ソヴィエト映画グレゴーリー・チュフライ監督作品「誓いの休暇」論 或いは 待つ母というオマージュ 9 エピソード2 シューラ(Ⅲ) シューラ・ロスト
□97 走る汽車と貨車(あおり)
やはり、カーブで撮影している。
□96 貨車内(外から・ややあおり)
最初、半分まで開きつつ扉の端が右方向へ、すぐにアウトすることから、走っている貨車の扉が開けられ、位置的には走っている貨車の外の中空位置(凡そ貨車の床位置と同じか少し下位置にカメラを置いた塩梅)からの構図ということになる。但し、外からの走行音のSEは会話の都合上、極度に抑えられている。(或いはそのために、当初、やや違和感というか、扉が開け放たれて走っている、彼らが流れゆく風景を眺めて会話しているのだという印象を直ちに認識できない観客も中にはいるやも知れぬ)
手間に干し草のブロック一つ(横。高さは孰れも凡そ四十センチ程か)。右中景に二ブロック。左奥にブロックの山。中央床に立つシューラ。(この時は一人)。きりっとした顔、左肩から前に編んだ髪をたらし、かなり意識的に頭と胸を反らせており、それはまるで神話の女神が屹立しているかのように美しく、荘厳な感じさえする。
[やぶちゃん注:このショット時間(カットはない)は三秒もないが、前エピソードのガヴリルキン撃退を受け、私は、例えばギリシャ神話の勝利の女神「サモトラケのニケ」のイメージをこのシューラのショットに見る。そうしたものとして見えるように確信犯で撮っているものと私は思う。]
右からアリョーシャの下半身がインし、
アリョーシャ「あれが鬼中尉?」
手前の干し草に倚り懸かって座る。と同時にシューラが少し頭をアリョーシャの方に傾(かし)げ、笑みを浮かべて前に進む。振り返ったアリョーシャが、
アリョーシャ「もう怖いものなしだね。」
と言い、シューラも手前の干し草の上に座って、二人とも、景色を眺める。
[やぶちゃん注:以前に述べた通り、シューラの背に合わせた配置である。これだと、パースペクティブとあおりの関係上、見かけで頭一つ分、シューラの方が高くなる。なお、アリョーシャの台詞のそれは、前に彼女は怖がり屋だと言った彼の台詞を受けていると私は考える。但し、皮肉ではなく、親愛の表現として、である。]
シューラ「ほんと嬉しかった。あなたがよくないと思ってた中尉さんが実はとってもいい人だったんで、わたし、驚いちゃった。」
アリョーシャ「そうさ、あの中尉さんはほんとにいい男だ。」
シューラ、左の貨車の扉の横にある柱壁に背を凭せて、干し草の上に両足を載せ、両手で膝を支え、アリョーシャの横顔を見つめながら、素敵な笑顔を浮かべて、
シューラ「……ええ、とっても!」
二人、空を見上げる。(ここから標題音楽の(最初はフルート)演奏が始まる)
□97 夕景の森の上の空
無論、走っている貨車からの見た目。ここで夕方であることが示される。
□98 貨車内
アングルは「96」に同じ。二人、夕空を見上げたまま。
シューラ「アリョーシャ! あなた、友情を信じる?」
アリョーシャ、とんでもないことを聴くといった怪訝な表情をちらと向けて、また直ると、
アリョーシャ「勿論さ。前線じゃ、友情が命だからね。」
シューラ「それは判ってる。そうじゃなくて、私の言ってのは『男女の間の友情』って意味なの。」
アリョーシャ、振り返ってシューラと面を合わせ、
アリョーシャ「幾人かは、男同士よりもずっと信頼できる女たちもいるよ。」
シューラ、何かほっとしたように小さな笑いをして、
シューラ「わたしもそう思うの。」
シューラ「でも世間では『男と女の間にはただ恋だけがある』とも言うわ。」
アリョーシャ「ナンセンスだね!」
□99 貨車外の扉端(シューラ側)の外位置からの二人の俯瞰ショット
シューラの右頭部と横顔をなめて、アリョーシャのシューラを向いた顔を撮る。
アリョーシャ「僕にも故郷に友情を感じる女の子がいるよ。」
□100 貨車内のシューラを見上げるアリョーシャの右後頭部をなめてシューラ(ここで初めてスクリーン・プロセスで、開いた貨車の外景が左から右へ流れる)
シューラ、何かひどく思いつめた真面目な顔つきをしている。
シューラ「あなたは……あなた自身が……その子に恋心を抱ているってことを判っていないのかも知れない……」
アリョーシャ「彼女に? 僕が? いや、いや、違うよ!」
アリョーシャ「彼女……どんな人?」
□101 貨車外から(「98」に同じ)
