ソヴィエト映画グレゴーリー・チュフライ監督作品「誓いの休暇」論 或いは 待つ母というオマージュ 13 エピソード4 カタストロフ
□223 夜汽車の客車内のアリョーシャ
アリョーシャ、客席(窓際左側。景色は右から左へ流れる)に座っている。
コートを着こみ、帽子を脱いでいる。左肘を窓下の小さなテーブルに突いて、左手を頰に当てている。その掌は帽子を握っている。
ぼんやりして、思いつめた表情。
シューラとの別れの悲哀が続いている。というより、ある大きな喪失感が彼を捕えてしまっていると言った方がより正確と言えるか。
[やぶちゃん注:それは心傷(トラウマ)のようなものではある。……しかし……真のトラウマはこの直後に彼を襲うのだ。……]
□224 車窓風景 森(右から左へ)
夕景或いは夜景(但し、撮影は昼間)。日が落ちる前後といった設定か。(次の次のシーンで人々は多く起きており、子どもも寝ていないことから)
□225 夜汽車の客車内のアリョーシャ(「223」のアングル)
□226 客車内(中景フル・ショット)
ワーシャのエピソードで出てきたタイプの客車である。窓を中央に対面座席で、左右の頭上に棚がある。
アリョーシ以外は総て民間人で、その人々(フレーム内)はどうも一つの家族であるようである。
アリョーシャの向かいに、やや年をとった婦人A、その右に並んで白髪の男性、その横に少女①が一人(幼女)、その横に赤ん坊(お包(くる)みの背が画面側で赤ん坊自体は見えない)を抱いている、やや若い婦人B(フレーミングの関係からと思われるが、この婦人Bはちょっと不自然に画面寄り、則ち、座席があるべき位置よりも有意に前にいる。或いは座席間に置いた荷物の上に坐っているとするのが自然かも知れない)、アリョーシャの右手に少女②(幼女)、座席の間に膝をついているように見える一番若い婦人Cが少女②のプラトークを結んでやっている。女性はみなプラトークをしている。
アリョーシャ、帽子で口元をごく軽くしごき、窓の外に目をやる。(この時、カメラはアリョーシャと婦人C二人を左右に奥に婦人Aと老人を主人物構成とするフレームまでインする。ここには少女①の顔と少女②の頭も含まれる)
婦人C、アリョーシャの方に顔を向けようとする。(カット)
□227 婦人Cのアップ(アリョーシャ位置から)
外を眺めているアリョーシャを見ながら微笑み、
婦人C「遠くまで行かれるのですか?」
[やぶちゃん注:彼女は美しい。シューラとは違う、やや大人びた雰囲気がある。]
□228 アリョーシャ(先のアングル)
アリョーシャ、婦人Cを振り返って見下ろし、硬い表情を少しなごませ、笑みを含みつつ、
アリョーシャ「サスノフスカです、もうすぐです。(ちらと窓外を眺めて顔を戻し)次の鉄橋を渡って、十キロほどです。」
婦人C「私たちは、ウクライナからまいりましたの。」
□229 アリョーシャと婦人C・婦人A・老人のアングル(「226」の最後のアングル)
婦人A(暗く)「……渡り鳥みたいですよ……何処へ行くんだか……」
老人、婦人Aの言葉を聴いて、咎めるような視線を送り、(カット)
□230 婦人Aと老人二人のアップ(窓の下位置からのあおり)
老人(婦人Aを厳しく見つめつつ)「ウラル山脈だ。(アリョーシャの方に振り返り)そこの工場で息子たちが働いておる。」
婦人Aは黙って聴いているが、暗いままに目を落としており、途中では軽く溜息をさえつく。
この老人の言葉が終わった直後――
遠くで何か爆発するような音が響く――
□231 婦人Bのアップ
婦人B、赤ん坊から顔を起こし、不安げに視線を宙に漂わせる。(このカットを見ると、婦人Bの向うに今一人、プラトークを附けた婦人がいるのが判るが、これは彼らとは別な民間人のようだ)
□232 別な民間人母子の顔のアップ
今まで映っていない婦人D(左)と、彼女が抱いている少年(右)。夫人は爆発音らしきものに怯えて、瞳を左(窓方向(外)と推定)に寄せる(背後に別な老人もいるのが見えるので、これはこのコンパートメントの手前にいる人々であることが判る。ただ、この新たな婦人と少年のカットは、爆発音の不安を倍加させるためのそれで、この家族の一員ではないであろう。私がそう思う理由は、この新たな婦人だけはプラトークをしていないことにある)
□233 婦人Aと老人二人のアップ(「230」と同じアングル)
二人、やはり左に瞳を寄せる。
婦人A、目を伏せる(これはその爆発音のようなものを特に気にしていないことを示す)。
□234 婦人B
彼女も、宙から、視線を赤ん坊に戻す。
□235 車内中景(「226」と同じアングル)
アリョーシャ、暗く押し黙っている。
[やぶちゃん注:実はここでアリョーシャにはそれが何の音かは判っているはずである。前線で戦った彼にははっきりと判る! あれは爆弾、爆撃の音なのである!]
――と!
――そこに!
