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2019/08/12

諸国因果物語 巻之三 目録・女の執心人に敵を討する事

 

諸國因果物語卷之三

 

女の執心人にかたきを討(うた)する事

祖父(ぢい)の死㚑(しれう)來りて祖母(ばゝ)を喰殺す事

盗(ぬすみ)せしもの神罰(しんばち)をかうふる事

猫の生㚑(いきれう)人に祟をなせし事

長谷の空室(くうしつ)寮(れう)の事

[やぶちゃん注:「㚑」(「靈」の異体字)の「れう」はママ。]

 

 

諸國因果物語卷之三

     女の執心人に敵を討する事

Kyotou

 奧州仙臺役者町(やくしやまち)といふ所に都筑慶元(つゞきけいげん)といふ者あり。名作の脇差を持り[やぶちゃん注:「もてり」。]。

[やぶちゃん注:「仙臺役者町」不詳。古地図を探そうと思ったが、町名を視認可能なものが見当たらない。

「都筑慶元」不詳。]

 此もの、名作を持ける事は、その近き邊(ほとり)に伊達の何とかやいひし武士の後家あり、一門とてもなくて、只、独(ひとり)すみたり。女ながらも、心ざま、かいがいしく[やぶちゃん注:ママ。]、侍の心ばへを失なはず、二たび、何方(いづかた)へも身を寄るなどゝいふ事もなく、卅八、九迄、貞女をたて、紡績(うみつむぎ)、織(をり[やぶちゃん注:ママ。])ぬふ態(わざ)に氣を盡し、人仕事(ひとしごと)にて渡世しけるが、此をんなに傳(つたは)りて、重代の腰の物あり。「村政」とかやいふ物とぞ。此女、十二、三のころ、此家に嫁しける時、父が手より讓り得しかども、子もなくて、夫に離れけるまゝ、また、此後(このゝち)たれに傳ふべき筋もなく、心にもあらず、月日を送りける所に、慶元その比(ころ)、卅ばかりにて、いさゝか武道を心がけ、劔術(けんじゆつ)に身をよせける比なりしかば、

「天晴(あつぱれ)、うき一腰(こし)もがな。身に添るたましい[やぶちゃん注:ママ。]ともせばや。」

と心がけける折も、此脇差の事を聞(きゝ)いだし、

『何とぞして、是を奪ひ、我たからとなさばや。』

の心ざし起り、幸、我も寡(やもめ)なりけるまゝ、此女に心ある體(てい)にもてなし、中立(なかだち)を賴み、さまざまと文(ふみ)を通はせ、みづからも、折ふしは忍び寄(より)などして、淺からぬ心ばへなど、かきくどき、又は、衣服・金銀の類ひなどを遣(つかは)し、心ばへを引うごかしけれども、更に色ある方の事は見むきもせず。まして衣類・金銀のおくり物、手もふれず、怒り恥かしめて返し、萬[やぶちゃん注:「よろづ」。]つれなく、はしたなくもてなしけるを、

「時分こそよけれ。」

と、切なき戀に思ひつめて恨(うらみ)いはんため忍びたるやうにもてなし、夜ふけ、人、しづまりて、彼(かの)中だちの人をすかし出(いだ)し、此家に忍ひ込(こみ)、女の寢たりける納戶に入りつゝ、わりなき風情(ふぜい)して泣(なき)うらみけるに、女は、思はずなる姿に肝をつぶし、寢間を迯いでんとするを、引とゞめ、やるかたもなく、何かといひつゞけ、かき口說やうにもてなしけれども、中々、なびくべき氣色ならぬを幸に、

「よしや。今は是迄也。我も思ひつめたれば、今宵かぎりの命ぞかし。おもひ知り給へ。」

などいふまゝに、懷より、九寸五ぶを拔(ぬき)いだし、女の心もとを、乳[やぶちゃん注:「ち」。]の下かけて、切さけ、返す刀にとゞめさして、扨、彼村政を尋ねもとめ、夜の程に逐電し、しばらく、世間を窺ひけるに、段々と沙汰あしく、工(たくみ)の樣子も、誰いふとなく露顯せしかば、貞女を殺すといひ、盗賊の科(とが)、遁(のがれ)がたければ、國許へ歸るべき望みも絕果(たへはて[やぶちゃん注:ママ。])ける故、方々と流浪し、元祿十年の夏の時分より、しかるべき由緖を賴み、越前の敦賀に下り、今橋といふ所に住つきて、猶、習ひこみたる事とて、武藝の指南を表とし、所の若侍をあつめ、小太刀など打せ、立會・入身などおしへつゝ、身を助(たすく)るよすがとはなしける。

