遊んでいる訳ではない
前に約束した芥川龍之介の若書き(十七歳)の「義仲論」で、マニアックなオリジナルにハマってるだけさ……と言うより……僕は何にも楽しくない……読まれない私の「仕事」は下らないのかも知れない……しかし、それが芥川龍之介が「侏儒の言葉」で言ったように、誰かたった一握りの「種」とは、なろうかも知れぬ、というところの、また、「蜘蛛の糸」のような危うい感覚だけの中にあって、毎朝未明、私はパソコンに向かうだけだ……「さて……今日は……何を……しよう」と。……最近、毎日、悪夢とは言わぬまでも、不快な夢ばかりを見て、暗いうちに目覚めてしまう……『もう、僕の中の「僕」という「時代」は終わったのだ』という強い痙攣的な観念が、三女のアリスを殺してからよりずっと続いており、毎夜、睡眠薬のお世話になっている……数年前から、妻とも父とも、いや、誰とも、僕はロクな話をしちゃいないのだ(軽い双極性障害の初期が疑われるとは思う)……アリスがいなくなって、外に出ることも殆んど全くと言っていいほど、なくなってしまった。……稀れに人と話すと、翌日は、これまた、それを反芻し、自身と相手の言葉を一日中繰り返し想起しては激しく声に出して痛罵するようなことがあるほどだ……かと思うと……昼間、突如、三十年も四十年も五十年も昔の、もう名前さえ忘れた誰彼の呟いた言葉の断片が、鮮やかに脳裏に浮かんできて、その人物の台詞がこれまた鮮やかに再現されたりするのだ(逆行性健忘症にしばしば見られる症状だ)……まあ……いいさ……私は「私の遣り口」の中で、私なりに、「生きる」しかないのだ……嘲笑される孤独(孤高とは言わぬ)の中で…………
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