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2019/07/05

「Blog鬼火~日々の迷走」開設十四周年記念《芥川龍之介未電子化掌品抄》(ブログ版) 小說を書き出したのは友人の煽動に負ふ所が多い

 

[やぶちゃん注:大正八(一九一九)年一月一日発行の『新潮』の「出世作を出すまで――文壇の人となつた徑路と一般的に認められた作を書いた當時のことども……(新進十二家の感想」の大見出しのもとに上記標題で掲載されたもの。底本は一九七七年刊の岩波旧全集第二巻に拠ったが、同底本では副題に「――出世作を出すまで――」があるものの、これは改題により全集編者が副えたものであるので除去した。傍点「・」は太字に代えた。

 書かれたのは大正七年末であろうが、当時、芥川龍之介は満二十六歳で、未だ海軍機関学校に勤務していたものの、既に辞任の意志を固めていた(但し、学校の都合もあり、辞職は翌年三月三十一日附。新たに大阪毎日新聞社客員社員となった)。過ぐる二月二日に塚本文と結婚していた。大正七年の作品ではざっと見ても、五月の「地獄変」(『大阪毎日新聞』連載。リンク先は私の電子テクスト。別立てのオリジナル詳細注もある)、七月一日発表の初めての童話「蜘蛛の糸」(『赤い鳥』。リンク先は私の「傀儡師」版。私は別に岩波旧全集版も電子化し、両者の詳細な校異も別に作成してある)、九月一日の「奉教人の死」(『三田文学』リンク先は私の岩波旧全集版。私は本作には強い拘りがあり、他に作品集『傀儡師』底本版「奉教人の死」テクストや、本作の種本である斯定筌(Michael Steichen 1857-1929)著「聖人傳」の「聖マリナ」、さらには自筆原稿復元版(ブログ版)等も電子化している)、十月一日の「枯野抄」(『新小説』リンク先は私の岩波旧全集版。他にも作品集『傀儡師』版「枯野抄」本文+「枯野抄」やぶちゃんのオリジナル授業ノート(新版)PDF縦書版同HTML横書版も用意してある)といった彼の代表作となる優れた作品群が書かれている。また、この大正八年一月十五日は満を持した第二作品集「傀儡師」(リンク先は私の芥川龍之介作品集『傀儡師』やぶちゃん版(バーチャル・ウェブ版)。全収録作品が読める)を新潮社から刊行している。「傀儡師」は芥川文学の一つのピークを象徴する優れた作品集である。この文章末尾の自負がまっこと、腑に落ちる。

 私が躓いた部分のみを注しておく。

「山宮」は詩人で英文学者の山宮允(さんぐうまこと 明治明治二三(一八九〇)年~昭和四二(一九六七)年)。山形県生まれ。芥川の二歳年上で一級上。第一高等学校から年東京帝国大学英文科卒。大正三(一九一四)年の第三次『新思潮』の創刊に参加した一人。大正六(一九一七)年、川路柳虹らと「詩話会」を結成し、翌年には評論集「詩文研究」を上梓している。第六高等学校教授・東京府立高等学校教授・法政大学教授を務めた。ウィリアム・バトラー・イェーツやウィリアム・ブレイクの翻訳紹介で知られる。

「珠邨談怪」「しゆそんだんくわい」。明初期の朱翊清(よくせい 生没年未詳)の撰になる小説。恐らくは志怪小説集であろう。

 なお、本電子テクストは、本ブログ「Blog 鬼火~日々の迷走」開設十四周年記念として公開するものである。【2019年7月5日 藪野直史】]

 

 

 小說を書き出したのは友人の煽動に負ふ所が多い

 

 小學校に通つてゐる頃、私の近所にあつた貸本屋の高い棚に、講釋の本などが、澤山並んでゐた。それを私は何時の間にか端から端迄すつかり讀み盡してしまつた。やがて、さうしたものから導かれて、まづ「八犬傳」を讀み、「西遊記」「水滸傳」を讀み、馬琴のもの、三馬のもの、一九のもの、近松のものを讀み始めた。傍ら十歲位の時から始めてゐた英語と漢學とを習つた。德富の「思ひ出の記」や、「自然と人生」を、高等小學一年の時に讀んだ。中學時代には、泉鏡花のものに沒頭して、それを悉く讀んだ。漢詩も可成り讀んだ。續いて夏目さんのもの、さんのものも大抵皆讀んでゐる。中學の五年の時に「義仲論」といふ論文を校友會雜誌に出した。これが一番始めに書いて出して見た文章であつた。しかし、當時ではまだ作家にならうといふやうな考は浮ばなかつた。將來は歷史家にならうといふやうに思つてゐた。

 中學を卒業してから、無試驗で一高の英文科に入學した。もう歷史家になる考もなかつた。相變らず小說を讀んでゐた。主に德川時代のものが多かつた。德川時代の淨瑠璃や小說の次には、西洋のものにも移つた。丁度自然主義運動で當時我文檀に流行したツルゲーネフ、イブセン、モウパッサンなどを出鱈目に讀み獵つた。

 高等學校から大學に進むと、小說は支那のものに移つた。「珠邨談怪」「新齊諧」「西廂記」「琵琶行」などを無闇と讀んだ。日本の作家のものゝうち、志賀直哉氏の「留女」を好きで讀んだ。武者小路實篤氏のものも讀んだ。その頃讀んだものゝ中で、殊に感激させられたものは、ジヤン・クリストフであつた。

 以上は主にこれまでにもお話したことのある私の讀んだものに就ての、大あらましの筋道だが、創作を書き出した動機といふと、大學一年の時、豐島だの、山宮だの、久米だので第三次の「新思潮」を出した時に、「老年」といふ短篇を書いたのが初めである。それでもまだ作家になる考がきまつてゐたのではなかつた。その頃久米がよく小說や戲曲などを書くのを見て、あゝいふものなら自分達でも書けさうな氣がした。そこへ久米などが書け書けと煽動するものだから、書いて見たのは、「ひよつとこ」と「羅生門」とだ。かういふ次第だから、書き出した動機としては、久米の煽動に負ふ所が多い。「ひよつとこ」も「羅生門」も「帝國文學」で發表した。勿論兩方共誰の注目も惹かなかつた。完全に默殺された。現に「羅生門」の如きは、今日親しく交際してゐる赤木桁平すらも默殺した。

 その後新たに出た第四次の「新思潮」の同人に加はつて、その初號に「鼻」といふ小說を書いた。それが夏目さんを始め、小宮君や、鈴木三重吉君や、赤木の目にとまつて、褒められた。三重吉君の如きは、それを動機として、その年の「新小說」の特別號に小說を書かしてくれた。それが「芋粥」である。前の「羅生門」も「芋粥」も「今昔物語」から材料を取つてゐる。「今昔物語」は當時でも今日でも、私は愛讀を續けてゐる。その後今日まで小說を書き續けてゐるが、本當に小說を書いて行かうといふ勇氣を生じて來たのは、最近半年ばかりの事である。

 

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