――再び! 爆発音! 今度はより近くはっきりと聴こえる!
皆、窓外を見る。
□236 民間人母子の顔のアップ(「232」と同アングル)
婦人D、目を中空に上げ、少し口を開いて不安げ。
彼女の抱いている少年は、はっきりと瞳を上にあげて、口を少し開いて怯えている感じ。
□237 婦人Bのアップ
即座に窓の方へ顔を向ける。
□238 婦人Aと老人のアップ
同じく、体を少し乗り出して窓外を見る。
□239 婦人Cの顔面のアップ
窓の方を向いて、大きな目を見開き、
婦人C「雷鳴かしら?」
と言いつつ、アリョーシャ(のいるはずの位置)にも視線を一瞬漂わせ、即座に背後を振り返り、(カット)
□240 車内中景(「235」と同アングル)
婦人C、婦人Bと顔を見合して不安げであり、婦人Bも、お包(くる)みを抱いている両手をしきりに動かして、落ち着かない。
アリョーシャ、婦人Cや婦人Bに目を向けるが、無言である。
そうである。彼らはまだそれが爆撃であることを理解していないのである。――アリョーシャを除いては――。
[やぶちゃん注:しかし、さればこそ、アリョーシャは事実を話して早くも不安をあおるわけには却ってゆかないのでもあることに気づかねばならない。だからこそ以下の会話に於いて平静を装うのである。]
老人(アリョーシャに)「君は、一時帰郷かね?」
アリョーシャ「ええ。」
老人「どのくらい?」
□241 アリョーシャ(バスト・ショット)
アリョーシャ(微苦笑して)「もう、今夜だけで。それで終わりなんです。」
アリョーシャの右手に座っている少女が彼を見上げている。
[やぶちゃん注:もう一度、確認する。アリョーシャは将軍からは「郷里行きに二日」+「前線へ戻」「るのに二日」+「屋根の修理に」「二日」で計六日を与えられていた(ここ)。ここでアリョーシャが答えて言っているのは、前線へ帰還する「二日」を除いた、真の休暇の残りを言っているのである。即ち、ここまでで、実は――アリョーシャは六日の内の三日と半日過半(恐らく十八時間ほど)分を既に使いきってしまっていた――のである。
いや!
将軍に休暇の許しを得て前線を立ち――
隻脚のワーシャの帰郷に附き添い――
軍用列車にこっそり乗り込み――
シューラと出逢い――
シューラを一時は見失うも――
辛くも再会し得て――
次第に互いに親愛の情を抱き合い――
不倫のリーザに憤激し――
病床のパブロフ氏に息子セルゲイの架空の模範兵振りの大嘘を語り――
そして……
シューラと――別れた…………
それら総て――ここまでドライヴしてきたアリョーシャの、その豊かなしみじみとした経験と感性に満ちた時空間は――
――たった四日足らずの内の出来事だった――
のであった、ということに我々は驚き、心打たれるのである!]
□242 少女②の位置から向いの三人
婦人Cを中央に、左上に老人(少女①を膝に乗せているか。左に半分だけ顔が覗く)、右上に婦人B。
婦人B「……まあ……なんて、悲しい……」
老人(ちらと婦人Bを見、アリョーシャに戻し)「……一晩でも家に居られりゃ、あんたは幸せ者(もん)じゃて! 息子さんよ!……」
婦人C「恋人はいるの?」
□243 アリョーシャ(婦人B辺りの位置から)
アリョーシャ(ここは心から笑みを浮かべて)「ええ! 彼女はサスノフスカにはいなくて、今、ちょっと……離ればなれになってるんですけどね。」(この台詞の直後に次のシーンが、突如、ある)
[やぶちゃん注:「彼女」この時、アリョーシャの言っているのはシューラのことであることは言わずもがなである。わざわざ「彼女はサスノフスカにはいない」とアリョーシャに言わせているのはそのためである。今までの日本語訳はそこを誰も全く訳していない。まあ、それが西洋人には判らない以心伝心の意訳というわけか。
「離ればなれになってるんですけどね」どうも元は「けれど、今、私は彼女がどこにいるのか分らないのですが」(私は彼女を見失ってしまったのですが)が原語に近いようだが、これはちょっと訳として厭だ。最後の「文学シナリオ」と当該部を参照されたい。
この時、このアングルで初めて、実はアリョーシャの右隣りにプラトークを被った老婆が座っているということが判る。但し、今までの画面ではそれは判らない。やや奇異な感じではあるが、或いは少女②はこの老婆の膝に乗っていたものか? その場合、しかし、背をごくぴったりと座席奥につけていたとか、この老婆がひどく瘦せた人物であるでもとしないと構図的には辻褄が合わない。或いは、この老婆は当初、少女②の右に座っていて、ここで座席を交感したものかも知れない。なお、このウクライナからウラルへ移るという一家の人物関係は私にはちょっと判りづらい。婦人Aは老人の妻のように見える(後で示す「文学シナリオ」ではそうである)。だからこそはっきりとした愚痴をも言えるのであろう。では、この一切、言葉を発しない老婆は誰なのか? 老人の母なのか? そもそもが婦人B・Cは? 老人の息子たちの妻? どうも、その辺りの関係性が判然としないのである。]
□244 老人と彼の抱いた少女①(鼻梁から上のみ・カット・バック)
激しい機関停止音!