[やぶちゃん注:「人仕事(ひとしごと)」人から頼まれた縫い織り仕事。

「村政」伊勢桑名の刀工の村正のことであろう。室町中期以後に代々活躍し、文亀から天文年間(一五〇一年~一五五五年)に同名の刀工が数代あるが、中でも永正年間(一五〇四年~一五二一年)の作品に傑作が多い。相州正宗の弟子とも伝えるが、これは年代的に見て根拠がなく、作風も、寧ろ、美濃物(関(せき)物)の系統に近い。利刃を以って知られたが、徳川家で村正の刀による不祥事が相次いだことから、祟る刀として妖刀伝説が生まれた。私の「耳囊 卷之二 村政の刀御當家にて禁じ給ふ事/利欲應報の事」でも根岸鎭衞は「村政」と誤っているから、特に鷺水のそれは奇異ではない(或いは彼は創作物としてわざと実在のそれとは名を変えたともとれる)。村正や妖刀伝説については、そちらに私が詳しく注しているので見られたい。

「うき一腰もがな」この「うき」は「愛(う)き」であろう。「愛い奴」のそれで、殆んどは連体形のみで用い、主に目下の者を褒めるに用いる。ここは武家の夫人の持ち物として実父から渡されたもので、脇差でも所謂、小刀(さすが)・懐剣に近い、かなり短いものなのであろう。されば「感心な・殊勝な」の謂いとして判る。

「九寸五ぶ」九寸五分(くすんごぶ)。刃の部分の長さが九寸五分(約二十九センチメートル)の短刀。鎧通(よろいどお)し(前注の婦人護身用の小刀・懐剣をかく呼ぶこともある)。

「工(たくみ)の樣子」謀略を以って騙した手口。

「國許へ歸るべき望みも絕果(たへはて[やぶちゃん注:ママ。])ける」強盗殺人の重罪人であるから、出身地には真っ先に触れが回る。

「元祿十年」一六九七年。

「越前の敦賀」「今橋」現在のこの附近(福井県敦賀市蓬莱町)(国土地理院図)。

「立會」「たちあひ」。正規の対決同様の心構えで試合をすること。

「入身」「いりみ」。素早く相手の懐に入って、自分の優位な間合をとる動作。]

 此枢機(すうき)を以て去方[やぶちゃん注:「さるかた」。]に仕官すべき事あり。三日市といふ所に化物屋敷ありて、年久しく住人もなく、逢逅(たまさか)も武邊の器量人(きりやうびと)ありといへども、此屋敷に一夜と置ず[やぶちゃん注:「おかず」。]して殺す程に、今は、いよいよ荒まさりて、物寒(すさま)じき[やぶちゃん注:「ものすさまじき」]屋形也。

[やぶちゃん注:「枢機」「枢」は戸の枢(くるる)、「機」は「石弓の引き金」で、「物事の最も大切なところ・かなめ・要所」の意。ここはその武術の評判が幸いしたことを言う。

「三日市」敦賀市の「博物館通り賑わい創出計画」(PDF)のレジュメの「2.博物館通りの変遷」の「(1)奈良・平安~江戸時代」に「江戸時代の敦賀」の地図が載り、狭義の「今橋」(旧橋)の少し上流を三本入った通りに「三日市町」の名を認める。現在の福井県敦賀市相生町(あいおいちょう)附近と思われる。彼の住まい(道場)にごく近いことが知れる。]

「若[やぶちゃん注:「もし」。]、今も此屋敷に住つくべきの器量人あらば、無足にて百石を給り、永代押領すべき、との朱印を給らん。」

との事を屬託(ぞくたく)ありしを、慶元も、一生の安否といひ、武邊をもためさばやの心ざしにて、所の侍を賴み、先[やぶちゃん注:「まづ」。]、こゝろみに一夜泊りて見たき由いひ込[やぶちゃん注:「こみ」。]、名主などへも披露せず、心やすき門弟四、五人に知らせ、忍びやかに出立て、彼屋敷へ行つ。

[やぶちゃん注:「無足にて……」知行地はなしの藩士で、屋敷のみ永代に与えられ、藩より百石が給付されるというのである。

「屬託(ぞくたく)」「嘱託」に同じい。]

 あれたる軒の板庇、もり來る月の光りのみ昔に替らぬさまして、梟(ふくろう[やぶちゃん注:ママ。])の聲、あるじ顏に鳴出たる書院の塵、手づから掃て、破たる障子、引たて、燭臺に摺火[やぶちゃん注:「すりび」。]打とり、添(そへ)、大蠟燭かゞやかし、打刀[やぶちゃん注:「うちがたな」。]ぬきかけて、膝の下に敷[やぶちゃん注:「しき」。]、「千手陀羅尼」、ひまなくとなへ、

