小泉八雲 神國日本 戶川明三譯 附やぶちゃん注(73) 神道の復活(Ⅳ) / 神道の復活~了
吾人が或る廣大な政治的急變をその細目――運動の諸要素、直接の因果の連絡、强大な人格の諸影響、個人の行動を强要する諸條件――に於てのみ考案すると、――その變化は優秀な精神を有つた數人の仕事が齎した權利のやうに見え勝ちである。則ち吾人は恐らく、これ等の人々自身が、その時代の產物であつた事を忘れ、かかる急速なる變化は、皆個人の知的活動を代表すると同時に、同じく國民的本能或は種族の本能の働を必らず代表して居るものである事を忘れて居るのである。明治維新の出來事は、危險に當面して、かかる本能が活動した事――環境の突然の變化に對する內部の諸關係のそれによく對應した事――を不思議に說明して居る。國民は新條件の前には、昔の政治的制度も無力である事を知つた、そして國民はその制度を變改した。彼等は武權的組織の、國を防禦するに足らない事を知つた、そしてその組織を改造した。豫想せざる必要條件と當面しては、彼等の敎育制度も無用な事を知つた、そこで彼等はその制度を變更し――同時に佛敎の力を切り剪んでしまつた。若しさうしなかつたなら、佛敎は要求された新發達に重大な反對を提出したかも知れなかつたのである。そして最大危險に頻したその時に、國民の本能は、それが最もよく倚賴[やぶちゃん注:「いらい」。倚(よ)り懸かるように頼る。「依頼」に同じ。]し得た道德上の經驗に直に立ち戾つた、――その經驗といふのは、何等の疑念をも挿まない從順な宗敎である處の祖先祭紀の内に、具現して居たものであつた。神道の傳統に倚賴して、人々は太古の神々の後裔なる彼等の統治者の周圍に參集し、抑へる事の出來ない信仰の熱心を以てその意志を待つた。天皇の命令を嚴守する事によつてのみその危險は避け得られるであらう、――それ以外には決してこれを避け得る方法は無かつた。これが國民的確信であつた。而して天皇の命令といふのは、單に國民は學問に精勵して、能う限り、その敵と智力上、比肩し得るやうに努力すべしといふ事であつた。この命令が如何に誠實に遵奉されたか――此の種族の古來の道德上の訓練が、この危急存亡の秋[やぶちゃん注:「とき」。]に常つて如何によく國民の役に立つたかは――私が云ふ必要は殆どない。日本は自ら獲得した力の權利で近代の文明國に伍したのである、――則ち、その新軍事組織によつて恐るべきものとなり、實際的科學の方面に於ける成功によつて尊敬すべきものとなつたのである。そして三十年の間に此の驚くべき自己の進步を遂げた力は、正に日本がその祖先の宗敎なる古い祖先祭祀から得た道德的習慣に依つたのである。此の手柄を公平に測らんとするには、日本[やぶちゃん注:「日本という国家の子供が」という擬人法。]が學校に通學し始めた時には、日本は如何なる近代のヨオロツパの國よりも、少くと二千七百年は進化の點で、若かつた事を考へなければならないのである……。
[やぶちゃん注:「日本が學校に通學し始めた時には、日本は如何なる近代のヨオロツパの國よりも、少くと二千七百年は進化の點で、若かつた事を考へなければならない」この擬人法は、例えば「明治維新」(明治改元の明治元年旧九月八日(一八六八年十月二十三日))や、その前年の慶応三(一八六七)年の「大政奉還」をそれとするなら、汎世界的レベルに於ける原初の「国家」の生誕は、機械計算で紀元前八三〇年前後となる。よく判らないが、ギリシャ生まれである小泉八雲は、紀元前八〇〇年頃にギリシア各地で都市国家ポリスが誕生すると同時に、人口が急激に増加し、英雄祭祀と聖域が成立、都市への集住(シノイキスモス)などが見られたそれを(ここはウィキの「紀元前8世紀」の同時期の解説を使用した)、ヨーロッパ文明の本格的成立、現行で言うところの「国家」と同様の「存在」が「初発生」=「初産(ういざん)」であると捉えたものであろう。因みに、この頃の日本は、確定的でないが、縄文末期から弥生初期。因みに、「記紀」によれば、人皇第一代神武天皇は紀元前七七一年の生まれとするから、小泉八雲は、それも利かせているのかも知れない。
次は底本では一行空け。]
