葡萄の葉蔭 すゞしろのや(伊良子清白)
葡萄の葉蔭
(夜雨に代りて)
風しつかなる葡萄葉に、
ふかくひそめる紫の、
房をつむとて秋されば、
白き小指や染むるらむ。
たけの髮だにみだれねば、
花の插頭はさすべきを、
少女さびすとよそほはぬ、
ふりの袖こそさとびたれ。
露まだ深き下かげに、
よめらぬきみとさまよへば、
なれしものからまのあたり、
筑波のやまぞつゝましき。
色よき房をみ手つから、
袂のなかにさしいれて、
くちにふくめとのらするを、
まほにきくこそ胸痛め。
ますらをのこにましまさば、
やさしかりなむみことばを、
いろせのきみとなぞらへて、
つきぬおもひをかたらむに。
沈むおもてに見かへりて、
朝雲まよふ葡萄葉に、
まみをそむくるわが影を、
病とつらく見ますらむ。
慕へる人はおはさずも、
とつぎたまはゞうるはしく、
秋のこのみのうるゝとも、
ともには房はつまれえじ。
漣白きとばの江の、
岸べの里に月し見て、
慰めもなき人のよに、
なきぞをはらんわれなれば。
[やぶちゃん注:明治三三(一九〇〇)年二月二十日発行の『よしあし草』掲載(前の「枝垂櫻」と併載)。署名は「すゞしろのや」。「夜雨に代はりて」は「橫瀬夜雨(の感じている詩的気分)になり代わって」の意で、夜雨との合作「常陸帶」で既に述べた通り、伊良子清白はこの年の一月十日頃に上京した直後、筑波山麓横根(よこね)村(旧真壁郡横根村、現在の茨城県下妻(しもつま)市横根か。ここ(グーグル・マップ・データ))。筑波山の裾野の西方、小貝川の右岸)に夜雨を訪れ、初対面であったが、一ヶ月も滞在した。公開日時から見ても、そこでの親しい交友体験を回想して詠まれたものと推測される。登場する少女は如何なる人物かは判らぬが、実際に交わった土地の娘で、幻像ではあるまい。
「少女さびす」「をとめさびす」で、「乙女らしい優しい振る舞いをする」の意。
「さとびたれ」「里(俚)びたり」で、本来なら「田舎染みていて洗練されていないさま」「雅びでない様子」であろうが、ここは寧ろ肯定的に如何にも素朴で初々しい、妙に気取ったところがなく自然体である、の謂いであろう。
「病」「常陸帶」で既に述べた通り、夜雨は佝僂(くる)病であった。]