小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(86) 官憲教育(Ⅱ)
終に大學に達する事になる――此處は官省に行く公式の表門である。此處では級の意志はつづいて或る方面では彼を支配して居るけれども、學生は以前にその私的生活の上にも課せられて居た抑制は、免れた事を知る。通例學生は卒業後官吏の生活に入つて、結婚し、一家の主人或は未來の主人となるのである。彼の經歷中此の時代に於ける變化が如何に急激であるかは、その變化を實際見た人のみが想像し得るのである。日本の教育の充分な意味が現はれ始めるのは其の時である。
[やぶちゃん注:以下の註は、底本では本文分四字下げポイント落ちである。区別するために、前後を一行空けた。]
註 これは近頃始まつた事である、そして學生等が自身承認する處によると、其の結果は良くはないのである。二十五年前には、大學で學問する事は極めて重大視され、若し自分の落度で落第でもすれば、その學生は罪人扱ひをされた事であらう。其の當時の大學(大學南黌)に修業に行く學生があると、彼等の友人や緣者は其の送別の際に、『男兒立志出鄕國、學若不成死不還』と漢詩を歌つたものである。其の時代にはまた學生たるものは、必らず衣食を質素にして、あらゆる自儘な行爲を愼まなければならなかつた。
[やぶちゃん注:「大學南黌」(だいがくなんこう)は東京大学の前身。但し、「黌」は「校」でよい。戸川氏はその更にルーツの一つである江戸時代の「昌平坂学問所」=「昌平黌」から、この字を用いてしまったものか。意味は学舎で同義ではある。御茶の水の旧昌平黌(現・湯島聖堂)に設置された「大学本校」が明治三(一八七〇)年七月に閉鎖された後、神田一ツ橋(錦町)の旧「開成所」(文久三(一八六三)年に設置された江戸幕府の洋学教育研究機関)跡に設置された洋学教育を専門とする大学校。明治五(一八七二)年の学制により、この「南校」は「第一大学区第一番中学」、明治六(一八七三)年には「専門学校」(後年の専門学校令に準拠した旧制専門学校とは異なる)となって「開成学校」と改称し、翌年にはさらに「東京開成学校」に改称された。その校地は「東京大学法理文三学部」に継承され、その後、現在地の東大本郷校地に順次移転した。
「男兒立志出鄕國、學若不成死不還」「男兒、志しを立てて鄕國を出づ。學、若(も)成らずんば、死しても還らず」。
「自儘」「じまま」と読む。言うまでもなく、「自分の思うままに振る舞うこと・思い通りにすること」の意。]
日本の生活の出來事のうち、魯鈍な學生が、一朝にして威風を備へた、落ち着き拂つた、悠々たる態度の官吏と變はる事位驚くべきものは少い。ほんの少し以前には、彼は帽子を手に持つて、文章の說明や、外國語のイデイオム[やぶちゃん注:idiom。語法。ギリシャ語の「特性」が語源。]の意味の說明を鞠躬如[やぶちゃん注:「きくきゆうじよ(きっきゅうじょ)」と読む。身を屈めて慎みかしこまるさま。]として諮いて[やぶちゃん注:「きいて」と読んでいるか。但し、「諮」の原義は上の者が下の者に問いはかるの意であるから、この漢字は相応しくない。]居た學生である。然るに今日は恐らく彼は何處かの法廷で裁判をして居るか、大臣の下で外交文書を管理して居るか、或は公立學校の管理の任に當つて居るのである。學生としての彼の特殊の才能に就いてどう評價されて居たとしても、彼が招かれて占めた位置に對して特に適應して居る事は殆ど疑を要しないであらう。彼の任官の際には、彼が學問に於てどれほど成功したかといふ事は、考慮されるとしても後廻はしになるのであつた――彼が學問をした目的は、それに成功する事を第一として居た筈なのであるが。彼が或る性質の人格を備へて居るとか、或は少くともかかる性質を具備する見込みがあるとかいふ譯で選拔された後、彼は高位のものの庇護を受けて、特殊の過程を經させられた。彼の場合には依怙贔屓があつたかも知れない、併し大體に就いて云へば才物は信任されて顯位に任命されるのである。