ソヴィエト映画グレゴーリー・チュフライ監督作品「誓いの休暇」論 或いは 待つ母というオマージュ 7 エピソード2 シューラ(Ⅰ) 出逢い
エピソード2 シューラ
□23 ボリソフ駅保線区内
(「22」のボリソフ駅ホームのシーンのF・O・画面ですでに、鉄道構内を示す独特のさざめきがSEで入っていて、それがF・I・する形で画面が開く)貨物列車が止まっており、貨車の扉が開いていて、干し草が積まれているだけであることが判る。その扉に倚り懸かって軍用列車の保守担当と思われる、小太りの、如何にもどん臭く、何やらん一癖ありそうな感じのする兵士(名はガヴリルキン。面倒なので名で示す)が、銃剣附きの小銃を車体に立てかけて、貨車に倚りかかり、林檎をむしゃむしゃと齧っている。そこに右からアリョーシャがインして、
アリョーシャ「こんちは! 戦友!」
ガヴリルキン「こんちは。」
アリョーシャ「今日、出る?」
ガヴリルキン「その通り。」
アリョーシャ「ゲオルギエフスク行(ゆき)?」
ガヴリルキン「その通り。」
アリョーシャ「なあ、聴いてくれよ、戦友……」
ガヴリルキン「だめだ。彼は君を連れて行かねない。」
アリョーシャ「誰が僕を連れてってくれないって?」
ガヴリルキン「中尉殿さ。」
アリョーシャ「ねえ、僕はどうしても……」
ガヴリルキン「これは戦略用物資なんだ。」
アリョーシャ「何だって? ただの干し草じゃないか!」
ガヴリルキン「特別な用途の干し草なんだ。」
アリョーシャ「軍馬用だろ!」
ガヴリルキン「特別な種類の軍馬のための干し草なんだ。」
食い下がるアリョーシャ。「帰郷許可証」を出してガヴリルキンに詰め寄る。
アリョーシャ「戦略物資としての干し草だってことは判ったよ! でも、僕の休暇は残り二日しかないんだ!」
ガヴリルキン「中尉は認めないよ。」
アリョーシャ「どんな人なの!?」
ガヴリルキン「彼? 彼奴(きゃつ)は鬼さ。」
位置を貨車の奥の方に変えて、また、林檎を齧る。
(カメラ位置を後ろにして貨車の中を映しながら)
アリョーシャ「そうだ、聴いてくれよ……中尉なんて忘れちまいなよ!……僕がこの貨車に乗ったって、わかりゃしないって!」
ガヴリルキン「何かが起きてからじゃ、遅いってことさ。」
アリョーシャ「『何か』て何さ?」
ガヴリルキン「火事とかさ……」
アリョーシャ(笑って、懐柔し)「どうして僕が火事を起こす?」
ガヴリルキン「判らねえってか? お前のその雑嚢の中にさ、何か危険物が、入ってるかも、な。」
アリョーシャ「あぁ! この中! コンビーフね!」
ガヴリルキン「なに! コンビーフだ?!」
ガヴリルキン、俄然、興味を持ち出すのにつけ込んで、アリョーシャ、雜嚢から、掌に余る大缶詰のコンビーフを出すと、ガヴリルキン、林檎を背後に投げ捨て、受け取る。
ガヴリルキン、如何にも「ほう!」という感じで撫ぜ、頬張って咀嚼していた林檎を一気に呑み込み、鑵の蓋面を怪しげな顔をしつつも、如何にもしげしげと見る。
ガヴリルキン「お前さんは、哨兵である私を買収しようって言うのか?」
アリョーシャ「よし! じゃ、返せ!」
ガヴリルキンから缶詰を取り返そう、と演ずるアリョーシャ。
ガヴリルキン「待てよ! 待てって! 冗談だよ、本気にすんなって! 待てって!(笑う) おぅ! えへ!(背後を窺いながら)……わかったって。……乗ったら、音を立てるんじゃねえぞ……分かってんな?」
アリョーシャ(如何にも真剣を装って)「わかったよ。」
F・O・。
[やぶちゃん注:「僕の休暇は残り二日しかないんだ」確認すると、アリョーシャは将軍からは「郷里行きに二日」+「前線へ戻」「るのに二日」+「屋根の修理に」「二日」で六日与えられている(ここ)。]
□24 線路
右からカーブしてくるそれを進んでくる蒸気機関車。最後は線路のごく脇から車体を左下からあおって撮る(経過と安息を示す標題音楽が被り、以下のシークエンスに続く)。
□25 干し草の貨車の中
干し草の間で雑嚢を枕に眠るアリョーシャ。
□26 回転する機関車の動力輪(三基)
ゆっくりと回転を停止してゆく。
□27 貨車の中(「25」でよりフレームが接近。以下、1ショット)
機関車が一時的に停止する。すると、貨車の扉を開けて閉める音がする(オフ)。直きに動き出す機関音がする。アリョーシャは眼を覚まし、顔を起こすと、思わず、起き直って、脱兎の如く、雑嚢を越え、干し草の山の奥の方へ潜み、扉の方を窺う。汽車は直ちに動き始める。アリョーシャ、干し草の蔭から、扉の方をそっと窺うが、「はっ」として頭を下げつつも、眼はそちらを見詰めている。
□28 貨車の中(以下、1ショット)
扉の内側。そこに立つ女の後姿。プラトークで頭を被(おお)っている。左手に風呂敷包みを持っている。
そのまま、振り返る。
右手にはコートを引っ掛けている。
まだ少女の面影を持った若い娘である。
プラトークを後ろに、完全に外すと、奥に少し進み、コートと外したプラトークを右手の干し草の小さな山に、
「さっ!」
と掛ける。(ここでカメラは途中でティルト・ダウンして、右画面には娘の下半身のみとなる)