アリョーシャ(外に目を落し、懐かしそうに笑みを浮かべながら)「彼女はまだまるっきしの子どもさ。ゾイカって、僕んちの隣りの子なんだ。(真面目な表情になって)あの子へのそれは『恋』じゃない。――『恋』は……何か……全然、違うものだと思うな。」
それを聴いているシューラ、初めは目を落として如何にも淋しそうにしていたが、何か、ほっとしたような感じで笑みを浮かべ、乗っていた干し草の向う側に降り、右腕をその干し草の上に載せ、そこに顎を載せ、流れる景色に目を向ける。
□102 車外の夕景色(前のショットからシューラの見た目のそれとなる)
空爆にやられた荒涼とした草木もない荒地。手前には壊れた鉄道の車輪や貨車が転がり、中景には壊れた民家の壁の残骸が見える。
□103 貨車外から(「101」に同じ)
シューラ「アリョーシャ……あなたの一生を通じてつき合える、(横からアリョーシャを見上げる)本当の友だち――女性の――が欲しくない?」
アリョーシャ「あ、ああ。」
しかし、アリョーシャの顔は嬉しそうではない。逆に曇っている。
逆に、シューラは何かを思い切っている表情で、
シューラ「ねえ! 実はね! 私のこの旅はね!……」
アリョーシャ(前のシューラの台詞を遮る形で)「彼のところに訪ねて行く――とても健気な親愛の行為だ――」
シューラ「そんなんじゃないのよ!……」
アリョーシャ(また食う)「君はとってもいい娘だ。蓮っ葉じゃないし。」
シューラ、自分が話そうとすることを、まるで聴こうとしないアリョーシャにちょっと失望して、外へ目をそらす。
アリョーシャも、上の空に目を漂わせている始末である。
シューラ、左手で頰づえをつきながら、遠くに目をやって、
シューラ「……あなたには……分らないのよ……」
と呟く。
アリョーシャ、不服げな表情で、背を向けてまた目を宙に迷わせる。
ちょっと間をおいて、シューラ、背を向けているアリョーシャに向かって、
シューラ「ねえ、アリョーシャ!」
アリョーシャ、振り返って、
アリョーシャ「どうした?」
シューラ、じっと見つめているが、言おうとしたこと後を続けずに、明るく微笑んで、
シューラ「喉が渇いたわ。あなたは?」
アリョーシャ(そっけなく)「判った。」(次とオーバー・ラップで)
□104 とある駅構内
左から入線して緩いカーブで停車した彼らの列車。扉を開けてアリョーシャが降り、扉を閉める。
少なくともこのシーンでは、アリョーシャたちが乗っている貨物車両が蒸気機関車を含めると、六両目相当であることが判明する。
中央に低い空き地があって水溜りとなっている。
そこを飯盒を左手にしたアリョーシャが走り渡って(カメラ、右へパン)、そこを挟んだ右側の線路にある貨車の側で点検をしている線路工夫に、
アリョーシャ「水を汲む時間はありますか?」
と尋ねる。
工夫「大丈夫だよ。」
アリョーシャ、連結器の間を潜って、次の線路に、またもある貨車の台車の下を潜って、潜った先を手前(画面右手前)に向かって走って行く。
[やぶちゃん注:実際はここについては、最初に潜る連結器のそれは、連結器の端の下部平面が映ってしまっていて、端の車両を使っているのが判然としてしまっている。私は小学生の時に見た時にさえ、それに違和感を覚えたことを思い出す。しかも、それがずっと今まであったのである。則ち、『アリョーシャは、画面の手前を潜る必要なんかないじゃないか! 普通に、もっとこっちを走ればいいのに?!』であり、さらに言い添えると、『二本目の貨車だってそうじゃないか?! 走り抜けた時に端っこの車両がこっち側(画面左中央)に見えてるんだから、これも実は潜って行く必要、ないじゃん! 普通に走って行けるじゃん?!』という画像から最低限で読み取れるロケーション事実に基づく、子どもの素朴な疑問である(こういう物理的な構造関係に基づく違和感を私はしばしば映画やテレビ・ドラマで激しく感ずることが多い。それは私が仮に主人公になってそのシチュエーションの中で演じた場合を常に考えているからであろう(私は高校時代は演劇部で、本気で役者になることを考えていた時期もあった)。そこで最低限度以下でリアリズムを守っていないように見える監督やカメラマンの〈いい加減さ度合い〉=無能を私は批判的に判定する傾向をかなり過激に持っているからである)。次いで加えると、『あのさ? この線路工夫は、どうしてアリョーシャに「大丈夫だ」と太鼓判を押せるの?』というやはり当たり前に過ぎる疑問もあったのだ。「だって、この工夫はそこの管区の工夫であって、軍用列車の関係者ではないんだから、何分停まるかなんて実は知っちゃいないはずなんだ! これが定期運行の列車なら知ってて当然だけど、これは特別な軍事物資の運搬列車なんだぜ?」という物言いである(言っとくが、私は鉄道ファンではない。しかしこれだけは今も正当な疑義として思っている)。しかし、今回、かく採録再現をしてみて、工夫の問題は別として――はた!――と膝を叩いたのであった。則ち、この奇妙な動きは――彼らの車両から水汲み場はそう遠くはない。――しかし、そこには幾つか邪魔なものがあって、思いの外、時間が掛かる。――しかも、水汲み場からは彼らの列車は見通せない。――という事実を、ここで暗に観客に印象付ける意図が確信犯として働いているのだという発見に、である。]
