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2019/06/02

通草の花 すゞしろのや(伊良子清白)

 

 

通草の花

 

 

  夏のはじめ下鴨神社に詣でゝ

 

夏まだあさき下鴨の、

御手洗川の水澄みて、

糺の杜の下草に、

神代ながらの風ぞ吹く。

 

馬場の櫻も若葉して、

祭の車すぎにけむ、

跡こそ見えね氏人の、

葵かざすもなつかしく。

 

すめらみことの御使の、

駒を下りさせ給ひけむ、

朱の御門の見えがくれ、

藤浪松にかゝるなり。

 

舞殿(ぶでん)の柳糸のびて、

乙女の袖や招くらん。

紫うすき閉帳(へいてう)の、

錦垂れたり神の前。

 

かしは手うてばしんしんと、

茂れる森に谺して、

はるかのをちゆきこえくる、

振鈴(しんれい)の音幽かなり。

[やぶちゃん注:本詩篇の発表は四月三十日であるから、恐らく前年の明治三〇(一八九七)年の祇園祭の追想吟である。描かれてはいないが、或いは、第三篇目の秋山光子との思い出なのかも知れぬ。

「閉帳(へいてう)」のルビ「てう」はママ。

「をちゆ」「遠(を)ちゆ」(「ゆ」は上代の格助詞)で「遠くより(から)」の意。]

 

 

  熊野の浦

 

荒布刈るとて汐かづく、

少女もつねのをとめにて、

すがた優しく匂へるを、

海松かと髮のみだれては、

かざるねがひもなかるらむ。

世のなりはひはさまさまに、

おのがこゝろのまゝながら、

かゝる業しもならひては、

藻鹽のけぶりのぼるまも、

やすきおもひはなきものを。

 

熊野の浦の八鬼山の、

麓の海は浪荒く、

棚なし小舟漕ぎいでゝ、

月見るほかに春秋の、

花も紅葉もあらざらん。

 

都こひしきほとゝぎす、

東雲かけてなくものを、

遠くはなれてさすらへば、

み墓にしげる夏草も、

露のやどりとなりつらむ。

 

ゆるせわが背子ながきみに、

おくれまつりし夕べより、

女の操まもれども、

勇魚吼えよるこの浦の、

海士の手業の馴れざれば。

 

[やぶちゃん注:物語風の恐らくは架空の少女の哀切な物語詩であるが、そのロケーションを東にずらせば、次の伊勢湾であり、そこに次篇の実在の少女で伊良子清白が妹のように可愛がった秋山光子が登場するというのは、明らかな確信犯である。ちょっと憎くなった。

「荒布」「あらめ」。不等毛植物門褐藻綱コンブ目レッソニア科 Lessoniaceaeアラメ属アラメ Eisenia bicyclis。私の「大和本草卷之八 草之四 海藻類 海帶(アラメ)」を見られたい。

「海松」「みる」。緑藻植物門アオサ藻綱イワズタ目ミル科ミル属ミル Codium fragile。万葉以来と同様、ここは単に藻苅りに「見る」を掛けた。

「八鬼山」既出既注であるが、再掲しておくと、「やきやま」と読み、現在の三重県尾鷲市九鬼町(くきちょう)(グーグル・マップ・データ)にある六百四十七メートルの山である。熊野古道伊勢路の途中にある。]

 

 

  都 の 錦

 

 秋山光子ぬしのこたび高等女學校を卒業して鄕里
 安濃津にかへり給ふをおくるとてよめるうた。

[やぶちゃん注:「秋山光子」不詳。

「安濃津」「あのつ」と読み、三重県津市の古代以来の古称。

「高等女學校を卒業」京都府高等女学校か。当時の学制では数え十歳以上で入学で基本は六年制であったから、満十五歳以上で卒業となる。伊良子清白は、この時、京都医学校在学中で満二十一。]

 

磯菜摘むてふ伊勢島や、

逸志の浦の朝凪に、

眞珠を拾ひたまふとも、

このうれしさをいかでさは、

やすくは忘れたまふべき。

 

柳のしなひ花のこび、

松のみさをの色深く、

都のにしきおりはへて、

けふこそきみが故鄕に、

着飾りたまふ生日なれ。

 

三年のまえよゆくりなく、

交際(あそび)のにはに君とあい、

故鄕人ときゝしとき、

ひき給ひたる琴の音の、

わきてそゞろにひゞきしが。

 

たらちの君はわが父と、

親しみませし中なれば、

をさなあそびのたはぶれに、

わが家の椎の木陰にて、

二人木の實をひろひしを。

 

おなじ旅なる都にて、

逢ふもえにしか緣なる、

はらからとしもおもふまで、

こゝろつたなきわれをさへ、

君はたよりとたのみつゝ。

 

かたみに物をうちあけて、

いかにせばやと尋ねあひ、

はかりしこともありつるを、

今日しも君を送りては、

たとへがたなのおもひ哉。

 

さはいへ速く足乳根の、

門邊にたちてまちまさん。

とく行きませや故鄕に、

都のにしきかざりなば、

きみならずとも榮(はえ)あらん。

 

靑柳なびく鴨川の、

岸まできみを送りきて、

大日枝の山をながむれば、

霞こめたる春の日に、

雁もみやこを去ぬるなり。

[やぶちゃん注:「逸志の浦」「いちしのうら」。「一志(いちし)の浦」。一志郡は現在の津市の一部と松阪市の一部を含む当時の旧郡(古くは「いし」と読んだ)。東部分で伊勢湾に接する。

「生日」「いくひ」。吉日。よき日。

「故鄕人」「をさなあそびのたはぶれに」「わが家の椎の木陰にて」「二人木の實をひろひしを」。伊良子清白(暉造(てるぞう))は生まれは現在の鳥取県鳥取市河原町曳田(グーグル・マップ・データ。以下同じ)であるが、この場合の「故鄕」は「故山」と同じく、生地以外に「嘗つて(特に若い頃に)長く住みなれた土地」の意で、清白は明治二十一年十一歳の時、父政治(まさはる)が三重県津市の旧下部田、現在の栄町(県庁前公園附近)辺りに家族で転居して医院を開業し、清白は津市立立誠(しっせい)尋常小学校(現在の津市立南立誠小学校)に転校、翌年、津市立養正小学校高等科に入学して一年を終了後、私立四州学館に入学、その翌明治二三(一八九〇)年四月、三重県尋常中学校(現在の三重県立津高等学校)に進学した(この年で満十三歳)。その後、明治二七(一八九四)年満十七で単身、京都に出、私立医学予備校に通い、翌年四月、京都医学校入学の運びとなったのである。

「はらからとしもおもふまで」「今日まで兄妹とのような感じで年来思うてきた」といった感じか。二人の年齢差は六つ以下であるから、腑に落ちる謂いである。

「大日枝の山」比叡山を指す古称。]

 

[やぶちゃん注:明治三一(一八九八)年四月二十日発行の『文庫』掲載。署名は「すゞしろのや」。標題の「通草」は「あけび」でキンポウゲ目アケビ科 Lardizabaloideae 亜科 Lardizabaleae 連アケビ属 アケビ Akebia quinata のことであるが、詩篇本文には全く読み込まれていない点で特異である。アケビは雌雄同株の雌雄異花で、春(四~五月)に総状花序の淡紫色の花をつけ、花序の先の方に雄花が、基部に雌花が開く。花被(かひ)は三枚(ひら)で、雄花には六本の肉質の雄蕊と、退化した心皮があり、雌花には六~九枚の心皮があり、雄蕊は退化して小さくなっている。

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