同時に、その小山の背後(画面のこちら側)にはアリョーシャが息を呑んで潜んでいたのだが、その正面を向いた顔に、まずコートの端が頭に触れ、アリョーシャ、
「ぶるっ!」
としたかと思うと、そこにさらにプラトークの端が、
「ぱっ!」
と全面に懸かって、アリョーシャの姿(観客側に見えていた顔と胸部)の全面に掛かって、全く見えなくなってしまう。
そのまま、画面の右半分は、何も知らぬ娘の下半身を映し続ける。
娘は左のスカートを、右手で払う仕草をする。
しかし、どうも違和感があるらしい。
両手で、左脚のストッキングがずり下がっているのを直そうと、画面右手の干し草の上に足を、
「ぐっ!」
とかけて、それをたくし上げようと、ひざ上までスカートを捲くり上げて直そうとする。
――と
――その時
アリョーシャは、顔を覆われている状態で、何がどうなっているのか判らぬから、掛かっているプラトークを静かに右手で払い上げ、上方をこっそりと見上げる。
――と
それに娘が気づき(アリョーシャに罪はないとは言え、確かにシチュエーションとしてはすこぶる最悪である)、
「オ! ホイッツ!!」(私の音写)
と激しい叫び声を上げると、即座に背後の扉に取りつき、右足を高々と上げて踏ん張って扉を引き上げ、風呂敷包みを外に投げる。(奥の貨車外の疾走する列車からの景観はスクリーン・プロセス)
□29 川
疾走している機関車から川面に落ちる娘の風呂敷包み。跳ねた水の小さなわが向う側に、落ちた堤の大きな輪が水面に広がる。
□30 貨車の中(28と同じアングル)
アリョーシャが飛び出て、
アリョーシャ「やめろ!!」
疾走している貨車から飛び降りようとする娘の左手を摑んで、止めようとする。(以下、本作のヒロインである彼女の名「シューラ」で示す)
シューラ「何すんのよぅッツ! 放してッツ!! ママ!」
執拗に飛び降りようとする娘を懸命に引き止めるアリョーシャ。以下、かなりの乱闘となる。
シューラ「やめて! 放して!! ママ!!!」
アリョーシャ「やめるんだ! お前は気が狂ってるのかッツ?!」
シューラ「やめて!! ママ!!」
シューラ、アリョーシャを平手打ち!!!
アリョーシャを押し倒すと、扉から飛び降りようとする!
[やぶちゃん注:優しい青年アリョーシャはきっと生まれて初めて女性から平手打ちを食らったものに相違ない。]
□31 貨車からの風景(相応な幅の川の橋の上。アーチと柵と僅かな渡し板)
汽車は川の橋の真ん中を凄いスピードで疾走している!
□32 貨車から飛び降りようとするシューラ
シューラの顔のアップ。アーチの影が彼女の顏を過るぎ。「31」と「32」が両度カット・バック。(しかし、見た目誰が見ても、川に飛び降りることが出来ようとは思えない。最後の外景は川を渡り切る手前である)
□33 貨車入口(カメラは外から)
それでもシューラは両手首で目を蔽い、飛び降りようとしているらしい。背後からアリョーシャが抱き抱えて、貨車内の干し草のところに、投げ入れる。
□34 貨車内
アリョーシャの足をなめて左奥の干し草の間に投げ飛ばされるシューラ。昂奮の中でも乱れたスカートを直すシューラ。
□35 貨車入口(カメラは内側から)
アリョーシャ「馬鹿かッツ! 君はッツ!!」
□36 貨車内
シューラ「あたしに触らないで!」
□37 貨車入口(カメラは内側から)
アリョーシャ、開け放された扉を乱暴に閉じる。
□38 貨車内(左上方から俯瞰)
息を切らして、半ば口を開けて扉の前に茫然と立つアリョーシャ。右手の干し草の山に背を押しつけて慌てるシューラ。何か、意味に成らないことを口走っている。
アリョーシャ「僕が何をした!」
シューラ「こっちにこないで! お願いだから!!」
アリョーシャ、乱闘で落ちた自分の帽子を拾おうすると、シューラは触られると思って、叫び声とともに干し草の一山に飛び上がる。
アリョーシャ(呆れた表情で)「そっちへなんか行きゃあしないよッツ!」
アリョーシャ、帽子を拾い上げると、荒っぽく左手に当てて「パン!」と埃をはたく。
シューラ、びっくりしてまた下がる。
アリョーシャ、手前(貨車奥の寝ていた位置)に動くと、シューラ、反射的に扉の近くに逃げる。
アリョーシャ、落ちているシューラのコートを乱暴に彼女に投げつける。
□39 扉の前のシューラ(以下、1ショット)
受けたコートを左手に掛けると、振り返って、扉をあけようとする。
アリョーシャ(オフで)「開けるんじゃないッツ!」
驚いてアリョーシャに振り替えるシューラ。
アリョーシャ(オフで)「扉から離れろ!」
シューラ「いや。」
苛ついたアリョーシャが左からインして近づこうとすると(後姿)、シューラ、口を大きく開いて、
シューラ「マーマー!!!」
強力に叫ぶので、アリョーシャ、固まる。
アリョーシャ「正気か?」
シューラ「離れて。」
アリョーシャ「どうしたっていうんだ?」
シューラ「近寄らないでよ!」
アリョーシャ「叫ぶな!」
シューラ「いやよ!」
アリョーシャが宥めようと、少し近づこうとするが、またしても、