□105 貨車の中
両ひざを立ててその上に左腕を載せ、左頰を凭れさせて上方を見上げるシューラ。瞼を閉じる。眠りに入るようである……
[やぶちゃん注:このシューラはとびっきりに美しい! 周囲の暗さを表現するために激しく絞り込んでいるものと思われ、さすれば彼女の顏が抜けるような白さで画面中央にくっきりと見え、腕や膝や髪の毛にもピントが合っている以上は、相当に強烈な明るさのスポット・ライトを実際には当てて撮影しているものと推定される。]
□106 線路の脇
有意盛り上げられた場所の軌道の斜面(最初のシーンでのみそれは判る)。民間人がそれぞれにシャベルやツルハシ・ハンマーなどを持って佇み、近くにあるスピーカーで流れてくる戦況報道に聴き入っている。そこに右からアリョーシャが足早に、インし、カメラは左にパンする。何人もの人々(前後に)。誰一人として微動だにしない。
戦況放送『7月27日の戦況状況……』
アリョーシャ、一番端であるらしい、女性の背後に立ち、スピーカー(見えない)の方を見上げる。
[やぶちゃん注:ここで初めて本作品内時制(月日)が明らかにされる。]
□107 スピーカー
木製の電柱に朝顔のように下に向けてつけられた昔の四角な拡声器風のもの。あおり。
戦況放送『……本日7月27日、わが軍は、ヴォロネジ地区及びツィムリャン地区にて、終日、戦闘、……』
[やぶちゃん注:「ヴォロネジ」はここ、「ツィムリャン」はロシア語字幕では「Цимлянская」であるが、ツィムリャンスク「Цимлянск」でよいなら、ここ(グーグル・マップ・データ)。]
□108 線路の脇(「106」の最後に同じ)
アリョーシャとその前の民間人の女。
戦況放送『……英雄的な激戦の末……』
カメラ、今度はもと動いたのと反対に右にパンして、先程の人々をゆっくりと映し出す。
戦況放送『……止む無く……』
戦況放送『……ノボチェルカッスクとロストフを放棄した。……』
[やぶちゃん注:「ノボチェルカッスク」は「Новочеркасск」でここ、ロストフ」は「Роств」で現在の「ロストフ・ナ・ドヌー」(Ростов-на-Дону)でここ(グーグル・マップ・データ)。]
□109 スピーカー(「107」と同じ)
戦況放送『……他の前線では、大きな変化は、ない。……』
□110 アリョーシャとその前の民間人の女
女、右にアウト。アリョーシャ、暗然として目を落とす。
戦況放送『……7月19日から25日にかけて……』
カメラ、また右にパンし、アリョーシャも土手を上って行くと、作業音が立ち始める。
戦況放送『……空襲により、空軍基地が……』
ここにいる人々は、空爆されて損壊した線路を直していたのである。
□111 元の線路
アリョーシャ、水を汲みに出た時と、全く同じ経路を通って(「104」の私の注を参照のこと)、戻って見ると、今しも、軍用列車は出てしまったところで、有に最後尾車両は二百メートルは先に行ってしまっている。
アリョーシャ、走るも、追いつけるすべもない。
小さくなってゆく貨車。
アリョーシャ、そこにいたさっきの工夫に何かを問うている(声はオフだが、消えてゆく汽笛が加わり、同時に標題音楽の不安定な変奏がかかり始める)。アリョーシャは恐らく、次の大きな停車駅に行ける道路のルートを尋ねたものと思われ、工夫が指示したレールを越えた左手に向かって走ってアウトする。
[やぶちゃん注:ここは後に示す「文学シナリオ」がごく現実的な解説を与えてくれる。]
□112 走る貨車の中で眠るシューラ
「105」のアングル。F・O・。
□113 泥道の街道
右からアリョーシャがイン、カメラ、少し左に動いて道の中央。
アリョーシャ「止まれ! 止まれ!」
画面左に、非常な旧式のトラックが来て、アリョーシャのところで止まる。
アリョーシャ(運転手に)「ウズロヴァヤまでお願いします! 列車に乗り遅れてしまったのです!」
