志摩の神島 伊良子清白
志摩の神島
志摩(しま)の神島(かみしま)
岩山で
冬涸(が)れ米硏ぐ
水もない
をとこをんなの
餅搗は
水の涸れたる
岩山で
水はなうても
餅は搗く
空臼(からうす)搗くのか
かんからかん
註 神島、伊勢灣口の小島、全島巖石を以
て成り水利最も乏し。冬天降雨なきとき
は岸の伊良子より水を搬入すといふ。
[やぶちゃん注:昭和五(一九三〇)年四月一日発行の『民謠音樂』(第二巻第四号)に掲載。署名は「伊良子清白」。
「神島」伊勢湾口の中央部やや渥美半島の伊良湖(いらご)岬寄りに位置する三重県鳥羽市神島町(ちょう)神島。周囲三・九キロメートル、面積〇・七六平方キロメートル。後の三島由紀夫の「潮騒」の舞台になったことで知られる(但し、作中の島名は神島の古名「歌島(うたじま)」)。現在の人口は三百人ほどで過疎化が進んでいる。参照したウィキの「神島」によれば、『古くは、歌島(かじま)、亀島、甕島などと呼ばれた。神島の名が示すように、神の支配する島と信じられていた。後に八大龍王を祭神として八代神社(やつしろじんじゃ)が設けられた。神社には、古墳時代から室町時代にわたる総数百余点の神宝が秘蔵されている。各種の鏡(唐式鏡、和鏡)や陶磁器などである』。『鳥羽藩の流刑地であったため、志摩八丈と呼ばれたこともあった』とあり、『かつては水を島内の』二『か所の小さなため池と井戸のみに頼っており、水不足にたびたび悩まされた』昭和五四(一九七九)年になって、やっと『鳥羽市より送水されるようになったが、本土の鳥羽市内も頻繁に水不足に悩まされる地域であったことから、鳥羽市とともに神島を含む離島も』、『また』、一九九二年四月より「南勢志摩水道用水供給事業」によって三重県松阪市飯高(いいたか)町の蓮(はちす)ダムから『給水を受けている。蓮ダムからの安定した給水により、水洗トイレ普及率が』百%に『なるなど』、『島民の生活の質が大幅に改善された。しかし』、二〇〇七年十月には、『船舶の投錨を原因とする海底送水管の破損により』、『島全体が断水する事態に陥った』りもしたとある。]