シューラ「マーーーーーーー!!!」
の強烈な〈口〉撃!!!(ここに汽笛が合わせて入る)
アリョーシャ(たじろぎつつ、呆れ果てて)「気がふれてる!……(右手で素早く宙を切りながら)勝手にしろ!」
と言って、背後に戻る(左へアウト)。
アリョーシャ(オフで)「よし! 勝手にするがいい! 行けよ! 行っちまえよ! 飛び降りて、首の骨でも折っちまえ!」
間。
シューラ「……飛び降りない。……もうすぐ……どうせ、汽車、止まるもん。」(この台詞の終りから経過と安息を示す標題音楽が始まる)
□40 走る機関車と貨車
見たレールの感じでは、「24」のシーンと同じ場所で撮ったものと推察される。
□41 貨車内(扉前位置から奥へ)
手前左手に立つシューラ。こちら側の左に顔を向けている。彼女は実は非常に髪が長く豊かで、それを三つ編みにしたものを左肩から手前に垂らしている。
右手奥の干し草に腰掛けているアリョーシャ、ぼんやりしている。手持無沙汰(ガヴリルキンとの火災の戒めがあるから煙草も吸えない。いやいやいや! きっと吸いたくてしょうがないだろうなぁ、この気まずい雰囲気じゃね)で、振り返って、貨物の板目の隙間から外を眺める様子。
□42 外
カメラ位置はゆっくりとスピードを落としている貨車の台車の隙間から向うの土手を覗いて撮る。汽車はごく少しだけそこに停止するらしい。しかし、そこに向こうの土手からわらわらと民間人が貨車に向かって走り降りてくる。乗り込もうとするつもりである。
□43 貨車内 扉の前
列車は停まった。シューラ、扉を開けようとするが、二度ほど引いても、びくともしない。眉根に皺を寄せて、悲しげな表情で振り返り、
シューラ「開けてください、出て行きます。」
アリョーシャ、左からインして、扉に手を掛けて開けようとする。そこに、
ガヴリルキン(オフで)「止まれ! これは軍用列車だ!」
□44 貨車の外(扉の前・あおり)
ガヴリルキン(バスト・ショット)、手を振って民間人らを牽制し、遂には銃剣附きの小銃をとって威嚇する。
ガヴリルキン「俺が捕まえたら、そいつは軍法会議行きだッツ! おい! お前! 近づいたら、撃つぞッツ!」(この台詞の後半は次の「45」にオフでかぶる)
□45 貨車内 扉の前
手前右でアリョーシャを見ている(後姿)シューラに目を向けて右手で「シーッツ」(静かに)の仕草をするアリョーシャ。
□46 外(「43」と同じの台車の覗きのアングル)
ガヴリルキンが小銃を一番手前の荷物を持った婦人に向けて脅しつけている。列車、早くも動き始める。
□47 外
「42」と同じアングルで、すでに貨車はゆっくりと動いている。向うに立ち止まって固まってしまった民間人たちがおり、その手前にガヴリルキンの下半身が見え、彼は貨車の最終車両の最後のラウンジ部分に小銃を投げ入れると、やおら、乗り込む。
□48 貨車内
隙間から外を窺っているアリョーシャ。シューラ、手前右手で立ったまま泣きだす(以下、この1ショット内では泣きっぱなしで恨み言を言う)。アリョーシャ、振り返って、
アリョーシャ「……しょうがないよ……」
シューラ「……みんな……あんたのせいよ……荷物をみんな投げ捨てちゃったのよ……」
アリョーシャ「仕方ないじゃないか!」
シューラ「あんたが悪いのよ! やっぱり!」
アリョーシャ「あそこで飛び降りてたら、もう、死んでるぜ!」(アリョーシャ、左手前へアウト)
シューラ「……じゃあ、何であんたは隠れてたのよ!……」
アリョーシャ(シューラの前の台詞を食って)「君じゃなく! 少尉殿から隠れてたんだ!」
□49 貨車内のシューラの顔のアップ
シューラ、不思議そうな顔をして、泣きやみつつ、
シューラ「……それって……誰なの?……」
アリョーシャ(オフで)「この列車の指揮官だ。」
□50 貨車内(「48」と同位置)
アリョーシャ、シューラをみつめながら、
アリョーシャ「僕は君より前にここに潜り込んだんだ。怖い奴で、もしその人に見つかったら、僕は列車からほっぽりだされちまうんだ!」
アリョーシャ「だから、あの時、君のこと、てっきり、その少尉か! と思ったのさ。」(台詞の最後でアリョーシャはちょっと微笑む。初めてシューラに見せたアリョーシャの笑顔である。シューラは後姿だが、同じく最後で彼女軽くふき出す笑い声がかぶる)
□51 貨車内のシューラの顔のアップ
シューラ、アリョーシャをみつめながら、初めて小さな声を立てて笑う。純真さと美しさに溢れた笑みである。
□52 貨車内(「49」と同位置)
アリョーシャの顔がなごんでおり、口元には笑みらしいものも漂う。シューラ、涙はまだとまらず目を右手で押さえている。一見、一種の嬉し涙のようにも見えるが、実際には以下、シューラが呟く事実を、彼女がここで思い出してしまった結果の涙である。
アリョーシャ「ひっぱたかれたあん時は、慌てたよ、心臓が飛び出るんじゃないかってね……」
シューラ、カメラの方に顔を向け、
シューラ「……包みには、全財産、入ってたの……パンも……」
アリョーシャ「戻って探せばいいさ。どこかに引っ懸かってるさ。」