政府が重大な目違ひをする事は滅多にない。此の男は單に學問ばかりが彼の身に添へ得る價値以上の價値を有つて居る、――管理の方面とか組織の方面とか――或は又彼の訓練が助けて養正した天賦の力量又は技能を有つて居る。彼の價値の性質に從つて、彼の位置は豫め彼の爲め選ばれたのである。彼の長い、辛い學校通ひは。書物が教ヘ得るよりも以上を彼に教へ、愚鈍な人間には決して呑み込めないものを習得させた、則ち人の心や動機の讀み方、解き方――あらゆる場合に感情を色に現はさぬ事――一二の問だけで速に眞相を把握し得る方法――(昔なじみの最も親しい人に對してさへ)自分を見透かされぬ用心をする事――最も愛矯よく人に接して居る時でも、隱しだてをして心底を披瀝瀞しない事などがそれである。彼は世間的な智慮の術に[やぶちゃん注:「を」とすべきところ。]卒業したのである。彼は實際驚くべき人で、彼の種族のうちで極めて發達した型である、そして彼の外見に現はれた藝能は、彼の優劣を測るのに餘り役に立たないのであるから、經驗のない西洋人は彼を判斷する事を得ないのである。彼の大學の學問――彼の英語、佛語、或は獨逸語の知識――は政府の或る機械の働きを容易にする油位の役にしか立たぬ。彼は此の學問を或る行政の目的に對する手段としてのみ考へるのである。もつと著しく深い彼の實際の學問は、彼の日本人の精神の發達をあらはすのである。彼の心と西洋人の心との間の距離は測り難くなつてしまつた。そして此處で來ると、彼は今迄よりも益〻自我を沒却してしまつて、己れにして己れに非らざるものとなつてしまふ。彼は一家族に屬し、一黨派に屬し、一政府に屬する事となる。私には習慣の掣肘を受け、公には唯だ命令に從つて行動しなければならない、そして命令と違反せる衝動は、縱令それが如何に高潔で道理に適つたものでも、それに從ふ事は決して夢にも出來ないのである。一言が身の破滅の原となる事もあらう、故に彼は必要がなければ一言も云はない事を學んだのである。默々として命令に從ひ、義務さへ倦まずに遵奉して居れば、彼は出世が出來るのである、忽ちに出世が出來るのである。彼は知事となり、裁判長となり、大臣となり、全權公使となり得る、併し彼の榮達に伴なつて彼の羈絆[やぶちゃん注:既出既注。「牛馬をつなぐ」の意から、「足手纏いとなる身辺の物事」或いは「束縛」の意。ここは後者。]は益〻重くなるのであらう。
注意と自制との長い訓練は、實際官吏生活に必須の準備である。獲得した位置を維持して行く能力も、立派に辭職する能力も、かかる訓練に依る處が多いのである。官吏生活の最も惡るい事柄は、道德上の自由の缺如――自身の正義の信念に從つて行動する權利の缺如である。特に自己の位置を維持し度いと欲する屬吏には、獨自の信念或は同情心などがあるとは考へられて居ない――但し上官のお許しの出た場合は格別であるが。彼は一人の人間の奴隷ではなくして、一制度の奴隷である――支那のそれの如くに古い一制度の。若し人間の天性が完全無缺であれば、その制度も完全無缺であらう、併し人間の性質が將來も今のやうである限りは、此の制度には改善すべき點が多い。萬事が、高い力を一時的に委託された人々の人格によるとされるであらう。そして惡主人に使はれて居る最も才能ある奴僕が選擇すべき唯一の方法は、主家を去るか或は惡事を行ふかいづれかである、と云つて良からう。强い人間ならばその問題に勇敢に當面して辭職するが、怯懦な者の五十人に對して强い者は一人位な割合である。如何なる種類の命令違反にせよ、命令違反に附隨する犯罪に就いての古來の觀念は、極めて深刻であつて、此の罪を犯す恐ろしさに較べると、地位を棒に振る位の事は恐らく何でもないのである[やぶちゃん注:ちょっと判り難い訳である。原文は「Probably the prospect of a broken career is much less terrifying than the ancient idea of crime attaching to any form of insubordination.」