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2019/06/13

嵐の山 清白(伊良子清白)

 

嵐 の 山

 

嵐の山に來て見れば、

花は雪とぞ降りにける。

渡月橋上、繁華(はんげ)の子、

袖振りあふも名所かな。

 

一年前に花咲いて、

人のこゝろの切なりし。

二年前にはな散りて、

人の姿の艶なつし。

あはゝ、それは昔の物語。

 

今復た來る、天龍寺。

松の綠の深くして、

――深くもよしや、松は常盤木。

斷膓の音、鳴るは梵鐘。

 

我や捨てけむ、人やまだ

われを捨てけむ、辨へず。

落花風前、春は盡く。

戶無瀨に啼かむ、郭公鳥。

 

狂亂の躰(てい)、身は空殼、

流を渡り、峯を越え、

花の吹雪に、いざさらば、

消えて去なうよ、消えて去なうよ。

 

  (見れば可愛(いたいけ)、少人の、

  十三詣で、京の兒等、

  綺羅錦繡に身をまとひ、

  一步ふめば、轉法輪、

  二步ふめば、常樂土、

  此世からなる天人界。

  あらけたゝまし、屋方船、

  何に驚く、笛太鼓、

  またきこゆるは、天竺の、

  迦陵頻伽の歌の聲。

  蛾眉玉顏の花の盛りは、

  千々の黃金も擲たん。)

 

可笑しや心亂れては、

花を惜むの情(なさけ)だになし。

耳目に障る人間の、

行樂況して羨むべき。

 

ふりしきる雪、花の木蔭、

飛で四方に散亂し、

地(つち)を叩き水を撲ち、

咒咀(のろひ)の聲は、われ乍ら

あら面白の景色かな。

あはゝ、死ぬともうらまじ。

 

[やぶちゃん注:明治三九(一九〇六)年一月一日発行の『白鳩』(第一巻第三号)に掲載。署名「清白」。同年、伊良子清白、満二十九歳。底本全集年譜に『一月、旧年来の父の負債の負担、保険会社の職場環境との不適合などが嵩じ、また早稲田派の台頭で』、古巣の雑誌『文庫』『からも旧風が放逐されていく傾向』があからさまに現われてきていること『に不満を』抱き、『詩壇と訣別する意思を固めた』とある。また、三月頃には、河合酔茗が辞めた後の『文庫』の詩欄の選者問題では同人らと齟齬をきたしたりもした、とある。一方で自らの隠退の決意の証としたか、詩集「孔雀船」の出版への動きも同時進行で起こしている。また、三月末、現在の浜田市内にあった島根県立細菌検査所赴任の話が持ち上がり(赴任後は浜田則天堂病院副医院長を兼務)、酔茗ら詩人仲間の反対を押し切って、四月二十九日、六月には出産をひかえていた幾美を遠縁の人物に託して、再び東京の地を踏まぬかも知れぬという思いで、単身、旅立ち、大阪から瀬戸内海を海路で向かって、五月六日に着いているが、さても、その前日の五月五日、東京の左久良書房から彼の唯一の単行詩集「孔雀船」が刊行され、七日後の十二日、自らの詩集を手にしている(六月二十四日に長女が誕生)。本篇に漂うネガティヴな雰囲気、ある種、世紀末的「今様」風の趣きは、こうした伊良子清白自身の鬱屈を反映していると読めるように思われる。

「戶無瀨」「とむせ」と読み、京都市西京区嵐山にある渡月橋上流の古い地名。歌枕で紅葉の名所。

「空殼」私は「しひな(しいな)」と読みたい(「うつがら」の読みもあるが、如何にもリズムが悪いし、響きも悪い)。漢字表記は「粃」「秕」で、本来は、殻(から)ばかりで実のない籾(もみ)の意で、転じて、草木の果実のよく稔っていないものとなり、さらに広義に「中身の欠けているもの」「空っぽのもの」「価値のないもの」の意となった。

「況して」「まして」。]

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