シューラ「……そう思う?……」
アリョーシャ「なあに、橋桁(はしげた)に引っ懸かって、君を待ってるさ。」
[やぶちゃん注:子供染みた会話ではあるけれど、二人が始めて素直に会話するシークエンスとして微笑ましい。「パン」は直後への伏線である。]
シューラ「……でも……この汽車……ぜんぜん――止まらない……」
□53 走る列車
レールと台車だけの低い位置。(終わりで標題音楽かかり始める)
□54 最終貨車末尾の如何にも狭いラウンジ
ガヴリルキン、しゃがみ込んで、アリョーシャからせしめた大きなコンビーフの鑵を開けて、大型のスプーンでもりもりと喰らっている。
□55 貨車内(以下、1ショット)
二人、干し草のブロックに座っている(右にアリョーシャ、左にシューラ。向きは凡そ九十度角)。対面でないが、二人の距離は今はごく近くである。シューラは、前を見るともなくぼんやりしながら、左肩からおろした長い髪を編み直している。アリョーシャは編んでいる美しい髪をみつめ、また、視線を挙げてはそのシューラの顔をみつめたりしている。(視線は辛うじて交差していないのでシューラはアリョーシャの視線に気づいていない。観客には不自然であるが、そもそもがここは照明のない至って暗い貨車内であるから、シューラのぼんやりした視線の意味は、それを考えると実は至って事実として正しいと言えるのである。但し、このぼんやりしたシューラの表情は実際にはここを降りなければならない時が近づいていることへの一抹の淋しさ――それは未だ彼女自身も何故かはよく判っていない――淋しさを意味しているのかも知れない)
シューラが、ふっとアリョーシャを見ると、アリョーシャは、慌てて、視線を上の空に向け、ため息をついては、顔を反対に逸らせてしまう。そうして、やおら、シューラの方を向くと、
アリョーシャ「もうすぐ、停まるよ。」
と声をかける。シューラ、少し淋しそうな感じで目を伏せる。
アリョーシャ「降りる時は、誰にも見つからないように、こっそり、とね。」
シューラ(頷きながら)「うん。」
シューラ、笑う。しかしどこか淋しそうでもある。
シューラ「……荷物……見つからないかも知れないわ……」
アリョーシャ「……それじゃぁ……降りなければいいんじゃない?」
「はっ」とアリョーシャを見詰めるシューラ。
アリョーシャ「食べ物なら僕が持ってるし、この車は乗り心地もいいじゃないか。」
少し間をおいて、
シューラ「……でも……やっぱり降りるわ。」
アリョーシャ、あからさまに淋しそうな顔になって、目を落とす。
□56 線路を行く汽車と貨車
左手前から右奥にカーブしており、スピードが有意に落ちかけている。
□57 貨車内の扉の前
奥の扉のところにシューラ、左手前にアリョーシャ(後姿)。
アリョーシャ「降りる気持ちは変わらない?」
シューラ「ええ。」
[やぶちゃん注:この台詞の後の、二人の何か落ち着かない動きや表情がよい。しかし、それ以上にこのカットはライティングが素晴らしい。隙間を漏れたという体(てい)で、シューラの顔の部分にライトが当てられているが、それがシューラの可憐な美しさを実によく引き立てているからである。]
□58 扉の前のシューラの顔のアップ
シューラ「何だか、心配なの。」
□59 扉の隙間から覗くアリョーシャの横顔のアップ
左からインして、注意深く、二箇所から外の様子を覗いて、右(シューラのいる方)を見るアリョーシャ。その真摯な透き通るような両目。
□60 扉の前のシューラの顔のアップ
シューラの表情は最早、不安ではなく、はっきりとした淋しさを湛えている。
□61 貨車の中(中景・「57」のアングル)
アリョーシャ「大丈夫だよ。」
と言って貨車の奥(左手前)へアウトしてしまうのであるが、
――と
――汽笛の音が同時に挙がり
――同時に列車が引かれる音がする
(しかも同時にここでテーマがかかる。ヴァイオリンの絃をぽつりぽつりと弾く形で、この後、カットを越えて「64」まで続く)
ついに扉も開けず、降りなかったシューラは
――下を俯くと
――安堵に満ちた笑みをさえ浮かべている……
□62 線路を行く汽車と貨車(「56」と同じ位置)
最終車両もカーブにかかって、スピードが上がり始める。
□63 最終車両のラウンジ
寝ているガヴリルキン。(あの巨大なコンビーフ鑵を平らげれば、眠くもなろう)
□64 貨車内
アリョーシャ、奥に置いた雑嚢をしゃがんで取り上げ、中をごそごそし始める。左手前にシューラが立っている。
□65 干し草の積荷の脇に立っているシューラのバスト・ショット
口を半ば開けて、如何にも覗き込むような視線でアリョーシャの方(カメラ側)を見ているシューラ。何かを見て、「はっ!」として、口に手を当てつつ、慌てて背を向ける。
□66 アリョーシャの左側面のバスト・ショット
布包みを開きながら、シューラに向かって、
アリョーシャ「何か食べる?」
□67 シューラ(「65」と同じフレームで)
落ち着いて前を向くシューラ。
シューラ「……食べ物?……いいえ――ありがとう――お腹、空いてないの――」
と言いながら、また背を向けかける彼女に、