である。平井呈一氏はここを『というのは、一度履歴につまずきがあると、その者の前途は、おそらく命令違反のあらゆる形んついてまわる昔の罪悪観念に劣らぬ、恐ろしいものがあるからだ』と訳しておられ、全く躓かずにすんなり読める。]。教義の信仰が既に消滅した後も宗教の形式が殘存して居るやうに、良心をさへ强制する政府の力は猶ほ殘存して居る、――宗教が最早政府と同一のものとは今ではは最早云はれないけれども。飽くまでも勵行された祕密の制度は、行政上の權威といふ觀念に、今迄いつも附隨して來た漠然たる畏怖を維持する助けをする、而してかくの如き權威は私が既に示したああいふ範圍内では實際全能である。權威に依つて寵遇を受ける事は、突然造り出された人氣のあらゆる幻覺的な樂しさを經驗するといふ意である。一社會全部、一市全部は、一言を聞いて、その人間的性質のあらゆる溫良な側を、その寵遇を受けた者に向けてしまふ。その者はこれを見てすつかり好い氣持ちになつて、世界が自己に與へ得る最上のものを受くる價値が自分にあると信じてしまふ。併し人を動かす權勢が、此の寵遇を受けた者が或る政策の妨害をして居る事を後に偶〻見出すと假定する。すると又一言囁きの聲がすれば、彼は自身何故とも知らないのに、たちまち公敵となつてしまつて居る。彼に話しかけるものも、挨拶の禮をするものも、笑ひかけるものも無い――偶〻あれば皮肉な笑を見せるだけである。長い間彼を尊敬した友人等は知らぬ顏して通り過ぎる。或は若し彼が彼等を追うて極めて眞面目に問ふ事もあれば、彼等は出來るだけ簡單に注意して答へる。多分彼等も『何放か』といふ理由を知らないのである。彼等の知つて居る處はただ命令に從つてやつて居るのだといふ事と、命令の理由は詮索しない方が爲めになるといふ事である。往來に遊ぶ子供等もこれだけは知つて居る。そして失望落膽して居る運命の犧牲者を嘲笑する。犬でさへも本能的にその變化を察して、彼の通りすがりに吠えかかるのである……官吏となつて不興を招いた結果はかういふ風である。そして大過誤や規律の違犯は、これよりも猶ほ著しく遙かな程度に達するかも知れない――併し封建時代には、違犯者は單に切腹を命ぜられた事であらう。時として惡人が權勢を得る時には、權威の力は邪惡な目的の爲めに用ひられる事もあり得る。かかる事が起こると、良心に背いた事をさせる命令に反して行動するには、少からぬ勇氣が入用である。かうした種類の壓制の最も惡るい結果から、昔の日本の社會を救つたものは、大衆の道德的感情、――卽ち、權威に悉〻く[やぶちゃん注:「ことごとく」。]服從して居る下に磅礴[やぶちゃん注:「はうはく(ほうはく)」(或いは「ばうはく(ぼうはく)」)と読み、「旁礴」「旁魄」などとも書く。 ここは「混じり合って一つになること」の意。他に「広がり満ちること・満ち塞がること」の意もあり、ここはそれでも意味がとれる。]して居て、若し餘りに殘酷に壓迫されると、反動を餘儀なくせしめ得た共通の感情――であつた。今日の狀態は正義に對して昔よりも都合のよいものである。併し段々と出世しつつある官吏が、新しい政治的生活の暗礁や渦潮の中を切り拔けて、安全に舵を取つて行くには、大きな手腕と、堅實さと、決心とが要るのである。
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讀者は今、一制度としての、官憲教育の一般の性質、目的、及び結果を了解する事が出來るであらう。また同樣に、昔の狀態と昔の傳統の復活とを證して居る學生生活の或る方面を詳細に考察する事も價値ある事であらう。私は教師としての自分の經驗――殆ど十三年間に亙る經驗から、これ等の事に就いて話す事が出來るのである。
[やぶちゃん注:以下、一行空け。]
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