小泉八雲 神國日本 戶川明三譯 附やぶちゃん注(81) 近代の抑壓(Ⅲ)
勿論自由競爭に對する近代の社會的抑壓は、古代の社會を支配して居た利他主義的精神の復活と擴張とを現はすもので、――何等固定した習慣を單に繼續する事ではない。封建時代には車屋は無かつた、併しあらゆる工匠や勞働者は組合或は仲間を作つて居た、そしてこれ等の組合が維持した規律は、單に個人の利益の爲めに企圖されたものとしての競爭を禁止したのであつた。これと同樣な或は殆ど同樣な組織の形は、今日工匠や勞働者によつて維持されて居る。そして熟練した勞働に對する組合外の傭主の關係も、昔の共同生活主義的の遣り方で、其の組合又は仲間によつて定められて居る……。例へば立派な家を建てようとする人があるとすると、その人はその目的の爲めに仕事に熟練した非常に怜悧な階級を相手にする事となるであらう。何となれば日本の大工は、殆ど工匠に伍すると共に、また美術家とも伍し得るかも知れないからである。建築は建築會社に依賴する場合もあらうが、併し一般の通則として大工の親方に依賴する方がよい。此の親方といふのは建築技師と請負師と大工とを一身に兼ねて居る人である。依賴人はどんな事があつでも自分で職人を選擇したり傭つたりする事は出來ない、これは組合の規定で禁じてあるからである。依賴人はただ契約をする事が出來るのみである。そして親方は、自分の設計が承認を經れば、餘の事は皆引受けて遣るのである――材料の買ひ入れも。運搬も――大工、左官、瓦師、疊屋、建具屋、金物屋、石工、錠前屋、硝子屋の傭ひ入れまでもやる。各親方は彼自身の大工組合なるものより遙かに以上を代表して居るからである。彼は家の建築と家の造作とに關するあらゆる方面に子分をもつて居るので、依賴者は彼の要求と特權とに于涉しようとする事などは夢にも試みてはならない……。彼は契約に從つてその家を建てるが、併しそれは偶〻關係の第一步たるに過ぎない。一度彼に依賴した以上、其の依賴者は、立派な充分な理由がなければ、一生の間破棄するを得ない約束を實際に彼と結んだのである。後に依賴者の家のどの部分に何事が起こらうとも――壁、床、天井、屋根、土臺のいづれたるとを問はず――依賴者は彼に修繕の事を相談しなければならぬので、他人には誰れにも決して相談してはならないのである。例へば屋根に雨洩りが出來たとしても、極間近の瓦師とか錻力屋[やぶちゃん注:「ブリキや」。]を呼ぶ譯には行かない、若し漆喰に罅が入つても、自分から左官屋を呼ぶ譯には行かないのである。その家を建てた人が、其の家の狀態には責任を有つて居るので、親方は其の責任を飽くまで大切にして居る、彼以外には左官、屋根屋、錻力屋を呼ぶ權利はないのである。若し依賴者がその權利を妨害すれば、依賴者は何か不愉快な意外な事に出遇ふかも知れない。若しその權利を厭うて法律に訴へれば、其の後は、どんなに償金を出した處で、大工も瓦屋も左官も其の家には來なくなる、和解は何時でも出來るが、併し組合は必要もないのに、法律に訴へた事を面白く思はないであらう。そしてこれ等の職人組合はいつも、誠實に仕事をするので、仲直りをするのが結局良い事になる。
また庭造りの仕事を取つて見る。先づ綺麗な庭を造り度くて、立派な推薦のある庭師を傭ふとする。彼は庭を造り、依賴者はその賃錢を拂ふ。併し此の庭師は實際一の仲間を代表して居るのである。そして彼を傭つた譯で、彼でも、或は彼が屬する庭師組合の他の組合員でも、依賴者がその庭を所有して居る限りは、絕えずよく氣を附けて吳れる事が極まつて居るのである。季節の變はる度に彼はその庭に來て、萬事を整頓して吳れる、生垣も刈り込んで吳れる、果樹にも鋏を入れる、垣根を修繕する、蔓物の恰好を直して吳れる、花物に手を入れる、――夏ならば、か弱い灌木にひどく日の當たらないやうに紙の日除けを立てる、霜の時節ならば、藁で小さな霜除けをして吳れる、――彼は極めて僅の報酬で、凡百の有益な器用な事をして吳れる。併しながら、若し此の男の出入を止めて、他の者に代はらせようとしても、充分理由の無い限りは、とても駄目である。元の關係が相互の承諾上で解かれた事が確に分からなければ、どんなに金を出しても、他の庭師は來て來れないのである。若し依賴者の方に苦情をつける立派な理由があれば、仲人が入つて其の事は落着する。そして組合の方から、依賴者に、先き先きの迷惑のないやうに計らつて吳れる。併し依賴者がただ他の者を傭ひ度いからと言つて、理由もなく前の庭師の出入を止める譯には行かないのである。
[やぶちゃん注:以下、一行空け。]
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