車両が強く揺れる!
□245 急停車する列車の車内(先の中景アングル)
――突然!
――急停車する列車!
――照明がほとんど消え、激しく揺れる!
[やぶちゃん注:本来は、夜であり、照明は全部消えてしまっているはずであるが(この時代に別系統の単独の非常灯があるとは思われない)、中央の婦人Cのみに照明が当たっている演出をしている。ただ、彼女の服やプラトークは白を基調(としているように見える)としているので、そこだけが照明で浮かび上がっても、さほど不自然には思われないと言える。このスポット照明は無論、確信犯である。それはこの婦人Cを観客に特に印象付けるためのものである。]
□246 闇の中で急停車する機関車!(特殊撮影)
爆弾の落下音(着弾シーンは次のカット)! ドイツの航空機からの空爆である!
[やぶちゃん注:これと以下の数カット(空(そら)のシーンを除く4カットほど)は総てミニチュアによる、所謂、今で言う「特撮」である。本作は一九五九年(昭和三十四年)の作品であるが、映画ではかなり以前から実物を縮小したミニチュアの撮影が長年に渡って行われていた。例えば、恐竜などが登場する「ロスト・ワールド」(The Lost World:アーサー・コナン・ドイル「失われた世界」原作/ハリー・ホイト(Harry O. Hoyt)監督/特殊効果・技術ウィリス・オブライエン(Willis O'Brien)/一九二五年作/アメリカ/無声映画)や「キング・コング」(King Kong:メリアン・C・クーパー(Merian C. Cooper)+アーネスト・B・シェードザック(Ernest B. Schoedsack)監督/一九三三年/アメリカ映画)、そして我らが「ゴジラ」(香山滋原作/本多猪四郎監督/特殊技術円谷英二/一九五四年(私のサイト版真正「ゴジラ」のシナリオ分析「やぶちゃんのトンデモ授業案:メタファーとしてのゴジラ 藪野直史」をどうぞ!)の先行作が今は有名であるが、円谷は既に戦争前から多数の特殊技術を担当しており、昭和一五(一九四〇)年の「海軍爆撃隊」(村治夫監督)で初めてミニチュアの飛行機による爆撃シーンを撮影、彼の経歴上、初めて「特殊撮影」のクレジットが附き、翌昭和十六年十二月に始まった太平洋戦争中の戦意高揚映画では、その総てについて円谷が特殊技術を受け持った。特に一年後の開戦日に合わせて公開され、大ヒットした「ハワイ・マレー沖海戦」(山本嘉次郎監督)が知られる(戦後、GHQは本作の真珠湾攻撃シーンを実写として疑わず、円谷はホワイト・パージに掛かって一時期、公職追放されたことは有名)。円谷が始めて「特技監督」としてクレジットされたのは、一九五五年の「ゴジラの逆襲」(本編監督小田基義)であった。なお、「特撮」という語は「特殊撮影技術(Special Effects:SFX)」を観客に分かりやすくするために、一九五八年頃から日本のマスコミで使われ始めたものである。]
□247 破壊された橋と向う側で止まっている機関車(特殊撮影)
空爆弾、着弾!(ここから音楽(標題音楽の短調変奏であるカタストロフのテーマ)が始まる)
激しい爆発!! 焔が立ち上ぼる!
既に画面の左手奥の土手の下には既に着弾があってそこで火災が発生している!
着弾の爆発の焔によって、画面が明るくなり、そこで初めて、その着弾点のすぐそばで汽車が停止していることが判る!
少し遅れて、橋が断ち切れた川面に爆裂による破片が飛び散り、多数の水飛沫(みずしぶき)が立ち上ぼる!
しかも、ここはさっきアリョーシャが言った「橋」の手前なのだ!
橋は、恐らく前の遠い爆撃音の際に既に橋に着弾して、橋を完全に崩落しているのである!
辛くも! 汽車は!
橋の目と鼻の先で!
止まっているのである!
[やぶちゃん注:この二つのシーンは夜であることが幸いして、ミニチュアであることはあまり意識されない。私はかなり上質な特殊撮影であると評価したい。]
□248 燃える列車!(特殊撮影)
土手の下からのあおり総ての車両から火の手が上がっている!
幾つかの車両が爆発!
中央に、傾いた電柱!
□249 夜空
白い雲の切れ目から空! 航空機からの空爆だ!
[やぶちゃん注:という「見做し」画像である。静止画像を仔細に見てみたが、飛行機らしき影は認められなかった。飛んでいれば、これも特殊撮影の可能性が高くなるが、私は実際の昼間の空を絞り込んで撮って、暗く処理した実景を挟んだ演出であると思う。]
□250 橋の手前の停車した汽車(特殊撮影・「247」を汽車のある土手の方に寄ったアングル)
左土手下に着弾! 爆発!
機関車のすぐ左に着弾! 爆発!
□251 土手下(特殊撮影・「248」を少し寄ったアングル)
何かオイルのようなものが車両から流れ出し、それに引火したように、激しい火炎が列車から音を立てて土手を流れ落ちてくる!