アリョーシャ(オフで)「遠慮すんなよ。」
シューラ(小さな声で)「いいえ。」
□68 アリョーシャ(「66」と同じ)
アリョーシャ「見ろよ! ベーコンだぜ!」
何重もの包みから物を取り出して見せる。
□69 シューラ(同前)
ちょっと心ここにあらずの呆けた表情で。
シューラ「……ベーコン?……」
□70 アリョーシャ(同前)
アリョーシャ「そうさ! ちょっと試してご覧!」
□71 シューラ(同前)
シューラ「……そう……じゃあ、味見だけ。――ごく小さいのだけ……」
□72 走る汽車(全景)
かなりスピードが上がっている。
[やぶちゃん注:運動性の変化をより示し易いからか、本作での走る汽車の全景画像はカーブでの撮影が頗る多い。]
□73 シューラのアップ
両手で持った大きなベーコンを挟んだパン(黒パンではなく白い密な感じのものである。「文学シナリオ」に『乾燥携帯食糧』とあるものであろう)に齧りついて、咀嚼するのも惜しむように食べるシューラ。よほどお腹がへっていたのである。
□74 走る機関車の車輪
パワー全開!
□75 貨車
干し草に腰かけたシューラのかぶりつきのアップ。
アリョーシャ(ここはオフで)「おいしいかい?」
シューラ「フ、フン(ええ)。」(答えるのももどかしげだ。ここでカメラは引いて右手にしゃがんでいるアリョーシャが映る)
アリョーシャ「兵士用の配給品なんだ。」
シューラ「(フ、フン(そうなの)。」(同前)
やっと一心地ついたか、アリョーシャに、
シューラ(如何にも楽しそうに)「私、ワッフルが好きなの。食べたことある? 筒みたいになってるの。戦前のこと、思い出しみて。」
と訊く。(初めて二人が普通の世間話をするのがこれである)
アリョーシャ「僕は田舎に住んでたからね。」(アリョーシャは「ワッフル」を知らないのである)
シューラ「私は町よ。」
またしても、もりもり食べるシューラ。左手の指で挟めるほど、文字通り、ごく小さな塊の方を食べているアリョーシャは、シューラを見上げながら、微笑んでいる。
■やぶちゃんの評釈
「71」を見かけ上の対措定とし、「72」-「73」―「74」―「75」のこのアップまでのそれは、エイゼンシュタインが好んだ、今では常套的となった古典的な今では判りやす過ぎるともされそうな「比喩のモンタージュ」である。
また、ここでアリョーシャがずっと貨車の床にしゃがんでいるのは、シューラ役のジャンナ・プロホレンコ(撮影当時は十八、九歳。二〇一一年、満七十一歳で逝去)の身長が低いからであろうと思われる。彼女はとても美しいししなやかである。これはバレエをやっていたからである。しかし如何せん、彼女は一つだけ、背が低いという欠点があった。グレゴーリー・チュフライ監督のインタビュー画像でも、彼女の将来性に期待をかけていたために娘ジャンナの映画俳優デビューを渋る母親(彼女の実の父は、今回、ロシア語の彼女の逝去記事を機械翻訳した限りでは彼女が幼少期(恐らくは一歳の時)に前線で戦死している。そんな事実も或いはこの作品での彼女の演技の素晴らしさに関係しているものかも知れない)に、 どんなに華麗でテクニックがあっても、彼女は身長が低過ぎて、残念ながら主役は張れない、この作品ならヒロインになれる! と言って口説き落としたというエピソードが語られている。背の高いウラジミール・イワショフ(アリョーシャ役。撮影当時は十九、二十歳。一九九五年満五十五歳で逝去)と常に双方を同じ立位で撮ると、カット上、不均衡が際立つからである。立位では狭い貨物内でもパースペクティヴを以って奥にシューラを配することが多いのは、アリョーシャの目線の意識であることとともに、こうした構図上の配慮が働いていると考えるべきであろう。
なお、ここでシューラが言う「ワッフル」はロシア語字幕では「вафели」となっている。辞書を引くと「ウエハース」となっているのだが、この部分のロシア語の文字列の中に「筒状をした」とあることから、これは現在の我々が思い浮かべる枡型の模様のついた丸いワッフルでも、見慣れたおしゃれなスマートなウエハースでもないのである。調べたところ、発見した! サイト「ロシア・ビヨンド」の「ソ連にタイムスリップできるキャラメル入りのカリカリワッフルロール」でその画像が見られる。その記事には旧『ソ連』で『子供時代を過ごしたわたしの両親もワッフルロールが大好きだった。父は学校の食堂に並んでいた数え切れない焼き菓子の中でも一番おいしいものだったと回想する』とあり、『ワッフルのレシピはとっても簡単で、いつでもキッチンにあるもので作れる。難しいのはワッフルを筒型にするところである。手でやれないこともないが、何か円錐型、円柱型のものを使えば』、『より簡単に作れる。わたしがいつも使うのは木製のすりこぎ。これで完璧なロール型を作ることができる。ワッフルは熱いので、やけどしたくないなら綿かシリコンの手袋を使ってもよい。それ以外の工程はとても簡単』とあって、『カリカリのキャラメル入りソ連風ワッフル』と解説しておられるのだ。シューラが食べたのは、これだ!