許諾を得られたようだ。乗り込むアリョーシャ。
[やぶちゃん注:画像上も道路から上半分の中遠景部分の映像に人工的なスモーク処理(そこだけを光学的に全体に暗く撮影或いは現像処理してある)が施されていて如何にも不自然であり、これは実際にはかなり明るい日に撮影したものを加工処理したものと思われる。この画面の手前にある水溜りを見ても、実際には雨は全く降っていないのに、次のアリョーシャが乗り込んだばかりの「114」の車内の映像では、彼はびしょ濡れであり、運転手の向うのリア・ウィンドウもどしゃぶり、それ以降もスコール状態の怒濤の艱難辛苦シークエンスなのである。この安易な処理はちょっといただけないが、旧画像や映画館ではちょっと気づくことはなかろかとは思う(だからと言っていいとは私は全く思わない)。
なお、この「ウズロヴァヤ」は既に一度あるシークエンスで出てきた地名である。どこか? ここをお探しあれ。]
□114 トラックの中
フロント右手から(左ハンドル)。運転手はかなり老いた婦人である。
老婦人「ニュース、聴いたかい。」
アリョーシャ「ええ。」
老婦人「ひどいもんだ。」
[やぶちゃん注:これはうまくない戦況と、今の大雨と、この悪路と、このところの彼女の忙しさに対する総ての嘆きである。]
老婦人「この二日間、ろくに寝ていないよ。」
老婦人「泣きっ面に蜂じゃないのッツ!」
車がエンストしたのである。
□115 外(トラックの運転台の左側から)
大きな水溜り(深くはない)の真ん中で止まっているトラック。老夫人、扉を開けてクランク・ハンドルを差し出し、反対側から降りて回り込んできたアリョーシャにそれを渡してドアを閉める。
老婦人「泣きっ面に蜂じゃないのッツ!」
□116 外(トラックのボンネット・「115」よりもずっと前に進んだトラック前方の左上から)
物凄い雨の中、その前でアリョーシャ、トップ・ヘッドの最下部のクランク・シャフトへ差し入れて、回す。
□117 外(「115」に同じ)
何度目かで、エンジンがかかる。アリョーシャも乗る(画面には映らない)。トラック、走り出す。ともかく、路面は最悪。
□118 運転する老婦人(正面・フロント前から)
老婦人(右オフのアリョーシャに)「トラックも私も、いい年なんだよ。……息子がいてね。139野戦郵便局さ……知ってるかい?」
カメラ、左にパン。
アリョーシャ「いいえ。」
アリョーシャ、肉体的にも精神的にも疲れ切って、彼女にろくな返事が出来ないのである。
□119 水溜りの深みにはまりこんでしまうトラックのタイヤ
カメラ、トラックの後方(左)にパンすると、アリョーシャが豪雨の中、懸命にトラックを押している。なんとか、ぬかるみを抜け出る。
□120 ハンドル右手前より運転する老婦人のアップ
疲労から、彼女の目は運転しながら、時々、閉じがちにさえなる。左を向き(カット)、
□121 アリョーシャと老婦人
無言で、しかし笑みを含めてアリョーシャを見、
老婦人「心配しなくたって、きっと間に合うわよ!……フゥ……」
と溜息をつく。
しかし、アリョーシャは前方を見つめたまま、切羽詰まった硬い表情のままである。
[やぶちゃん注:私はしかし、この老婦人のその何とも達観した穏やかな溜息に、既に何か、奇蹟的なものを期待してしまうのである。アリョーシャには、それは無論、判らないのだけれど。]
□122 ウズロヴァヤ駅構内
(前の「121」の画像からオーバー・ラップで)右手に線路、中央に大きな水溜り。右から(既に映っている)アリョーシャが走って横切ると(カメラ、左にパン)、左に停車した貨物(機関車は接続していない五連車両)があり、それはあのアリョーシャが乗っていた貨物車の一部に酷似してはいる。
画面左手前に、銃剣附きの小銃を構えた兵士がおり、アリョーシャを咎め、
兵士「近寄るんじゃない!」
と制止する。
アリョーシャ、立ち止まって彼の方を振り向くと、
アリョーシャ「あの列車に乗っていた者です!」
と叫ぶ。
兵士「その列車は何処行きだった!?」
アリョーシャ「ゲオルギエフスクです!」
兵士は小銃を右肩に背負い、
兵士「ああ、その列車なら、もう、一時間も前に出たよ。」
と伝える。
アリョーシャ、水溜りに立ち尽くし、一瞬、固まる。
アリョーシャ、線路の先(奥)を眺めると、
――飯盒の水を
――水溜りに
「さっ!」と撒き、来た右方向に足取り重く戻って行く…………(音楽、止む)
――遠くで汽笛が鳴る…………
■やぶちゃんの評釈
