小泉八雲 神國日本 戶川明三譯 附やぶちゃん注(91) 產業上の危險(Ⅲ)
ド・クウランジユ氏[やぶちゃん注:既出既注。]は、【註】個人の自由の褫奪[やぶちゃん注:「ちだつ」。「剝奪」に同じ。 ]が、ギリシヤの社會の終局の紊亂及び破滅の眞の原因であつたと道破して居る。ロオマはギリシヤに比して被害が少かつた、そしてその難局を切り拔け、なほ支配力を有して居た――それは、ロオマの領土內では、個人の權利がギリシヤに比して遙かに尊敬されて居たからである……。さて、近代の日本に於ける個人の自由の缺乏は、結局國難を齎す迄になるのは確實と考へられる。何となれば、封建の社會の成立を可能ならしめた無條件の從順と、忠誠と、權威に對する尊敬は、恐らく眞に民主的な政體を不可能ならしめ、無政府狀態を現出する傾向を有するからである。個人の自由――統治の問題と道德の問題とを離して考へる自由、――政治上の權威とは獨立して、正邪曲直の問題を考察する自由、――に長い間、馴れた人種のみが、現今日本を脅威して居る危險にも、安全に當面し得るのである。何となれば、古昔のヨオロツパの社會が分散したと同樣の過程を取つて、日本の社會が分散する事が萬一あるとすれば、――(豫防的の法律を以てこれを防止する事なく、――そして又他の一つの社會的革命を誘致するとなれば)、その結果は到底全滅を免れ難いであらう。ヨオロツパの古の世界に於ては、族長的制度の分散は幾世紀もかかつた。それは外部からの力によつて起こされたものではなく、遲々たるもので、正式な形をとつたものであつた。日本ではその反對に、此の分散は、電氣や蒸氣の如き速さを以て作用しつつ、巨大なる外部の壓迫を受けて起こりかかつて居る。ギリシヤの社會に於ては變化は、凡そ三百年で成し遂げられた、日本では族長的制度が法律上解散せしめられ、產業制度が再び作り出されて以來三十年以上は經過して居ないのである。併し既に無政府狀態の危險は現はれ始めて居る。そして一千萬以上にも、驚く程に增加した人民は――既に產業狀態の下で、窮乏によつて發達せしめられたあらゆる不幸の形式を經驗し始めて居る。
[やぶちゃん注:以下、底本では本文分四字下げポイント落ち。]
註 『古代都市論』“La Cité Antique” 四〇〇――四〇一頁
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