以下、「文学シナリオ」の当該部を示す。
《引用開始》
貨物列車。どの扉もぴったり閉ざされている。
貨物に小銃を立て掛け、自分は貨車に寄りかかって、頑丈な兵士が短い外套を着て立っている。その姿は洗濯をする太った農夫に似ている。兵士はガリガリとリンゴをかじっている。
アレクセイは彼に走り寄る。
――今日は、戦友!
彼は息を切らして話しかける。
――今日は……
太った兵士は見向きもしないで、答える。
――今日、出発するのですか。
――そうだ。
――ゲオルギエフスクにですか。
――そうだ……。
――戦友、すみませんが……。
――許可がない。
兵士は話の腰を折る。
――誰が許可しないのですか。
兵士は、しばらくリンゴをかじっている。一所懸命に顎を動かしていたが、やがて飲み下し答える。
――少尉だ。[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]
――分かってるんですか。
――みんな知っている。だめだ。戦略物資だから。
アレクセイは貨車を眺める。小さい排気口を通して、圧縮した乾草の塊が見える。
――乾草が戦略物資ですか。
――問題は誰のための乾草かということだ。
兵士は平然と答える。
――馬にでしょう。まだあるんですか。
――問題はどんな馬にかということだ。
アレクセイは腕を組んだ。
――では、あなたの乾草が戦略物資だとしましょう。でも、それはあなただけの呼び方だ。
アレクセイは腹を立てて、休暇証明書を取り出す。
――私は休暇で帰るのです。前線から。分かりますか。戦友。半日過ぎてしまった……。私には二日しかないのです。
――私は分かるが、少尉はだめだ。
証明書に目もくれずに答える。
――いったい彼はどういう人間ですか。
――彼が?……獰猛だ! 分かったかね。
アレクセイは口ごもった。そして悲しそうに軍用列車を見た。
――聞いて下さい! 少尉なんかどうでもいい。私は貨車に潜り込む。彼も気が付かないでしょう……どうです。
――それで、お前のために俺が軍事裁判にひっぱり出されるというのか。
――そんなことで軍事裁判ですって。
――お前も貨車に火をつけて軍事裁判だ。
――何で私が火をつけるんですか。
――つまらんことさ……そら、お前のバッグに何が入っている。恐らく引火し易いものだろう。
――ええ、肉の缶詰です。見て下さい。
――肉の缶詰だって。どれ、見せてみろ。
兵士は活気づく。彼は肉の缶詰を手に取り、目を皿にして見ていたが、羨ましそうに嘆息する。
――前線の兵隊さん! 運がいいな。前線には時計やアコーディオンの分捕り品が、山ほどあるということだが!
――本当です。こんなアコーディオンを取って来て聞くことができるでしょう。
兵士はアレクセイの缶詰を取り、目の前でぐるぐる回した。そして突然に言った。
――するとお前は、番兵に賄賂を使うというのかい。
アレクセイは腹を立てて、番兵の手から缶詰を引ったくろうと思った。しかし番兵は、慌てて缶詰を背中に隠した。
――まあ待ってくれ! 冗談が分らんのか。冗談を言ったんだ。
兵士はあたりを見回した。付近には誰もいなかった。
――だが条件がある。貨車には忍び込んで消えるのだ。分かったかい。
貨車。その貨車の右も左も天井まで、圧縮された乾草の束が積まれている。貨車の中央には空間があり、床に束からこぼれた乾草の塊が散らばっている。
アレクセイは満悦していた。彼は自分の持ち物を床に広げて整理している。突然すぐ近くで声が聞こえる。アレクセイは警戒する。話している人間が近づいてくるのを知ると、彼は乾草をひっくりかえし、その下に隠れる。声はだんだんと小さくなる。汽車は動いた。危険は去ったように思えた。
アレクセイは乾草の隠れ家からはい出す。そして、誰かが、ぴったり閉った貨車の扉を力一ぱいに引き開けているのに気がつく……。扉が開く。
彼は顔を乾草に押しつけ、息を殺している。数秒ののち、扉は元通りに閉められる。アレクセイは恐る恐る頭を持ちあげ、びっくりする。扉のところに十八才位のやせっぽっちの娘が立っている。重い扉を動かしたことと心の興奮から、彼女は激しく呼吸している……。彼女の足もとに小さい包みが置いてある。
娘は、貨車の中には自分一人だと信じている。
彼女はネッカチーフの結び目を解き、それを頭から取り、薄地のジャケツの胸を開く。走ったためにずり下った長靴下を引き上げ、細い腰のゴムひもをきつく締める。
全身乾草だらけのアレクセイが、隠れ家から口をぽかんと開けて、その光景を眺めている。
娘は本能的に辺りを見まわし、兵士を見つける。彼女は思いがけぬ出来事に驚いて息をつめる。しばらく二人はたがいに見合っている。
汽車は次第に速力を増して行く。
アレクセイは少し身体を動かした。何か言おうとした……。娘は一瞬、扉に身体を押し付け、足で壁を押す。扉はがらがらと開く。車内に車輪の音が響いている。大地が流れるように過ぎて行く。娘は包みを取ると、車から投げ出し、自分もその後から飛び降りようとする。しかしその時、アレクセイは彼女の肘を後ろから捕まえる。
――どこへ行くんだ。
彼は、娘を入り口から引き戻しながら叫ぶ。
彼女は彼の行動を勝手に解釈し、乱暴に逃れようとする。
――離して、卑劣な人! 離して!