□252 闇に燃え上がる炎!
(オフで)ガラスを割る音!
[やぶちゃん注:この炎自体は特殊技術というなら、まあ、そうではあるが、実写に繋げるものとしてのカットととり、特殊撮影とはしないこととする。]
□253 客車の窓(画面上下一杯で外から)
煙に包まれている!
ガラスは既に割れている。(アリョーシャが割ったものと私はとる)
女性の叫び声(オフで)「……ああッツ!!!……」
奥から、アリョーシャが少女を抱いて! 窓のところへ!
見えぬが、窓の下で誰かが少女を受けとっている。
アリョーシャの顔は煤で真っ黒だ!
□254 土手の下(あおり・実写)
土手の上で燃え上がる列車!
手前に二人の民間の婦人がおり、右手の女性は頭を押さえて泣きわめいて、半狂乱となっている!
婦人「……ああッツ!!!……」
左手の年かさと思われる婦人が、落ち着かせよとするが、燃える列車の方へと向かおうとして、
婦人「助けて!!! 子供たちを救ってッツ!!!……」
と叫ぶ!
燃える列車からは、あちこちから人々が逃げ下ってくる!(以下、ずっと、モブの人々の叫喚のこえが続く)
□255 客車の窓(「253」と同アングル)
アリョーシャ、また少女を抱いて、窓から降ろし、また、戻る!
□256 燃えるコンパートメント
煙と炎にまかれて、左手に茫然と座っている女性がいる!
奥からアリョーシャがやってくる!
女性、床になだれ落ちる!
アリョーシャ、彼女を抱えて助け起こし、抱え上げて奥へ!
□257 土手下
上で激しく燃える車両!
その光の中でアリョーシャが意識のない老人の頭部に包帯を巻いている。
老人の脇に親族らしい若い女性が老人の肩に手を添えて支えて泣いている。
アリョーシャ、応急処置を終えてその女性に「大丈夫!」とでも言っているようである。
□258 燃え上がる車両
縦木と横木の骸骨のようになってまるごと燃え上がって!
□259 燃え上がる車内
また、アリョーシャがいる!
奥から意識のない女性を両手で抱きかかえてこちらに歩いてくるアリョーシャ!
シルエットであるが、若い女に見え、細いけれど、長い髪が垂れている――シューラのように――。
画面手前! 紅蓮の炎!(合成)
彼のシルエットで奥画面が消え、炎だけが画面に残り、F・O・。
[やぶちゃん注:「若い女」は――婦人C――ととっても問題ない。但し、実際のシルエットからはちょっと私は保留である。
最後は非常に優れた合成である。これが場面転換となる。]
□260 翌朝の立ち切れた橋と川(爆撃されて炎上した汽車のある側・推定でやはりミニチュアの特殊撮影)
上を流れて行く低い雲。
穏やかな、しかし哀感を持った例の標題音楽がかかる。
[やぶちゃん注:カメラの向きは逆方向からであるが、前のミニチュアの橋の断裂状態のそれとよく一致することから特殊撮影ととった。川面の小波が、明らかに実景よりも大きいことからもそうとれる。但し、モノクロであるから、おもちゃ臭さは殆んど感じられない。鉄骨や橋詰めの石組など細部の作り込みもよく、思うに、このミニチュアはミニチュアでも、かなり大きなものではないかと推測される。]
□261 川と向こう岸と空(実写)
既に陽が昇っているが、雲の向う。しかし光っている。(川の寄せる波音がSEで入る)
□262 木立(木は左手・あおり)
下の方の雲間からは青空がのぞいている。雲は流れている。
□263 婦人Cの遺体
――ブロンドの髪を少し乱し
――中央に、左下に頭を向けて(胸部は右上)野菊の咲きみだれた草地に眠るように横たわっている
――まるで、野菊の花の香りをかいででもいるかのように……
カメラ、ティルト・アップ。
――左手に野菊いっぱい
――その右に立つ婦人と中央に少女
カメラ、少女の顔でストップ。
[やぶちゃん注:この遺体の向きは、優れて斬新でしかも美しい! 映った瞬間、観客はそれを遺体として認識しないように周到に考え込んだ、稀有の美しさを持った名1ショットである!]
□264 その左の遺体の前に立っている(という感じで)あの白髪の老人
老人の背後の小高いところには、別に四人の人物が向うを向いて立っているのが見える。
□265 哀悼している婦人
左中景に沢山に野菊その後ろに立っている女性。
ずっと遙か向うの木立の脇にも女性が立っているように見える。
右の奥の木立の下にも立つ人影が見える。
昨夜の空爆で亡くなった人は彼女だけではないのだ。
□266 丘の全景
下からあおり。
丘の上には何人もの人々が、三々五々で、立っている。それぞれのそれぞれの死者を悼んでいるのだ。
右から風が吹いてきて、木立と野菊を揺らす。
[やぶちゃん注:このシーン、奥の空の感じ(よく出来ているが、どうも人工的なホリゾントのようだ。但し、それは上部三分の一ほどで、人物・立木・樹木等々の効果でホリゾントに見えないのだ)や、丘の上の立木の感じ、風の吹くタイミングなどを綜合して見るに、ちょっと信じがたいが、どうもこの巨大な丘自体がスタジオの中に作られたセットなのだという確信を持った。さすれば、実は「263」「264」「265」も実は総てロケではなく、セット撮影なのだ! しかも、ということは! それだけではなく! ここより後の救護シークエンスも総てセットなんだ! 私は実に今日の今日まで、これらの印象的な悲しいシーンを総て実際のロケだと思い込んでいた! 恐るべし! チュフライ!]