ハアバアト・スペンサア[やぶちゃん注:複数回既出既注。本書が思想的に最も依拠している学者なので、久々に本書の初出(私の注有り)にリンクさせておく。]は、宗敎の諸制度の社會に對する大なる價値は、彼等が集團に對して凝着力を與ふるに力ある事、……慣習に對する從順を强ひ、如何なるものたるを問はず、分解の要素となるものを供給する虞のある革新に反對して、統治を强める事にあると說いて居る。換言すれば、社會學的の立場から見て、宗敎の價値は、其保守主義に存するのである。日本の國家的宗敎は、佛敎の壓倒的勢力に抵抗し得なかつたので、薄弱であつたのだといふ事を、著書中に主張した人が澤山あるが、私は、日本の全社會史がこれに反證を擧げて居ると考へない譯には行かないのである。神道學者が自ら承認して居る通り、佛敎は長い時代の間、殆ど全く神道を併呑してしまつたやうにも見え、又佛敎を信じて祖先の祭祀を等閑にし[やぶちゃん注:私は「なほざりにし」と訓じる。]蔑視した天皇もあつたにせよ、また一千年の間佛敎が國民の敎育を指導しても居たけれども、神道は其のうちでも極めて活氣に富んで存在して居たのであつて、爲めにそれは終に其敵を倒す事を得たのみならず、國を外國の支配とならぬ樣に救ふ事さへもなし得たのであつた。神道の復活を目して、爲政家の一群が空想した政策が、偶〻幸運にも實現したより以上の事ではないと斷言するのは、此復活を起こさしめるに至つたあらゆる過程を無視する事である。國民の感情がそれを歡迎しなかつたならば、かくの如き變化は單なる法令によつて行はれる事は出來なかつたであらう……。其上、以前の佛敎の優勢に關して記憶すべき三箇條の重要な事實がある。 (一)佛敎は祭儀の形式を修正したのみで祖先祭祀を保守した事、 (二)佛敎は氏神の祭祀に取つて代つたのでなく、却つてそれを支持した事、 (三)佛敎は皇室の祭祀に決して容啄[やぶちゃん注:これは「容喙」の誤植であろう。「当事者でないものが横合いから差し出口をすること。口ばしをいれること」である。]しなかつた事である。さてこれ等三種の祖先禮拜の形式――家庭的、社會的、國家的形式――は神道に於て極めて肝要なるすべての者を構成して居る。古代の信仰の要素も、佛教の長い壓迫の下にありながら一つたりとも決して弱められなかつた。況んや壞さられる[やぶちゃん注:ママ。]事などは全く無かつたのである。
神道は現今國敎ではない、神道の管長等の要求によつて、それは一宗敎として公式に區別されてすら居ないのである。國家政策の明白な理由から、恁う極められたのである。その重大なる仕事を完成してから、神道は自ら讓位した。民族の感情に對し、義務の感情に對し、忠義の熱情と、愛國心とに對して訴へらる〻凡ゆるそれ等の傳統を代表して、神道は今猶ほ一の巨大な力、またも國家の危急存亡の秋が來る場合に、これに訴ふれば、必らず效驗のある一の力として殘つて居る。
[やぶちゃん注:これを以って第十七章の「神道の復活」は終わっている。晩年の八雲が日本から日本らしさが失われつつあると感じ、失望と悲しみを強くしていたというのはよく言われる話であるが、それが事実であったかどうかは軽々には語れない。しかし、以上の最後の述懐部を読む時――小泉八雲がもう少し生き永らえて、第二次世界大戦に至る日本の富国強兵と、おぞましい「神風」をぶち上げた軍国主義国家の齎した凄惨な結末を見たとしたら(彼は一八五〇年六月二十七日生まれであるから、生きていれば、敗戦時で九十五歳になっていた)――どう感じたであろうと、私は、しみじみ、思うのである。因みに、ウィキの「小泉八雲」によれば、まさに本書「 Japan: An Attempt at Interpretation 」は『太平洋戦争中、アメリカ合衆国の対日本心理戦に重要な役割を果たしたとされ』、『当時のアメリカ軍准将であり、ダグラス・マッカーサーの軍事書記官』で『心理戦のチーフであったボナー・フェラーズ』(Bonner Frank Fellers 一八九六年~一九七三年)『は、当時のアメリカ合衆国が利用できる、日本人の心理を理解するための最高の本であったと述べたという』とあるのである。]
« 小泉八雲 神國日本 戶川明三譯 附やぶちゃん注(72) 神道の復活(Ⅲ) | トップページ | 小泉八雲 神國日本 戶川明三譯 附やぶちゃん注(74) 遺風(Ⅰ) »

