小泉八雲 神國日本 戶川明三譯 附やぶちゃん注(74) 遺風(Ⅰ)
遺 風
或る佛寺の庭に數百年を經た幾本かの老樹がある――異常な形に矯められ込まれた樹である。龍に象どつたもの、塔の形のもの、船のもの、傘のものいろいろとある。これ等の樹の一本がその自然の傾向にまかせられたと想像すれば、それは、それ程長い間有つて居た奇異な形を終には失ふであらう、併し、新しい葉は最初は最も抵抗の少い方向にのみ開くであらうから、可なり長い間輪郭には變化がないであらう、卽ち、當初鋏と刈り込み小刀とで定められた制限內にのみ開くであらう。丁度此の樹のやうに、剱と法律とで昔の日本の社會は剪み込まれ刈り込まれ、曲げつけられ束縛されて居た。そして明治時代の改造の後、――廢藩と武士階級の廢止の後――それは、植木屋が此の樹木の手入れを止めてしまつたと假定した場合のやうに、なほ其以前の形を維持して居たのである。封建の法律の羈絆を脫し、武權統治の鋏から逃れたけれども、社會組織の大半は、其古昔の樣子を保存し、その稀有な光景は西洋の觀察者を困惑させ喜悅させ又欺瞞したのである。此處には實際珍らしく、美しい、奇怪(グロテスク)な、極めて神祕な――彼等が他處(よそ)で見た、珍奇で心を惹き附ける處の何物にも全然似ない魑魅(エルフ)の國があつた。それは基督以後の十九世紀の世界ではなくて、基督以前の幾百年の世界であつた。併し此事實――驚異中の驚異であるが――は世界から認められずに居た、そして今日に至つても猶ほ大槪の人が認めずに居るのである。
[やぶちゃん注:「魑魅(エルフ)の國」原文「Elf-land」。「エルフ」はゲルマン神話に起源を持つ、北欧の民間伝承に登場する空想の種族。本邦では「妖精」或いは「小妖精」と訳されることも多い。本来は自然と豊かさを司る小神族であった。エルフはしばしば、とても美しく若々しい外見を持ち、森・泉・井戸・地下などに住むとされる。また、彼らは不死或いは長命であり、魔法の力を持っている。名称は印欧祖語で「白い」を意味する「albh」に由来すると考えられ、「albh」はまた、ラテン語で「白い」を意味する「albus」、ポルトガル語・英語等の「アルビノ」(白化体)の語源でもある。ギリシャ・ローマ神話における「ニンフ」(英語: Nymph)と同様な存在である。]
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