□267 二人の眠っている子を膝に抱いている婦人
婦人の顔は切れている。
手前の子(プラトークをつけているが男の子か)がピックとするところが凄い!
[やぶちゃん注:この1ショットは本作の映像の中でも私一オシの映像である。イタリア・ネオリアリスモ的な優れたものである。必見!(1:13:19辺り)]
□268 赤ん坊にお乳を与えている婦人
□269 婦人Cの遺体の側に立つ婦人と少女(「263」の最後のアングル)
さっきと全く逆に、婦人Cの死に顔へと逆にティルト・ダウン。(カット)
[やぶちゃん注:これはちゃんと別に撮ったものである。「263」を安易に逆回転させたものではない。比べて見ると、少女が左手の指が野菊に触れるそれが、有意に違っている。]
□270 疲れ切って座り込んでいるアリョーシャ
彼の顔は真っ黒だ。
背後に野菊。
その奥には横たわった人物(焼け出された身内と思われる)の枕元に寄り添っている婦人がいる。
アリョーシャ、茫然としている。
無論、疲労もある。
しかし、恐らくは、さっきまで親しく話を交わしていた若い女性(婦人C)が亡くなったことが精神的にもダメージを与えているものと考えてよかろう。
[やぶちゃん注:本作では〈人の死〉は、最初の戦闘シーンで、先輩兵士が戦車機銃に撃たれて死んではいる。が、これは撮影時の変更で、この先輩兵士はシナリオでは実は死なない。戦車に追われる一人ぼっちのアリョーシャを演出するために現場で殺されることに変更したものであろう。展開からも、その死を悼むどころじゃなく、自分が狙われて、とことん、命を遊ばれるのであるから、彼の〈死〉を意識する暇などなかった(戦場で兵士が死ぬのは謂わば〈当たり前〉であり〈戦争の日常〉である)。従って、実は、アリョーシャが目の前での〈人の死〉と厳然と対峙することになるのは、本作ではここが初めてなのである。シューラとの別れは、確かに非常につらかった。しかし――〈人の生き死に〉を――しかも多くの民間人のそれを一瞬のうちに目の前にするということは(その中にはアリョーシャが、救おうとして救いきれなかった、救助したが亡くなってしまったのだ、と思っている人物もいるであろう)、アリョーシャにとって別な意味で激しい衝撃――トラウマを与えていることに気づかねばならない。]
向うの土手の右手には焼けた貨車の残骸が見える。(音楽、このカットで終わる)
反対の左手から、新しい蒸気機関車が、貨車一台と貨車の三倍ほどの長さのある無蓋車(広義の救護用で病人や被災者やその荷物を運ぶものと思われる。後の方の「272」の中に出現する)を頭で押しながら、進んでくる。
[やぶちゃん注:ウヘェ! やっぱり! そうだ! この最後に説明した左からくる車両をよく見て貰いたい。土手の位置で明らかに合成が行なわれていることが、そのま直ぐな部分の微妙なブレで判る。奥の空もピーカンで雲一つないのは綺麗過ぎるんじゃないか?
そうした疑惑の観点から、右の損壊した車両を見ると、やってくる左の貨車のスケールと微妙に異なっており、しかもその向きが、これまた何だか、やはり微妙におかしい。
いや、そうだ! この損壊車両、平板な感じで、奥行きが全くなく、これは立体でないということに気づくのだ。こうしてそこに確かに見えてあるということは、それが実物ならば、台車は残っていて、その立体性を必ず残している部分がなくてはどう考えても、変だ!
或いはこの損壊車両は――全体がシルエットの絵――なのではないか?
そうした意識で以って、改めて左から進行してくる車列を再確認すると、如何にも不思議なほどに――スムースに――何の上下振動もなく――速やかに――滑ってきていることに気づくのだ。
もし、実際の貨車と、非常に長い無蓋車(特に重機などの巨大なものが載っているわけではないそれ)を蒸気機関車が頭で押してやってくるとしたら、そこでは必ずレールの繋ぎ目での微かなガタ突き(上下運動)が、必ず、生ずるはずだ。だのに、何度、巻き戻して見てみても、そんな部分は一切、認められないのだ。無蓋車に突き出ている突起物らしきものも、これ、微動だにしないのだ。これは後で判るが、実は物体ではなく人間なのにだ!
蒸気機関車はちゃんと上の煙突から煙を吐いてはいるから、それはミニチュアのそれであろう。
しかし、機関車の頭部と無蓋車の連結部分の角度が、やはり微妙におかしい感じがする。
実は――この無蓋車と貨車孰れも巧妙に描きこんだ平面画を切り抜いたもの――ではないだろうか?
