枝垂櫻 すゞしろのや(伊良子清白)
枝 垂 櫻
さても見事なおつゞら馬や、
海道百里の花盛。
七つ布團に曲碌すゑて、
ふとん張りして小性衆を乘せて。
小性衆の刀の朱塗のさやに、
しだれ櫻がしなだれかゝる。
靑貝摺の鐙の前に、
湖は漣八重霞。
霞漂ふ一夜の夢を、
蝶になりたや妓(よね)とねて。
葦にゆらるゝ月ならよかろ、
立つは白浪映るは柳。
小舟作りてお夏をのせて、
花の淸十郞に櫓を押さしよ。
裾は岩間の紫菫、
杉の林に富士さが見ゆる。
お城のご門で拜んだ山を、
くつわとりとり背にしよとは。
十里廿里に名の鳴る男、
伊達でくらそと思うてゐたに。
馬の口とり手綱を曳けば、
紙衣着るより肩身が狹い。
ざんざ松風ねざめのまゝを、
鷄も鳴かぬに別れて來たが。
千髮房々衣裳のこなし、
袖は振袖京染模樣。
染て悔しきあゐねずみ、
行燈暗かろ獨ねて。
覆ひかけたる長刀袋、
うす紫の笠袋。
光漂ふ蒔繪の長柄、
白い牡丹が二片三片。
影が映れば卯の花月毛、
湖は五色の唐錦。
箱根八里は狐が化かす、
殿さ急きやれけんざ笠。
關所こゆれば秋津の宮の、
森が見えますほのぼのと。
[やぶちゃん注:明治三三(一九〇〇)年二月二十日発行の『よしあし草』掲載。署名は「すゞしろのや」。「急き」はママ。
「つゞら馬」「葛籠馬」。江戸時代、背の両側に葛籠を附けた馬。
「曲碌」「曲彔」「曲祿」とも書く。椅子の一種。背凭れの笠木がカーブしているか、または背もたれとひじ掛けとがカーブした一本の棒で繋がっていることを特徴とする。「曲彔」という言葉は「曲彔木」の略で、「彔」は「木を斫(はつ)る」という意味で、「木材をはつってカーブをつくった椅子ということになる。現行でよく見かけるのは法会(ほうえ)の際などに僧が用いる脚の附いた椅子(背の倚り懸かる部分を半円形に曲げて脚をX字形に交差させたもの)であるが、背に鞍の上に附属させた花嫁御寮や荷を安定させるための座椅子様のものを指しているのであろう。
「妓(よね)」「娼(よね)」。ここは美人・美女の意。
「ざんざ」副詞。松風の音などを表わす一種のオノマトペイア。
「卯の花月毛」「卯の花」は実花ではなく「月毛」を修飾している。月毛は原毛色が栗毛又は栃栗毛の、見た目ではクリーム色から淡い黄白色の被毛の馬を指すが、ここはその中でも極めて「卯の花」のように白色に近い毛色の馬であることを指している。
「けんざ笠」不詳。「験者笠(げんざがさ)」と思って調べたが、そんな名の被り笠はない。識者の御教授を乞う。
「秋津の宮」私はここまでの道程から、「秋津」は日本列島を反転させたような(と私は勝手に幼少期より思っている)「芦ノ湖」で、その「宮」は「箱根神社」だと読んでいた。「關所こゆれば」との位置関係も合致するからであるが、困ったことに「芦ノ湖」を「秋津」と呼ぶ古名なく、「箱根神社」を「秋津の宮」と呼んだ古例もないのであった。さてさてここも識者の御教授を乞うものである。]
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