小泉八雲 神國日本 戶川明三譯 附やぶちゃん注(90) 產業上の危險(Ⅱ)
一八七一年の維新から、一八九一年の第一議會開會に至るまでの、人を困惑せしむるやうに迅速な近時の世相の變化を考へて見ると、十九世紀の中葉までは、此の國民は、二千六百年前のヨオロツパの族長社會に普通な狀態のままで居た。社會は實際既に分解の第二次の時代に入つて居たのであるが、併し唯だ一つの大革命を經たのみであつた。それから此の國は、なほ二つの最も異常な種類の社會革命を突然急いで過ごさせられたのである。この革命の特長カるものは、廢藩と、武士の抑壓と、貴族の軍隊に平民の軍隊が代つた事と、一般人民に選擧權を附與した事と、一つの新たな庶民團體の急速な形式化と、產業の發展と、富豪の一新貴族階級の勃興と、政府が人民を代表するに至つた事とであつた。『舊日本』には富裕で勢力ある中產階級の發達は決して無かつた。昔のヨオロツパの社會に於て、貧富間の最初の政治的爭鬪を、自然に起こさしめた彼の產業發達の狀態に近いものすらもなかつた。『舊日本』の社會組織は、產業の壓迫を不可能ならしめた。商人階級はいつも社會の底に置かれて居た――少しく高い進化をした社會では、大抵金力に左右されて居る人々の足下にさへも置かれて居たのであつた。然るに今やこれ等の商人階級は、解放され大なる特權を與へられて貴族の支配階級の力を默々裡に迅速に奪ひながら――最も重要な位置を占めんとして居るのである。そして新事態の下に、日本民族の歷史では、これ以前に決して知られなかつた諸〻の社會的不幸が發達しかけて居るのである。東京の貧民で每年の住居稅を拂ふ事を得なかつた者は五萬以上あつて、しかも其の稅は僅に二十錢[やぶちゃん注:明治三三(一九〇〇)年で白米一升が十二銭、散髪料が十銭であった。]則ちイギリスの金で五ペンスであつたといふ事實に徵して、此の困難が如何いふ者[やぶちゃん注:「どういふもの」。]であつたかが幾分窺はれる事である。少數者の手に富の蓄積が未だ行はれなかつた時には、日本の何處へ行つたところで、こんな窮乏は――勿論戰爭の一時的の結果は別として――決してなかつたのである。
歐洲文明の初期の歷史にはこれと類似の點がある。ギリシヤ、ラテンの社會では、民族 gens のの解散の時迄は、近代の意味での貧窮といふものは無かつた。奴隷は、極僅少の例を除くの他、唯だ溫和な家族的の形式で存在して居た。まだ商人の寡頭政治といふものも無かつたし、產業上の緊迫といふものも無かつた。そして多くの都市や、州は、政治的勢力が、初期の王達から奪はれてしまつた後には、宗敎上の役目をも兼ね行つた軍人の貴族が統治して居た。當時はまだ近代の意味での商賣といふものは餘り無かつた。そして通貨として金が流通されるやうになつたのは、やつと紀元前七世紀の事であつた。困窮は世に存在しなかつた。祖先禮拜に基づいた族長的制度の下には、荒廢或は飢饉の爲めの一時的現象より以外には、貧窮の結果として起こる不幸はなかつた。若し斯くの如き事情から窮乏が起こるとすれば、それは總ての者に同樣に起つたのである。斯樣な社合狀態に於ては、各人は誰れか他人の爲めに役目をして、其代償として生活のあらゆる必需品を受けて居る、生活の問題に於いて心を勞する必要は誰れにもない。また自給自足のかかる族長的社會には、金錢の必要も餘りない、物々交換が商賣に代つて居るのである……。あらゆるかうした點で、『舊日本』の狀態は、古代ヨオロツバの族長的社會の狀態に極めて類似して居た。『氏(うぢ)』卽ち族(クラン)が存在した間は、戰爭、飢饉、或は疫病の結果としての他、何等の困窮もなかつた。小さな商業階級を除くの他は、社會全般に亙つて、金錢の必要は稀であつた。そして當時存在したやうな通貨は、一般の流通には殆ど適して居なかつた。稅は米及び他の製產品で拂はれた。大名がその家臣を扶養したやうに、武士はその家來を養ひ、農民はその勞働動者の、工匠はその徒弟と職人の、商人はその手代小僧の面倒を見た。あらゆる人が食を與へられて居た。そして少くとも平時には食にあり附かずに居るといふやうな事はなかつた。職人が食を得なくなるといふやうな事が存在し始めたのは、日本の藩制の解散に及んでからの事である。そして古代ヨオロツパに於て、解放された被護階級と平民階級とは、同樣な狀態の下で、發達して一種の民的團體となり、選擧權やあらゆる政治的權力を求めて喧囂したやうに、日本に在つても、普通人民は自衞の爲めに、政治的本能を發達させたのであつた。
ギリシヤ、ロオマの社會に於て、如何に宗敎的傳統と軍事的勢力に基づいた貴族政治が、富者の寡頭政治に屈服しなければならなかつたか、それに次いで、一種の民主的――近代の意味のではなく昔のギリシヤの意味に於ける民主的――政治が如何にして起つたかは、人の知つて居る處であらう。もつと後の時代になると、民衆的選擧の結果は、此の民主政治の解放となり、貧富間の殘虐な爭鬪の創始となつた。その爭鬪が始まつた後は、ロオマ人の征服が强制的に秩序を囘復した迄は、人命にも財產にも最早安全といふものはなかつた……。さて、日本に於ても、日ならずして此の古代ギリシヤの無政府狀態の歷史を繰返す。强い傾向の起こる事が、强ちあり得なくもなささうに思はれる。貧窮の不斷の增加と民衆の壓迫と、新產業階級の手に富が蓄積される事に伴なつて、危險は明白になつて來る。今迄國民は、その過去の經驗に依賴し、その支配者を默々裡に信賴して、あらゆる變化をよく忍んで來たのであつた。併し此の悲慘を其の儘に抛棄[やぶちゃん注:「はうき(ほうき)」。「放棄」に同じい。]して增大するに委せ、如何にして餓死を免るべきかが、一般民衆の必須な問題となる場合が萬一起こるとすれば、長い忍耐も長い信賴も此處に終はるであらう。それから、ハツクスリイ敎授[やぶちゃん注:既出既注。]がうまく用ゐた形容を繰返すと、『原始人』は、『文明人』が自己を死の影の谷間に追ひ込んだのを知つて、蹶起して自らその解決を脊負つて立ち、生存の權利擁護の爲めに、獰猛に鬪ひを始めるかも知れぬ。民衆の本能力は、此の不幸の第一原因が、西洋の產業的方法を輸入したのにある事を判斷出來ない程鈍ではないから、かかる動亂が何を意味するかを考へると寒心に堪へない。併し今や五十萬人を超過すると計算されて居る悲慘な職工階級の狀態を改善せんが爲めに、何等重要な事業も行はれては居ないのである。
[やぶちゃん注:以下、一行空け。]
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