則ち
――そのマット画をミニチュアの蒸気機関車の頭部に接着し、それら全体を平板な台の上で、ミニチュア機関車から煙を吹かせた上で、人がスライドさせている画像を撮り、それをこの土手上面部で合成した――
と私は推論するのである。ここのそれは遠景であることから、それがミニチュアやマット画像や合成であることに気がつきにくいのだ。
言っておくが、
――私は、それをここで批判しているのでは毛頭、ない。
――私はまた、それを明かしたと思って悦に入っているのでも、ない。
私は――そのミニチュア・ワークや合成に六十二歳にもなって初めて気づいた私自身の不明と――チュフライのそのスゴ技に完全に舌を巻いて感動しているのである。]
□271 茫然としているアリョーシャ
前の270とオーバー・ラップで入る。しかし奥の景色とアリョーシャの姿勢が明らかに異なる。ここからモブのざわめきが続く。
救護活動が続いている現場。草原。ところどころに野菊。
アリョーシャの背後左右に被災民三、四名。
中奥に看護婦らしき白衣の女性。
左右からも被災民がインする。
そのすぐ後ろに通路があり、担架を持った人々(白衣の医師もいる)などが、やはり、行き来する。
そのさらに奥の高台部はいままで画像からは鉄道の線路相当かと思われるが、そこも人々が非常に多く行き来しているが、そこでは人は専ら、右から左にしか移動しない。これはそこが線路(相当の場所)であることをよく示してはいる。何故なら、右が空爆で崩落した橋に当たると読めるからである。
その奥に空が少しだけ見える。
右手前から、白衣を着た医療関係者の男が担架の前をもってインし、そこに乗る頭部に損傷を受けた少女を見ているアリョーシャに、
医療関係者「おい、もっとどこか邪魔にならないところに座れないもんかね? 兵隊さんよ!」
立ち上って、左にアウトするアリョーシャ。
[やぶちゃん注:これも恐らくほとんどの人は、今までの私のように、屋外ロケと思っているのではないか?
しかし、考えてみて欲しい――このように断層的になっていて、狭いアングルでも都合よく、人が重層的に動かすことが出来るような地勢や通路が、空爆された鉄道線路のそばにあるということ自体、これ、実はかなり不自然なこと――じゃあないだろうか?
最後に。奥の少しか見えない空は、何となく先の丘(「266」)の上の空(人工のホリゾント)と同じように私には見えるのである。
ここからアリョーシャがここを去るまで(郷里サスノフスカへと向かう直前まで)のシークエンスは、実は途方もなく大きなスタジオの中に人工的に作り出されたセットなのだを私は思うのである。]
□272 救護の現場
疲労からふらつくアリョーシャ。
そこに右手奥から、担架の前持つ女性がイン、
女性「どきなさい! 道に突っ立ってないで!」
男性(担架の後ろ持ち)「ともかく、どいてろよ!」
カメラ、アリョーシャを追って左に移動すると、奥の一番高い段に、「270」で遠景に見えた無蓋車の本物[やぶちゃん注:私は「270」のそれをフィギアのマット画像ととっている。]が見えてくる。そこに立っている生身の三人の人間(女性である。二人は座っていて、一人が立っている)の姿は、「270」の突起物とよく似ているのである。
さらに左に行くと、救援の機関車でやって来た、町の共産党細胞組織の纏め役と思われる(服装と帽子から)救護のヘッドが説明をしている。それを受けて、背後の無蓋車に向かって左手を廻り込んで、人々が向かっている。
救護の主任「重傷者・傷をしている女性・子供だけを先に乗せて行く。それ以外の者は第二便が来るまで待っていて貰わねばならない。二時間後には戻って来るから、心配しなくて大丈夫だ!……」
アリョーシャ、それを聴いて
――ハッ!
と背後の彼方(川の彼方のサスノフスカの方)を
――きっ!
