けんけん白雉 伊良子清白
けんけん白雉
けんけん白雉(しろきじ)飛んで來(こ)い
農鳥山(のうとりやま)からとんでこい
赤石山(あかいしやま)からとんで來い
けんけんほろほろ飛んでこい
けんけん白雉脚(あし)起たず
けんけんほろほろ眼も昏れる
黃ろい蹴爪(けつめ)に血が慘む
紅い鷄冠(とさか)は色褪せる
けんけん白雉孤(ひと)り鳥(とり)
よべばこたへる空の聲
春の雪間の蝦夷櫻(えぞさくら)
苧環草(をたまぐさ)も花咲かず
けんけん白雉山の鳥
氷る翼の寒苦鳥(かんくてう)
高い頂(いただき)雪しぶき
音はひようひよう雲の中
けんけん白雉はなれ鳥
白日(まひる)戀しき番鳥(つがひどり)
山の牢屋の巖(いは)の室
白い火をきる鳥のこゑ
けんけん白雉神の鳥
凍(こほ)る現身(うつしみ)魂(たま)燃ゆる
雲路故鄕(ふるさと)虹の國
遠い日影が淡々と
[やぶちゃん注:昭和九(一九三四)年三月三日附『伊勢新聞』に掲載。署名は「伊良子清白」。底本は総ルビに近いが、五月蠅いので、パラルビとした。「けつめ」はママ。この年、伊良子清白、満五十七歳。底本の「著作年表」では、この年の詩篇はこの一篇のみである。この発表の直前の二月十四日、盟友の橫瀬夜雨が満五十六で亡くなった。清白は同じ二月二十六日附『伊勢新聞』に追悼文「横瀨夜雨の思ひ出」を、後の四月一日発行の『女性時代』にも彼への追悼である「憶ひ出」を掲載している。
「白雉」キジ目キジ科キジ属キジ Phasianus versicolor の亜種類(シマキジ Phasianus versicolor tanensis(本州の伊豆半島・紀伊半島・三浦半島・伊豆大島・種子島・新島・屋久島)・トウカイキジ Phasianus versicolor tohkaidi(本州中部・四国)か)のアルビノ(albino:白化個体)或いは、長崎を経由して舶来してきた大陸産のキジ目キジ科キジ属コウライキジ Phasianus colchicus のアルビノか、同様に齎された、本邦のキジに体型が酷似した、大陸産のキジ科 Phasianidae の仲間のアルビノ。無論、アルビノは少ないが、稀有ではない。「和漢三才圖會第四十二 原禽類 白雉(しらきじ)」及び「和漢三才圖會第四十二 原禽類 野鷄(きじ きぎす)」の私の注を参照されたい。
「農鳥山(のうとりやま)」三重県内とすると不詳だが、次の「赤石山(あかいしやま)」を赤石山脈(南アルプス)の長野県と静岡県に跨る赤石岳(あかいしだけ:標高三千百二十一 メートル)と措定するなら、同じ赤石山脈の、山頂が山梨県と静岡県の県境に跨る農鳥岳(のうとりだけ:標高三千二十六メートル。直線で赤石岳の北北東約十九キロメートル位置。ウィキの「農鳥岳」によれば、『北岳・間ノ岳』(あいのだけ)『とともに白峰三山の一つに数えられる。名前の由来は、春に山頂東面に白鳥の形の残雪(雪形)が現れるためだとされている』。『しかし、似たような形の残雪は間ノ岳にも現れるため、明治時代までは現在の間ノ岳が農鳥岳と呼ばれる場合もあるなど、呼び方は一定していなかったようである』ともある)がある(孰れもグーグル・マップ・データ)。しかし、ここで突如、ロケーションとして赤石山脈が登場するのは違和感があるから、或いは三重県・奈良県の山名の異名(ネットでは確認出来ない)である可能性があるようにも思われる。ただ、「氷る翼の寒苦鳥(かんくてう)」/「高い頂(いただき)雪しぶき」/「音はひようひよう雲の中」という第四連は赤石山脈らしくはある。識者の御教授を乞う。
「蝦夷櫻(えぞさくら)」バラ亜綱バラ目バラ科サクラ属オオヤマザクラ Cerasus sargentii は北海道・北陸・中部地方以北・山陰・四国(剣山・石鎚山脈)等に自生する野生種の桜で、北海道に多く植生していることから、この異名を持つ。
「苧環草(をたまぐさ)」モクレン亜綱キンポウゲ目キンポウゲ科オダマキ属 Aquilegiaの内、本邦にはオダマキ変種ヤマオダマキ Aquilegia buergeriana var. buergeriana 及び高山性の同変種ミヤマオダマキ Aquilegia flabellata var. pumila が自生する。
「寒苦鳥(かんくてう)」ヒマラヤに住むとされた想像上の鳥。終夜、雌は夜寒を歎いて鳴き、雄は「夜が明けたら巣を作ろう」と鳴くが、夜が明けると、朝日の暖かさに夜寒を忘れてそのまま巣を作らないで怠けるとし、仏教では、この鳥を「怠けて悟りを求めようとしない人」に譬える(ここは小学館「日本国語大辞典」に拠った)。]