彼は彼女を乾草の山に押しつける。
――お母さん!
彼女は絶望して叫び声なあげ、力一杯腕をふりまわして、彼の顔をぶつのである。
アレクセイは彼女の足でひどく蹴飛ばされ、避け損なって飛ぶように車の隅に投げ出される。
娘は扉のところに駆け寄る。しかしこの時、汽車は鉄橋を渡っている。轟音と扉の透き間から見える鉄枠が娘を正気に返えす。彼女は立ち止まり、恐しさに目を閉じる。
慌てて駆けつけたアレクセイが、再び彼女を引き戻す。彼女は柔らかい乾草に倒れ、おののきながら、スカートを抑さえ、憎しみと恐怖のまなざしで彼を見つめる。
――ばかな!!!
彼は大声で言い、扉の所に行く。
――開けておいて……
彼のうしろから、娘が弱々しく憐れっぽい声で言う。
扉が音を立てて閉まる。貨車の中が一層暗くなる。
アレクセイは振り返り、娘を注意深く観察する。しかし、彼が扉のところから動こうとすると、彼女はまた飛び起きる。
――近づいてごらん!
彼女はおどすように言いながら、後退する。
アレクセイは驚く。
――あんたは一体気が確かなのか。
――近づいてごらん、思い知らせてやるわ!
――あんたに私が何をするもんか。
アレクセイは、心から打ち消すように言った。彼は自分のところに行き、乾草に腰を下ろす。娘は機を見ては、別の片隅に移って行く。彼女は暫く侍っていたが、やがて扉に近づいて行く。
――どこへ行くんだ。それならば扉から出て行くがいい。
アレクセイはいかめしく命令する。
――出て行きません!……。
――出て行けと言ってるんだ。そうすれば、もっと悪いことになるだろう。
娘は引手にすがりついた。アレクセイは立ちあがり、彼女の方に歩いて行く。
――ああ!!!
娘は精一杯の叫びをあげる。
彼は停止する。娘は突然静かになる。
――どうしたんだ。
彼は驚く。
――どうしたんだ。
――何をわめくんだ。何が気にさわるんだ。
――近寄らないで……。
――だから、扉から出て行け。
――出て行きません。
アレクセイは彼女のところに動いて行った。
――ああ!!
再び娘はわめき出した。
――たしかに、気が変だな。
彼はそう言いながら、元の場所に戻った。
時間が経過した。娘は以前の場所にずっと立っていた。アレクセイは振り返り、彼女を眺めて微笑しながら質問した。
――ふん、あなたは何を恐れているんですか。
娘はそっぽを向いた。
――私は邪魔しない。
――やるならやってごらんなさい。
――朝まで立っているのか。
娘はまたそっぽを向いた。
……汽車は速力を緩めながら駅に近づく。まだ汽車が止まらないのに、袋や籠をもった数人の女たちが線路を通ってかけて来る。彼女達を見た太った兵士は、最後尾の貨車から大儀そうに飛び降り、線路を横切って行く。
貨車の扉のところに娘がいる。彼女は何回か引き手を引くが、扉は動かない。そこで彼女はアレクセイの方を向いて、訴えるように言う。
――扉を開けて。私は出て行きます。
アレクセイは扉に近づいた。
突然、扉の外で、太った兵士の大きな声が響く。
――おい、軍用列車から出ろ! 捕らえて軍事裁判に引き渡すぞ!
娘は震えながら、恐怖の眼差しでアレクセイを見る。貨車が動揺し、再び汽車は動き出した。扉の向こうで番兵が、また叫ぶ。
――おい聞こえないか。打ち殺してやる。
汽車は速力を増した。娘は悲しそうにアレクセイを眺めた。彼は両手を広げて、困惑したように振った。
前方で機関車の汽笛の音が長く響いた。車輪は線路の継ぎ目でガタンガタンと音を立てていた……。一刻一刻と汽車は駅から遠ざかって行った。娘は低く頭を垂れ、静かに泣いていた。
アレクセイは心配になって来た。
――なんて無茶苦茶なんだ。
――みんなあんたのせいよ。
彼女は泣きながら言った。
――みんなあんたの責任よ。全部あんたの責任よ。あんたのおかげで持ち物を捨てたの
よ!
――けがをするところだったじゃないか。
――あんたの知ったことではないわ!