睨み、
アリョーシャ「二時間!!」
と叫ぶや、後ろへ向かって走り去る!(右手へアウト)
[やぶちゃん注:「二時間!!」前に注した通り、実は最早、彼の正味の休暇はこの日の午前零時で終わってしまっていたのだ。もう彼には前線へ戻るための二日しか残っていない。しかし、ここまで来て、母に逢わずに帰るのは、とてものことに、辛い! 彼は、自力で川を渡ってサスノフスカへ向かって、一目、母に逢って、トンボ返りするという決断をしたのである。
ここで私は言う。「270」の合成処理は、この「272」を撮影した後に、特殊撮影と合成編集によって行われた。だから、「270」のマット画像には、撮影した「272」の無蓋車上の座っている女たちの実写が参考にされた、されてしまったのだ。救援できたはずの無蓋車の上に、この女たちと同じように救援者が似たような位置で乗ってきたのだ、というのはちっとばかりおかしいが、そんな細かいことを合成班の連中は考えなかった可能性は十分ある気がするのである。]
■やぶちゃんの評釈
休暇の終りに最大最悪のカタストロフがアリョーシャを襲った。
それは、容赦なく波状的である。
アリョーシャは空爆された列車の負傷者を、可能な限り、全力を尽くして救い出した。
しかし、翌朝の彼を待っていたのは、意想外の邪魔者扱いの言葉であった。
それは彼が――如何にも「若く」「元気に見える」「兵士」の癖に――戦場じゃない内地にいて――しかも――負傷者の山の中でぼんやりして何もしてないじゃないか!――というような、前後を理解しない皮相的誤解に基づくものではある。
しかし、それは映画の観客だけが、アリョーシャと共有出来る真実なのであり、映画の中のアリョーシャはこの三つの侮蔑の言葉によって、完全に心が折れかかってしまうのである。
そうした人々の心ない侮辱は、ある意味で――〈人の子〉としてのイエス・キリストの〈絶望〉と等価である――とも言える。
而してその絶望、
――シューラの喪失
――若き婦人を始めとした人々の死
を越えて、アリョーシャを全的に無条件で救いとってくれるのは
――最早
――母なるマリアの愛――しかない――のである。
「文学シナリオ」の当該部分を示す。
《引用開始》
アレクセイが唯一人で汽車に乗っている。シューラはいない。
車輪のリズミカルな響きに耳を傾け、物思いに沈んで座っている。窓外は悲しい夕暮れである。隣りの座席の乗客は静まりかえっている。恐らく、夕景と車輪の響きが人々をこのようにしているのだろう。子供達も黙っている。時折、深い溜め息が沈黙を破るだけである。
アレクセイと向き合って、花模様のネッカチーフをした黒眼鏡の女が座っている。彼と並んで、節の多い杖にもたれて、美しい白髪の頭をうなだれた老人が座っている。あまり大きくない理知的な眼、きっと結んだ唇等、彼の容貌には男性的な叡知があふれている。
黒眼鏡の娘は、アレクセイを眺め、突然歌うようなウクライナ語で質問する。
――遠くまで行くんですか。
――サスノフカです。すぐ近くです。すぐに鉄橋があります。そこから十キロメートルです。
アレクセイは答える。
――私はウクライナからです。
娘は話す。
アレクセイは、彼女と老人とふさぎこんでいる老婦人を眺める。彼には彼等の悲しみが分かった。そして、彼は〈分かりますとも、戦争があなたを遠くへつれて来たのです〉とでも言うように、娘に同情してうなづく。
――ああ、ああ! 秋の鳥のように、どことも知れず飛んで行くのです。
老婦人は溜め息をついた。
老人は耐えられないというように動いた。
――言っても意味ないことだ。
彼は姿勢を崩さずに言った。
――ウラルへ行こう……。そこには我々の工場もあり、息子もいる。
彼はきっぱりとした口調でつけ加えた。
婦人は沈黙した。
車輪はレールを叩いていた。隔離壁が静かに軋んだ。これらの相変らずの音響にまざって、遠くでサイレンが鳴るのが聞こえて来た。
――何でしょう。
娘は聞いた。
サイレンは繰り返し鳴った。
みんなは、何故か窓の外の空を眺めた。
婦人は眠っている子供を手にかかえながら、顔が青ざめた。みんなが耳をそばだてた。静かだった。みんなは次第に落ついて来た。
アレクセイは煙草入れをとり出した。煙草を吸(の)みながら、それを老人に差し出した。
――どうぞ。
――ありがとう。
彼は丁寧に感謝した。そして煙草入れから煙草を取り出して、善良そうに微笑し、ウクライナなまりのロシア語で話した。
――本当のところ、煙草に不自由していたのです。
二人は煙草を吸った。
――あなたのお国はどこですか。
老人は聞いた。
――この土地の者です。サスノフカで生れたのです。母に会える機会が出来たのです。
――というと、家に帰るのですか。
――そうです。
――長く居られるんですか。
アレクセイは悲しそうに笑った。
――時間はあったのですが、今ではもう、夜明けに帰って行かねばなりません。
――おお!
婦人は同情するように溜め息をついた。
老人は彼女を横目で見ながら、アレクセイに言った。
――生れた家で一夜を過せるなんて、大変な幸福です!