この最後まで、「111」に始まった音楽は続くのである。また、アリョーシャが最後まで飯盒の水を持ち続けていたところに、「喉が渇いたわ」というシューラに水を――という強い〈想い〉が示されているところに着目せねばならない。ここで水を棄てるシーンには非常に深いアリョーシャの心傷が示されているのである。
以下、「文学シナリオ」のほぼ当該部に相当するものを示す。
《引用開始》
シューラの高い声が一杯に溢れる。彼女は床からひっくり返ったやかんを取り上げ、空っぽの底をアレクセイに見せる。彼女は、若者にのみ許された伝染性の満足しきった笑いにとらえられている。アレクセイはゆったりと微笑している。
彼は扉に近づき、それを開け広げる。
――もうよろしい。どんな〈凶悪な奴〉も怖くない。
――〈凶悪な奴〉だって!
シューラは笑った。
――アリョーシャ、悪い人間だと思っていた人が良い人だったなんて、何て楽しいことでしょう。
アレクセイはうなずいた。
二人は考えていた。やがて突然、シューラが質問した。
――アリョーシャ、あなたは友情を信じますか。
――どうしてです。友情のない兵隊なんてありえない。
――いいえ、それは知っていますわ。若者と娘の間ではどうですか。
――どうしてです。若者より信頼できる娘もいます。
――私もそう思うのですが、ある人々は、男女の間には愛情だけが可能だと考えています。
――馬鹿げていることです! たとえば私もある女の子に友情を持っています……友情を持っていても、愛情について考えたことはないのです。
――しかし、そう気が付かないでも、愛しているのではないんですか?
――何ですって。とんでもない!
彼は驚いた。
――でも彼女はどうかしら。
――いや、彼女は全く子供です。私の隣りのゾイカといいます。愛情だなんて、とんでもない。それは別物です。
アレクセイは打ち消すような身振りをして言った。
シューラは、自分の考えていることがおかしくなった。
――アリョーシャ、あなたは本当の友達、一生涯の友達に会いたいと思ったことがありますか。
彼女は、暫く間を置いて尋ねた。
アレクセイはうなずいた。
――私も!
娘は嬉しそうだった。
――あなたは私が行くことをどう考えますか。あなたは私をどう思っていますか。
――彼のところへ行くのは正しいことです。あなたはすばらしい女の人です。
――ああ、そんなではないのです!
――素晴らしい! それでなければとんでもない尻軽女ということになります。
――いいえ! アリョーシャ、あなたは何も知らないのです……。
二人は暫く黙っていた。やがて娘は、アレクセイを見つめ、決意の色を見せて言いかけた。
――ねえ、アリョーシャ……。
――何です。
彼は彼女を見た。彼女は取り乱して、眼を逸らした。
――何か、大変に喉が渇いたわ。そうでしょう。
――そうですね。
夜。汽車は、破壊された農村、焼け落ちた駅、線路からほうり出された貨車の残骸等の傍らを通り過ぎて行く。
シューラは、アレクセイの肩にもたれて眠っている自分に気が付かなかった。彼は眠ることが出来ない。座って考え込んでいる。娘の寝息に聞き入っている。シューラは、眠りながら信頼し切っているように、自分のほおを彼の肩に押しつけてきた。彼は用心深く立ち上がり、扉のところへ行く。そして、暗闇に過ぎ去って行く若木の森の梢を眺めている。
シューラは寝返りをうった。アレクセイは娘を眺めていたが、やがて静かに彼女に近づき、身を屈めて自分の外套をかける。
汽車どこかの駅に近づいて行く。二つの列車の間に停車する。
アレクセイは、やかんを取り立ち上がる。
シューラは眼を開ける。
――どこへ行くの。アリョーシャ。
――水を持って来ます。寝ていなさい。
彼は外へ飛び降りる。手に角燈を持った鉄道員が傍らを通って行く。
――おじさん、停車していますか。
――恐らくそうだろう。
――水飲み場はどこですか。
――ほら、あそこだ。
アレクセイは停車している列車の下をくぐって、線路を横切り、水飲場にかけて行く。水飲場には長い列ができている。アレクセイは列に近づく。ラジオの拡声機からアナウンサーの声が聞えてくる。誰もが息をこらして聞き入っている。
『われわれの軍隊は、困難な戦闘の結果、多数の敵の人命と武器に損害を与え、クルスク市を撤退しました。』
アレクセイは列へ話しかける。
――すみませんが、列車から降りて来たのです。やかんに水を汲ませて下さい。
彼は頼む。
すると、苦々しい感情のはけ口を発見したかのように、婦人達は兵士に食って掛かった。
――ここにいる者はみんな列車から来たんだよ!……
――列に並んだらいいだろう!