彼女は泣き喚くのを止めずに続けた。
――お願いはしなかったわ。
――けがをすればよかったんだ。
――あんたは何なの。何で私にいやらしいことをするの。
アレクセイは驚いて目をしばたたいた。
――私がいやらしいことをしたって。
――では誰なの。
――自分で貨車に潜り込んでおいて。私がいやらしいことをしたって。
――そうよ。……では、なぜ、わらの中に隠れていたの。
――何という気違い女だ。第一、これはわらではなく乾草だ。第二に、私が何であんたから隠れる[やぶちゃん注:「必要がある」の意。]のか考えてごらん。
――では誰からなの。
――少尉からさ。
――どの少尉なの。
――列車の司令官だよ。私もあんたも同じようにモグリで乗ってるんだ……。知ってるかい、捕らえられるとどんなにうるさいか。点検されるんだ……司令部で!
涙に濡れた目を一杯に開いて、娘はアレクセイを見つめた。彼は微笑しながら、彼女にうなずいた。
――あんた[やぶちゃん注:「今判った君」の意。]よりもっと恐ろしかった。あんたが少尉かと思ったもの。
娘は微笑んだ。
アレクセイは同じ調子で続けた。
――恐怖は体験したし、侮辱は受けたし、その上、全部の責任もかぶさせられたという訳だ。
二人は大声で笑った。やがて娘は深刻な顔付きになった。
――袋の中にみんな入っているんだわ。パンも、スカートも、身の回りのものも。
彼女は話す。
――何でもない。戻って袋を探せばいい。
――あなたはそう思いますか。
娘は期待をもってアレクセイを見る。
――もちろんです! どこでなくしたかな。きっと今頃は、橋げたに引っ掛かってあなたを待っていることでしょう。
アレクセイも〈あなた〉と敬称を使って呼んだ。[やぶちゃん注:ここは大事。]
娘は突然、何かを思い出して恐ろしそうな叫び声を上げる。
――ああ!
――どうしたんです。
アレクセイも驚く。
――櫛もあの中だわ。
アレクセイは笑った。
――どうして笑うのです。髪を解かすことが出来ないのよ。
――私のを貸して上げます。
アレクセイは言いながら、娘に櫛を差し出す。
彼女はでこぼこの大きい歯の付いた金属製のいかつい櫛を面白そうに見ている。
――まあ、何ていう変てこな櫛なの!
――差し上げます。
彼は気前よく申し出た。
――あなたはどうするの。
――取りなさい! 我々のところには一杯あります。自分で作るのです。
――どんな風に自分で?
――全く簡単です。飛行機から。
――どんな飛行機から?
――ドイツのです。
――飛行機から櫛を作るのですか。
――匙もパイプも……ジュラルミンです……。
――そうですの。では、頂きますわ。
彼等は黙った。貨車の下では、車輪が正確に鼓動していた。壁は時々軋んだ。娘はため息をつき、不安そうに言った。
――一体、どこまで行くのかしら。
……汽車は小さい駅に近づいて行く。貨車は振動した。ブレーキが音を立てた。
――到着しますよ。
アレクセイは言った。彼は残念そうに溜め息をついた。
――誰にも気付かれないように早く行きなさい。
娘はうなずいた。汽車は次第に速力を落として行く。
――もし袋がなかったら、どうすればいいのかしら。私には何も、お金も何もないのですわ……。
――そうだなあ……。そういうことだ。
アレクセイは同情して言った。
二人は黙った。
――ねえ! 汽車を降りなかったらどうです。
突然アレクセイは言った。
――どうしてです。
――このまま行くのです。食物は私が持っているし、汽車は順調に進むし、貨車は全く快適だし!
彼女は、彼を注意深く見つめた。
――いいえ。私は降ります……。
彼女は貨車が止まった時に扉を開けようと、その近くに立った。
――このままで居なさい……!
アレクセイはもう一度提案した。
娘は頭を横に振った。
汽車は停止した。彼女は引き手を取って、耳を澄ました。静かだった……。彼は黙って待機した。
――誰か歩いているわ。
彼女が言った。
アレクセイは耳をそばだてた。静かだった。
――そうですね……。誰か歩いているようですね。
彼は言った。
二人は暫く沈黙した。
娘は動かなかった。貨車の扉の外は相変わらず静かであった。とうとう汽車がゆっくりと動き出した。彼女は扉のそばにうなだれて立っていた。アレクセイは彼女から目を離さなかった。
汽車は速力を増した。アレクセイは軽く溜め息をついた。彼は急いで自分のバッグのところに行き、その中からパンとベーコンを取り出しにかかった。
――お座りなさい……。
彼は彼女に言った。
――いいえ、よろしいです。欲しくありません。今、満腹ですから。
――どうぞ、遠慮しないで!
――遠慮はしませんわ。満腹ですの。
――まあ、食べてごらんなさい。ほら、こんなベーコンです。
――ベーコン?
彼女は気を引かれた。
――そうです。食べてごらんなさい。
――食べてみようかしら。ほんのちょっぴりですよ。試食するだけですから。
そして、二人は乾草の上に向き合って座り、食事している。娘の手には巨大なベーコンとパンが握られている。
彼女はそれを口一杯にほお張っている。明らかに非常に空腹であることが分かる。
アレクセイも旨そうに食っている。
――おいしいですか。
彼は質問する。
――ううん……。
娘は、口一杯ほお張りながらうなずく。
――乾燥携帯食糧です。
――ううん……。
娘は、慌てて食べ物を飲み込み、咳き込んで付け加える。
――私はワッフルがとても好きですわ! こんな風な筒の……。戦争前は売っていましたが、覚えていますか。
――私は戦争が始まるまで、村に住んでいました。
――私は街ですわ。戦争前も今も。
《引用終了》]
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