――それから戦場ヘ帰るのですか。
娘が聞いた。
――そうです。
――それであなたには女の友達があるんですか。
アレクセイは沈黙した。
――あります。ただ、彼女はサスノフカにはいません。……。私は彼女を見失ってしまいました。
彼は告白し、すぐに激しく付け加えた。
――しかし私は彼女をどうしても探し出します。地上をくまなく探し出します![やぶちゃん注:この台詞は映像でどうしても附け加えて欲しかった。残念だ。]
老人は微笑した。
――本当に駆けずり回りなさい。愛情があったら当然です。あなたは何か技術を持っていますか。
――いいえ、まだです。故郷へ帰ったら学ぶつもりです。今でも一つの職業はあります。兵士です。
――兵士は職業ではない。兵士は地上の義務です。
老人は話し、そして考え込んだ。
列車は急速に走って行く。車輪は音をたてる。窓外では夕景の中を大地が流れて行き、電柱が時々通り過ぎる。
アレクセイは胸騒ぎする。
――もうすぐ家です。
彼は溜め息をついて言った。
――我々のウクライナは遠くです。
婦人の声が羨むように彼に答えた。
長い汽笛が、一度、二度と鳴った。
客車が震動した。ブレーキが鳴った。アレクセイは窓に走ったが、そこには何も見えなかった。
不安定なかがり火に照らされた線路に、人が立っている。彼のさし上げた手にかがり火から取った燃えさしが松明のように燃えている。
列車はブレーキをかけながら停止する。
客車のステップから人々が飛び下り、前方に駆けて行く。その人影は松明を持つ手を下ろし、倒れるように大地に座る。
強力な機関車の探照燈が光を投げ、破壊された鉄橋の曲りくねり、破り裂けた橋げたを一瞬闇に照らし出して、消えた。
数人が座っている人に身をかがめた。彼は彼等に何か言った。すると、彼等は闇の空を心配そうに見上げながら、かがり火を消しにかかった。人々はその人を抱き上げ、客車に運んだ。彼は負傷し、静かに呻吟していた。
アレクセイは、憂鬱そうに遠く暗闇の中にかすかに輝いている河の向うを眺めた。そこに、彼の村があった。彼は夜目に馴れた。機関車のところで、人々が無益に駆け回っていた。アレクセイは考え、意を決し、河に向って駆けて行った。
……数本の丸太の切れ端が筏の役目をする。板は櫂である。彼はそれをしっかりと漕いで、岸から離れて行く。筏の下に水が波立っている。
もう河の中央である。アレクセイは櫂を漕ぐ。
列車の方から彼に向って、警告の叫びが投げられる。彼は漕ぐのを止めず、耳を澄まし、注意深く上の方を見つめている。上方から、不吉な不安定な唸りが聞えてくる。
アレクセイは、櫂を振り、一層早く漕ぎ始める。恐ろしい、心臓を揺さぶるような唸りが静寂を破り、やがて一発、二発、三発と破裂する。
アレクセイは身をかがめる。爆発の中に人々ののけぞる姿が映る。
列車は火に包まれた。火影が河を蛇のようにうねった……。
――畜生!
溜め息をつきながらアレクセイは闇の空に叫んだ。
――畜生! 畜生!
板を取ると熱に浮かされたように、後方に漕ぎ出した。そこでは人々の号泣の中に爆弾が破裂していた。彼は兵隊であった。そして、そこでは人々が死んでいた。
……彼は岸にたどり着き、呻き声と爆発の真っ只中の飛び込んで行った。
……彼は火事の中を駆けずり回った。
……人々と一緒に、燃えている車両を列車から切り離した。
……割れ目の中から負傷者を引き出した。
……彼は繃帯をしてやった。
……彼は火の中から人々を救った。
このように、この夜は爆発と、うめき声と、死と、人々の嘆きの中に過ぎて行った。
夜明けである。空が明けかかっている。静かである。そよ風が木の葉をかすかにふるわせている。河は静かに誇らしげに流れて行く。ただ、鉄橋の橋げた、掘り起こされた大地、破壊された列車、燃え尽きた車両だけが、前夜の悲劇の記憶をとどめている。
生きている者は死んだ者の周りに座り、あるいは立っている。泣きわめく者もいない。すすり泣く者もいない。最早、泣く力もないのである。朝に眠っている子供達は、眠りながら身震いしている。
若い母親の手の中で、生き残った生命の小さなかたまりが動いている。彼は眠っていない。彼はむき出した母の胸に、巧みにがつがつと吸い付いている。
アレクセイは疲れ果てて丸太に座っている。彼の顔は汚れている。手に血が流れている。夜が明けて、彼の休暇は終わった。彼は気だるそうにポケットから煙草入れを取り出し、その中を探る。煙草入れは空っぽである。煙草も終わった。
到着した列車から、人々が事件の現場へ急ぐ。
……看護兵が負傷者に繃帯をしてやる。負傷者を担架で列車に運ぶ。アレクセイはまだ、同じところに座っている。彼はこの列車で帰らねばならない。
――道を塞がないでどいてくれ!
看護兵が彼に言いかける。アレクセイは立ち上がり、担架に道を譲り、脇に、どく。
しかし、ここでも自分の仕事を一所懸命している人々の邪魔になる。
――何してるんだ! どいてくれ!
アレクセイはおとなしく脇に、どく。彼の傍らを恐怖の一夜で興奮した人々が群れをなし、寝ぼけ顔で、びっくりしている子供達の手を引いて、客車に向かい、何故か急いで駆けて行く。
アレクセイの近くで乗客の大きな塊が肩章のない外套の人を取り囲んでいる。誰もが先を争って言う。
――何故、私はだめなんです。
――司令官、我々はどうすればいいんですか。ここに留まっているわけにはいかないのです!
――皆さん! 私が言ったように……今は、負傷者と御婦人と子供だけを運ぶのです。それ以外の方は、ここに留まって列車が戻ってくるのを待って頂きたい。列車は、二時間後には必ず戻って来ます!
アレクセイは眠りから醒めたように、話している人の所に急いで行った。
――二時間だって!
彼は弱々しく叫んだ。そして、河岸に駆けて行った。
《引用終了》
川渡りを中断して戻るというのは、流石に、くど過ぎる。
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