[やぶちゃん注:「千手陀羅尼」「千手千眼大悲心陀羅尼」とも称し、「千手千眼観自在菩薩広大円満無礙(碍)大悲心陀羅尼経」の略称。千手観音の功徳を述べた八十二句からなる呪文で「千手経」などにあることからかく呼ばれるが、元来は青頸観音(しょうきょうかんのん:インドの諸神が不死の妙薬甘露(アムリタ)を求めんとして、乳海を撹拌したが、この時、猛毒が発生し、世界が焼き尽くされんとしたが、これを見たシヴァ神がこの毒を飲んで世を救った。その飲んだ毒のためにシヴァ神の喉は青く焼けたが、これが仏教にとり入れられた観音。信仰するれば、総ての災難・恐怖から救済されるとされる)という別の変化(へんげ)観音のものである。この呪(じゅ)を唱えれば、千手観音の功力(くりき)により、すべての悪業・重罪を消滅するとされる。主に禅宗で誦えられる。]

『今や、此ばけ物、出來る[やぶちゃん注:「いできたる」。]。』

と、四方に目をくばり、心をすまして居たりけるに、夜も、はや、子の刻ばかりにもや、とおもふ比、天井より、いくらともなく、美しく、細き手を出して、

「もやもや。」

とする程に、慶元の鼻を摘(つまみ)ける所を、しや引ぬいて切はらふに、

[やぶちゃん注:「しや引ぬいて」「しゃっぴきぬいて」(現代仮名遣)とオノマトペイアでとった。間投助詞「し」では同じ「や」が落ち着かない。]

「あつ。」

といふ聲して消ると思へば、奧の間より、閑(しづか)にあゆみ來る音して、襖、おしあけ出る者を見れば、十二、三なる禿(かぶろ)の美しさ、玉のやうなるが、慶元を一目見て、

「さればこそ。客の候は[やぶちゃん注:「さふらうは」。]。」

と、いひて、立歸る後(うしろ)すがた、俄(にはか)に曝頭(されかうべ)となりて、庭の方へ飛ちる、と見る程に、廣庭(ひろには)、人音[やぶちゃん注:「ひとおと」。]して、

「慶元、慶元。」

と呼(よぶ)。

「何ものぞ。」

と問(とふ)時、ゑんの障子をあけて、はいるを見るに、さし渡し、七、八尺も有らんと思ふ男の首、白髮頭を惣髮(さうがみ)に結(ゆひ)たるが、苦し氣(げ)なる息をつき、口より火を吹て、來り、いふやう、

「我は此屋敷の主(ぬし)也。子細ありて、人に讒(ざん)せられ、主人の恨(うらみ)を請(うく)る事ありて、しばらく閉門する事ありしに、あまつさへ、讒者(ざんしや)が謀(はからひ)として、此やかたへ斥候(しのび)の者をつかはし、かくの如く、闇打にし、某(それがし)が首を、雪隱の底に埋隱(うづみかく)し、表むきは自滅せし樣に披露せられ、其恨(うらみ)、骨髓に透りて、今にあり。此敵(かたき)、今猶、ありといへども、敵つねに『千手陀羅尼』を信じて、毎日、おこたらず讀誦(どくじゆ)するが故に、我、みづから行て仇(あだ)をなす事、あたはず。其方が武邊、又、世に並びなきを感じて、今、吾(わが)無念を晴さんとおもふ。意趣を語るは、君(きみ)、我ために此かたき打て給らば、此屋敷、永く其方にあたへ、我、また、守神となるべし。」

と、語る。

 慶元。聞とゞけて、いとやすく請合ぬ[やぶちゃん注:「うけあひぬ」。]。

「さて、其敵はいかにして討べき。名は何といふぞ。」

と問。

 こたへて、いふ樣、

「其かたきといふは、今、其方が兵法の弟子、設原(しだら)專(せん)左衞門なり。彼が我を討し時の脇差、今に身を離さず、我方に所持したり。迚もの事に[やぶちゃん注:「とてものことに」。]、此脇差にて討て給[やぶちゃん注:「うちてたまへ」。]。明晚、かならず、持參すべし。」

と、ねんごろに約束し歸りぬ、とおもへば、程なく夜もあけけるまゝに、やがて此やうすを披露し、

「かゝる慥(たしか)なる事を見屆つる上は。」

と、名主・代官などへも斷(ことわり)つゝ、又、一夜(ひとよ)、とまりしに、化物も、此たびは、六十ばかりの侍と顯はれ、慶元にむかひて一礼し、扨、若黨に持せし刀箱より、錦(にしき)の袋に入たる、二尺ばかりの刀の金造(きんづく)りなると、封したる文(ふみ)とを、慶元に渡し、

