエイクスビアは有名な沙翁、英國の大戲曲家で、このホレエシオよ云々の文句はその「ハムレツト」中にあるハムレツトの言葉である。ホレエシオはハムレツトの友人の哲學者。】
【眞理とは何ぞや、これは猶太の代官ピラトが基督に反問した文句である。】
[やぶちゃん注:「然り」は原典では「◦」の傍点。今までの注の「ヽ」の傍点を太字としていたので、かく差別化しておいた。]
« 我等なほ戰はん ツルゲエネフ(生田春月訳) | トップページ | 露西亞語 ツルゲエネフ(生田春月訳) / 「散文詩」本文~了 »