アレクセイはとまどったが、しかたなさそうな身振りをして、列車に戻って行った。
この時、サイレンが鳴り響いた。拡声機から、アナウンサーの声が聞えて来た。
――市民の皆さん。空襲警報です!……
うしろをふり返えったアレクセイの眼に、水飲み場の列が散って行く光景が映った。そこで彼は引き返した。静かに水を汲んだ。そして探照燈の光ぼうが走り回る空を見上げながら、列車に急いだ。誰かが彼の傍らを走って通った。隣りの列車で誰かがわめき散らしていた。客車の下をくぐり抜けたアレクセイは、空虚な線路をあっけに取られて見た。その時、角燈を持った鉄道員がやって来るのに気がついた。
――列車はどこですか。
彼は尋ねた。
――列車は出て行ったよ。お前は置き去りになったのかね。
――あなたは、しばらく停車するだろうと言ったでしょう。わざと人を困らせるんですか。
アレクセイは涙を流さんばかりに老人に食ってかかった。
――空襲警報のためだよ! 駅の構内を空にするように命令が出たんだ。
――どうすればいいんです。ねえ! おじさん! どうすればいいか言って下さい。教えて下さい!
――ウズローバヤに三時間か、それ以上停車するだろう。ウズローバヤまで行けばいい。
――ウズローバヤまで行くんだって! 何か方法はあるでしよう。おじさん、考えて下さい。自動車はありませんか。
――自動車だって! 木材倉庫へ急いで行け。駅の倉庫で、この近くにある。
木材倉庫。角材、板、薄板の山。すべてが、戦時の青い電燈の不安な光に映えている。
倉庫のところに、二台の古いトラックが並んでいる。
一台の自動車に、二人の女労働者が板を積んでいる。もう一人の胴着をきた小さい中年の婦人が二人を手伝っている。アレクセイは、並んでいる自動車に駆け寄る。彼は前にあったトラックの運転手に話しかける。毛皮の半外套を着て、冬の帽子をかぶった運転手は、ハンドルにもたれ居眠りをしている。
――すみませんが、ウズローバヤに行く車はありますか。
運転手は頭を持ちあげる。それは疲れで眠むそうな顔をした中年の女である。
――すみません。
茫然としてアレクセイはつぶやくように言った。
〈女運転手〉はあくびをして言った。
――向うにいる人に話しなさい。
胴着を着た婦を示し、再び、ハンドルにおいた手に頭なもたせかけた。
アレクセイは、胴着の婦人のところに急ぐ。彼女は立ち止まって、倉庫係と何か話している。女労務者は仕事の手を休めて二人の会話を聞いている。
――俺は言った、みんなだと。もう最後だ。
倉庫係は乱暴にわめいている。
アレクセイは近づいて聞いていた。女は静かに訴えるように話している。
――あんたには良心がない。十枚も足りない。露天で私達の家畜にどうすればいいんです!
――誰のところでも露天なんだ。誰でも納得している。戦争だからな! あんたは全くしつこい! 行ってくれ! 他人の仕事を邪魔しないでくれ!
倉庫係は怒鳴る。
――恥知らず! 板[やぶちゃん注:販売用の製材であろう。]を渡して下さい。どうせ、飲んじまったんでしょう。だがコルホーズにとっては、どうしても必要なんです。
――一体、俺と一緒に飲んだとでもいうのかい。飲んだのかい! ええ! あんたは誰に恥をかかせるんだ。
彼は小さい婦人に身体を押しつけて行く。
――おい、行っちまいな!
彼は彼女を押す。
アレクセイは我慢できなくなり、倉庫係のところへ飛んで行くと、怒りに息をはずませながら聞きとれぬような声で言った。
――この野郎、何をするんだ。女の人に向かって。
――お前は何を出しゃばるんだ。一体、お前は何だ。
倉庫係は怒鳴る。
アレクセイは拳を固め、黙って倉庫係に近づいて行く。今の彼はすさまじい形相である。倉庫係は後ずさりして行く。
――お前は何だ。気違いか。怪我でもしたのか。気をつけろ! おい!
