光の瀧 すゞしろのや(伊良子清白)
光 の 瀧
八月八日澗月鐡南兩子と共に河内國光の瀧にあそぶ。南河内
郡瀧畑村の山中にあり。深山窮谷の境遊客甚だ稀なりといふ。
[やぶちゃん注:本篇は明治三一(一八九八)年九月十五日少年園営業部発行の『靑年文 第壱集』に掲載されたもの。署名は「すゞしろのや」。
「澗月」掲載誌は『文庫』であるから、以下の「鐡南」と同じく『文庫』派の仲間であるが、不詳。
「鐡南」既注であるが、再掲しておくと、木村喜代子氏の論文「伊良子清白」(昭和四〇(一九六五)年(?)。「Osaka Shoin Women's University Repository」所収のもの(但し、部分)がPDFでダウン・ロード可能)に、「鉄南」について注に、『堺の覚応寺の嗣子で、本名河野通該、当時錦西小学校の教師をしていた。『よしあし章』の同人』とある。木村氏の当該論文では彼宛の書簡を引用しており、それを読むと、詩人仲間としてはかなり親密であったことが窺われる。
「南河内郡瀧畑村の山中にあ」る「河内國光の瀧」とは「河内國」の「光」(こう)「の瀧」で(詩篇本文に出るそれは音数律から確かに「ひかり」ではなく「こう」と音読みしていることが判る)、現在の大阪河内長野市滝畑にある「光滝(こうたき)」のことである。滝畑ダム上流の「滝畑四十八滝」の一つとして特に有名らしい。ここ(グーグル・マップ・データ(以下同じ)。サイド・パネルの画像も見られたい)。You Tube のスペっぷ氏の「滝畑ダム・光滝(こうたき)<大阪 河内長野市>」の6:00以降で現況動画が見られる。標題も「こうのたき」と読んでおく。
「むかひの山の名におひて」とあるが、山名は不詳。ずっと東に岩湧山はあるが、続く詩句と「岩湧」との連関が私にはよく判らぬ。しかし直後に出る「寺」はこの滝の下流直近にある光滝寺(こうたきじ)か、そうすると、やはり岩湧山か。しかし、「光の御寺の跡とかよ」とあるから廃寺の跡か(光滝寺は現存する)。やはり、よく判らぬ。現地に行かずんばならずか。
『道の聖の「時まちて、』「法の燈ともせかし、」「光の瀧つ瀨石はしる、」『音」とうたひし』
今のうつゝにうかぶなり。「道の聖」も一首も不詳。識者の御教授を乞う。
「泅ぎ」「およぎ」(泳ぎ)。
「豐けき」「ゆたけき」。豊かな。豊饒に満ちた。
「水嵩」「みかさ」。「みずかさ」で水量のこと。
「長野の里」この川(「石川」と言う)の下流の河内長野の町。]
錦織るてふ錦部の、
山は南に連りて、
和泉に界するところ、
光の御瀧は落つといふ。
嶺に棚引く朝雲の、
立ち分れ行く涼しさに、
山路に咲ける秋草の、
花も夢よりさめいでゝ、
われら三人の賓客を、
迎へがほなる野邊のさま、
稻葉の波に見えかくれ、
社の杜もそよぐなり。
さ百合の花ををらんとて、
友の一人があやふくも、
まろびしこともおもしろく、
うなゐの兒等に伴ひて、
草刈歌をおぼえしも、
鄙の放路の興なりき。
百合野の川の岩かねは、
垂る蘿にうづもれて、
暗き峽間を流れ去る、
水に音なき淵の底。
むかひの山の名におひて、
扇に畫く秋の色、
露に洗へるてふてふの、
羽がひもかろく舞ふやらむ、
棗(なつめ)實れる賤が家に、
筧の水の音澄みて、
炭を荷へる黑駒を、
門の榎樹に繫ぎたり。
松杉立てる瀧山の、
麓の里は疎らなる、
烟の中の竹林、
人をとがむる犬ぞなく。
丸木の橋をうち渡り、
靑葉の中を分けくれば、
山の半ばに荒れたるは、
光の御寺の跡とかよ。
七堂伽藍榮えたる、
昔の夢の影もなく、
たゞ戀祈る人のため、
佛は殘りたまふらむ。
か黑き髮を結びたる、
御堂の柱かたぶきて、
僞ゆゑにうせしてふ、
女の恨のこるなり。
御寺の友は小枝さす、
木々のしげみに包まれて、
しぐるゝ蟬の聲のみぞ、
靜けき晝をまもりたる。
流をせきてさかのぼる、
瀨々の白波冷やかに、
水窮りて谷窄み、
石橫たへて道もなし。
四十八瀧山深く、
百合の岩窟(いはや)をきて見れば、
五つ重る花瓣の、
北に向ひて開くかな。
瀧の花蘂(しべ)ま白なる、
萼(うてな)の底に咲きみだれ、
山の嵐の吹き立ちて、
千本の糸は搖ぐなり、
綠の空は低くして、
沈める影を行く雲の、
天つ光はいつの日か、
瀧のしぶきにはるゝらむ。
光の御寺の御佛の、
この瀧壺を出でませし、
遠き例も見ゆるまで、
道の聖の「時まちて、
法の燈ともせかし、
光の瀧つ瀨石はしる、
音」とうたひし面影の、
今のうつゝにうかぶなり。
友の二人は衣ぬぎて、
淸きながれに泅ぎつゝ、
われは岩ほを攀ぢのぼり、
香れる草の上をふむ。
うたゝねさそふ鳥の音は、
佛法僧の聲にゝて、
祕密の森にあらねども、
さびしき秋にたへかねて、
水もすみうく思ふらん、
流れて洞を去ぬるめり。
かへさの道に夕立ちて、
雨やどりせし瀧畑の、
賤が女の物語り、
みは山家の米搗きて、
都の花は知らねども、
豐けき秋の祝賀とて、
去年の祭も賑ひき、
紅葉のころはまた來ませ、
滝の水嵩やまさるらん、
村の男が網張りて、
魚捕る業も見ませやと、
をしへくれしはわすられず。
峪をいでし山川の、
秋の光に照らされて、
虹こそかゝれ西東、
彼方此方にたちきれて、
あまり景色のをかしさに、
よろしき歌もよみつれど、
長野の里に酒酌みて、
醉の心地にまぎれつゝ、
殘らず忘れはてにけり。
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