「此刀を以て、彼(かの)敵(かたき)、首尾よく討(うち)て給るべし。其後、この文を開き、名主へも披露あれ。我意趣、ことごとく、此書中に注(しる)し置し也。かまへて仕(し)おほせ給ふ迄、封じめを、ほどき給ふべからず。」

と、いひ渡すと思ふに、かいくれて、消ぬ[やぶちゃん注:「きえぬ」。]。

 されども、

『敵(かたき)の宿を語らざりしは、麁相(そさう)なる事かな。何ものを、いかに見わけて、本望(ほんもう)とげて得さすべき。』

などゝ思ふ内、又、夜もあけはなれしかば、

「先[やぶちゃん注:「まづ」。]、此事を披露せばや。」

と、急ぎ、名主がたへ行けるが、彼(かの)ばけ物の得させし刀をも、何心なく、「村政」にさしそへてぞ、出ける。

 名主がたには、慶元がありさまを見るより、何となく、内外(ないげ)[やぶちゃん注:単なる家の表・奥。]、さはぎ立て、先、口々の門戶をかため、取手の者、二、三人、出むかひつゝ、何の事なく、慶元を、からめ捕(とり)ぬ。

「こは、心得ぬ事。」

と、樣子を聞に……

 今宵、代官の刀、ゆへもなきに失(うせ)たり。上を下へ歸して[やぶちゃん注:上へ下への大騒ぎとなって。]、穿鑿も半(なかば)なるに、今、慶元が指(さし)たる刀、主人の腰(こしの)物に紛(まぎれ)なく、改(あらたむ)るほど、盗(ぬすみ)しに極(きはま)り、終にいひわけ立(たゝ)ずして、其日の暮がたに、慶元は首を討れたり。

 扨、ふところより、彼(かの)封したる文を見出し、披(ひらき)て讀(よみ)けるに……

――死して久しき仙臺の役者町 伊達の何がしが後家の怨㚑(おんれう) 「むらまさ」の脇差ゆへに謀(たばか)られし恨(うらみ)を散ぜんため 今 やかたに入り來り 慶元をたばかり殺す――

よし、こまごまと書てありしにぞ。

「女ながらも、恐しき念を通しけるよ。」

と、人みな、おのゝきあへりける。

[やぶちゃん注:最後は特異的にリーダとダッシュを用いた。

 しかし、どうも、腑に落ちぬ。「其かたきといふは、今、其方が兵法の弟子、設原(しだら)專(せん)左衞門なり」と大首妖怪が言った際、都筑慶元は心安くそれを引き受けている。自分の道場の弟子に設原専左衛門(設楽(しだら)なら知っている姓であるが、こんな表記は知らない。天正三(一五七五)年の三河の長篠城を包囲した武田勝頼の軍と織田信長・徳川家康の連合軍とが激突した「長篠の戦い」の行われた設楽原(しだらがはら)を誤記憶したものか?)なる人物がいたか、「しだら」姓の者がいたから、何らの疑念を差し挟むことなく受け負ったのであろう(初日のそこには信頼出来る四・五名の門弟も連れて行っているのだから、その名を誰も知らねば、その連中も後から何か言うだろうに、そんな描写は全くない)。だのに、翌日の本式の依頼後には、「敵(かたき)の宿を語らざりしは、麁相(そさう)なる事かな。何ものを、いかに見わけて、本望とげて得さすべき」なんどと、わけの判らぬことを言っている。これは取りも直さず、「しだらせんざゑもん」(設原専左衛門)などという者は慶元の弟子にはいないし、「しだら」姓も全然、聴いたこともないということだ。藩中に「しだら」姓がいれば、弟子が指嗾できるはずだから、そんな藩士はいないんだ。……さても、鷺水、当初は設原専左衛門という名前だけを書いて書きおろしたものの、巨頭妖怪の台詞にリアリティがないと思って、後から、「今、其方が兵法の弟子」を書き入れて納得してしまい、後の不審に思う部分を書き変えるのを忘れたんじゃないか?……という穿鑿の一つもしたくなるのである。少なくとも、読者に与えられる台詞という生情報上の齟齬は我々にとっては躓きとなり、不快である。怪談なんだから何でもアリでいいという連中とは私は天を同じうしない。真正の怪異は日常の時空間を侵犯してくるからこそ怖い。そのためには見かけ上の大きな流れはリアリズムで固めておく必要があるのだ。相当に緻密に作品を構成する鷺水にして、ここは痛い瑕疵と思う。

「怨㚑(おんれう)」の読みはママ。]

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