倉庫係は恐ろしさに大きな声でくり返えしながら、後ずさりして行く。彼は何かにつまづいて角材積み場に倒れる。
アレクセイは彼に近づき、綿入れの上着を捕まえ、手を振り上げる。
――女達! 女達! 彼に板を渡してやれ!
彼は恐ろしさに目を閉じている。
アレクセイは、やっと自分を押さえ、倉庫係を突き放すと、向きをかえて倉庫から急いで離れて行く。
積荷は終った。アレクセイは運転台に座っている。婦人がモーターに点火する。
――若い人! あんたも敵意を持っていたのですか。見かけない人のようですね。
――私は敵意を持ってません。ただ、あんなのが嫌いなんです。奴等はファシストにも劣ります。奴等は敵です。全く明らかなことです。そうなんです。
アレクセイは何となく答えた。
――そうですとも。卑劣漢が一人いても、何人かの人の生活が破壊されます。
婦人は息をつぐ。
アレクセイは扉を少し開き、身体を外へ突き出して入り口のところでびくびくしながら見送っている倉庫係を見た。
――お前の運もそう長くはないぞ。戦場から帰ったらこのままでは済まさんぞ!
アレクセイは彼に叫ぶと、扉を音を立てて閉めた。
自動車が動き出した時、うしろからあざ笑いながら倉庫係は叫んだ。
――もう一度戦場から帰ってくるって! まだ、一度も戦場に行ってないくせに!
[やぶちゃん注:ここでのアリョーシャはまさに道義の士として、バリバリに英雄的である。しかし、もし映像で示したら、却ってそれは我々の知っているアリョーシャの姿としては、ちょっと違っている気がする。なくてよかったと私は思う。ただ、こういう前振りがあって老婦人との出逢いがあれば、実際に映像化された部分のちょっと〈説明足らずな感じ〉は拭われるとは言えるのである。]
夜……。雨にぬれる道路を自動車が行く。
アレクセイは、調子の悪いモーターの音に不安そうに耳を傾けている。モーターは唸るかと思うとむせぶように鳴る。自動車は滑り易い水たまりの道を静かに前進する。
――運わるく列車に取り残されたのです。
アレクセイはいらいらしながら話す。
――何でもないわ。多分追いつけますよ。ウズローバヤでは、時々は半日も停車していることがあります。遠くまで行くのですか。
――ゲオルギエフスクです。
――のびのびと休んでいられますわ! 戦場は違います。そこでは、休止することがない……ああ、戦争、戦争! 終りも見えないわ。
婦人は、深く悲しそうにため息をついた。
――いまいましい苦労ですね。
――そうです……私の息子も戦場です。第一三九野戦郵便局受付ですが、聞いたことはありませんか。
――いいえ。
――戦車隊です……。戦車の指揮官です。
〈女運転手〉は言いかけたが、モーターの変調がひどくなった。婦人は沈黙し、急いでレバーをつかんだ。無駄であった。モ-ターは一層弱って行き、とうとう止ってしまった。
アレクセイは悲しそうに婦人を見つめた。
――どうしたんでしょう。自動車も私と同年輩です。
彼女は浮かぬ顔をして冗談のように言った。
……アレクセイは激しくレバーを動かす。婦人は運転台とモーターの間を往復し、何かのてこを引張る。モーターはかすかながら動き始める。
再び自動車は走って行く。モーターは途切れ途切れに唸りを立てる。
――こんな風にこの機械で生活してるんです。それでもコルホーズの人々は生活してますわ……女だけで生活してます。女達はみんなで仕事をし、子守りをし、涙を流すのです。生きて帰ってさえくれればいいが……若い彼は激しく抱きついてくるでしょう!
自動車は道路を疾駆する。モーターはおだやかに動いている。雨にぬれた木の幹が通り過ぎて行く。
――このおばあさん自動車は勝手な方向に走ります。いまいましい、私と同じ頑固者なんです。一歩も動かないかと思うと、がむしゃらに走ったりします……。
運転手は、当然だという顔付で話す。
――それで列車に追いつくでしようか。
――ええ。可能です。四十分後には追いつくでしょう。
泥だらけの自動車。車輪の跡は、この自動車が曲り角でどんな曲り方をしたか、どんな風にぬかるみに落ち込んだかを証明している。まわりの大地は長靴で深く荒らされている。泥まみれの板が車輪の下から突き出している。自動車の周りに、アレクセイと彼の同伴者が立っている。
――戦争が終るまでここから出られないかもしれない! 馬鹿な私を許して下さい! 三晩も眠っていないのです。
アレクセイは悲しそうに沈黙している。
遠くから、モーターの重々しい唸りが次第に大きくなって聞えてくる。また金属が軋る音がする。
――何でしょう。
婦人は尋ねる。
――タンクのようですね。
唸りと軋りはどんどん近づく。そして雨あがりの夜霧の中から、重戦車のシルエットが現われてくる。方向を変えながら、タンクはアレクセイと運転手をライトの光で照らし出す。数秒間そのまま照らしていたが、やがて、轟音を立てて通り過ぎて行く。
そのあとに、二台目、三台目、四台目と続く。それぞれのヘッドライトが暗闇の中に、おんぼろの自動車とその傍らにたたずむ婦人と兵士を照し出して行く。
――戦場へ行くんです。
兵士は話す。
最後のタンクが向きを変えて、二人を照らし出す。そして、突然に近づいて来て停止する。ハッチがはねあがり、タンクから口ひげの濃い好男子の若者――戦車の指揮者が顔を出す。
――ようこそ、アルゴー船の乗組員諸君! 船が沈没したようですね!
彼は陽気に叫ぶと、返事も待たずに、誰か戦車の中に座っている者に呼び掛ける。
――ワーシャ、ザイルを引張り出せ、遭難者を救けるのだ!
戦車からも一人の戦車兵が手にザイルを持って現れる。彼は小さいがすばしっこい。彼は、ザイルの一方の端を急いでタンクに結びつけると、もう一方の端をもって、ぬかるみにはまった自動車のところに駆けて行く。アレクセイは彼を手伝うために駆けて行く。彼等は二人でザイルを結び付ける。その間、戦車兵は兵士に質問する。
――君、どうしてこうなったんだい。
――うん、駅に行こうとしていて、はまったんだ。
――分かった!……畑の女王様は我々がいなければいつもオシャカだ。
彼は直立不動になる。
――準備完了! 少尉殿!
指揮官は身を屈め、ハッチの内部になにか言う。二、三秒経過して、タンクは唸り出したかと思うと、おもちゃを取り扱うように、一気にトラックを道に引き上げる。少尉は大声で笑う。ザイルをはずしたワーシャは、いそいでタンクによじ登り、別れを告げて叫ぶ。
――到着したら連絡して下さい。
――どこへ連絡するんですか。
〈女運転手〉は尋ねる。
――あて先ははっきりしてます。ベルリン、留置郵便。ワシリイ・チョールト軍曹宛てです。
ハッチが音をたてて閉まり、タンクは勢いよく動き出すと、隊列を追って走って行った。
――全くそうですわ。全く〈チーョルト〉(悪魔)ですわ。
婦人はそう言うと、後ろを振り返り、激しく付け加えた。
――何というエネルギーが消えて行くのでしょう。いまわしい戦争ですわ。もしこのエネルギーが有効に使われたならば、地上の生活は、どんなに素晴らしいものになるでしょう!
[やぶちゃん注:以上の部分もエピソードとしてはいい。しかし、それは「アリョーシャの休暇の物語」としては、外れている。]
自動車は踏切で止まっている。アレクセイは自動車から飛び降り、別れを告げて手を振りながら、駅に駆けて行く。夜明けの薄明の中の路上に、列車の影が黒ずんでいる。機関車がいない。嬉しそうにやかんを振りながら、アレクセイは列車に走って行く。彼は水飲み場の傍らを通り過ぎる。水道の蛇口から水が流れ出ている。アレクセイは後戻りして、微笑しながらやかんに水を汲み、こぼさないようにしながら、列車のところに急ぐ。
列車から番兵が出てくる。小銃を構えている。
――あっちへ行け。
アレクセイは立ち止まり、ひょろひょろした番兵を眺める。
――私は、この列車に乗ってたんです。少尉が許可してくれました。
彼は説明する。
――どの少尉だ。
――列車の司令官です。ガヴリルキンも知っています
――ガヴリルキンだって?
――あなたに交替するまで番兵だった、太った男です。
――ああそうか、女のような兵士だな。
――そうですとも!
アレクセイは喜んだ。
――その列車ならば、一時間ぐらい前に出て行った。我々は別の方向に行くんだ。
アレクセイはこの列車が別のであることが、今初めて分かった。
アレクセイは黙って立っていた。そして、腹立ち紛れにやかんの水をごぼごぼとこぼし、ゆっくりと駅の建物の方に歩いて行った。彼は頭を垂れて歩いて行った。この夜の興奮と疲労とで、彼は全く参ってしまった。
《引用終了》
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