諸国因果物語 巻之三 祖父の死靈祖母をくひ殺す事
祖父(ぢい)の死靈(しれう)祖母(ばゝ)をくひ殺す事
これも元祿四年の事也。伊賀の上㙒大つぼとかや、所は忘れたり。甚吉といふ百姓あり。
[やぶちゃん注:「元祿四年」一六九一年。
「伊賀の上㙒大つぼ」三重県伊賀市久米町(グーグル・マップ・データ。以下、同じ)内に字で「大坪」なら現存する。]
彼が母一人あり。後づれの親にて、常に心よからぬ事あり。其いはれは、爺(てゝ)の親、死する。此身にありける子、しかも男子なりければ、何角(か)と、和讒(わざん)をいひかけ、弟に生れたりといへども、繼母(けいぼ)のはからひとして、甚吉を押のけ、跡職(あとしき)を我子に繼(つが)せたり。
[やぶちゃん注:「和讒」一方に取り入るために他方を悪くいうこと。「讒言」に同じい。
「跡職」ここは家督と家屋に限っていよう。以下で当初、田地を分離しているからである。]
田地も少あるを、是迄、弟にと、貪りしかども、庄屋など、一圓(ゑん)心に任せて、「弟に」といはざれば、是非なく、兄甚吉にあたへけれども、猶、欲の心あきたらねば、
「然るべき妻子をも定め、身上[やぶちゃん注:「しんしやう」。]とも、かくもなる迄は、此弟に讓狀を書て[やぶちゃん注:「かきて」。]、渡し置(おく)べし。」
などゝ、いぢりける程に、今は、せんかたなくて、庄屋・肝煎などに心をあはせ、僞りて、讓り狀を書、村中へ出したる分にもてなし、
『何分にも、母と名の付たる人也。繼(まゝ)しきとても、さからふべきにあらず。』
と思ひ、萬[やぶちゃん注:「よろづ」。]に付て、孝行を盡しけれども、日にそいて、いよいよ邪(よこしま)に、事毎(ごと)に、僻(ひが)事のみ、いひけるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、餘りやるかたなく、心うくて、九月の初より、京都にのぼり、室町立賣(たちうり)の邊(へん)にて、久七奉公をつとめ、しばらくの程、母の心をも休め、我も上(かみ)方の風(ふう)を見習ふために、と假初(かりそめ)に勤(つとめ)ける。
[やぶちゃん注:「庄屋・肝煎」既出既注。
「繼しき:形容詞「ままし」。継父・継母・継子などの血の繋がらない間柄であることを言う。
「室町立賣(たちうり)」現在の京都市内の東西の通りの一つ「上立売通(かみだちうりどおり)」と「室町通」との交差点辺りは、室町時代に店舗を構えずに商売を行う商人、「立売」が多かったことから、「立売の辻」と呼ばれた。ここ。
「久七奉公」「ひさひち」か。不詳。年季奉公の男の奉公人のことか。「七」の字を貰えるのは手代になってからとかつて聴いたが、甚吉は年齢的に丁稚では老け過ぎではある。]
元來、すなほなる心といひ、影ひなたなき律義もの也しかば、主人も情を懸て遣ひ、甚吉も此旦那を大切にしける程に、けふと暮(くれ)、明日(あす)と過(すぐ)し、十年ばかりも舊功を積けるまゝに、似合敷(にあはしき)妻をも、旦那より、引合せ、金銀・味噌・鹽の世話まで、細やかに氣を付、宿はいり、首尾能(よく)とり繕(つくろ)ひ、仕(し)付られける儘、此うへに何の欲かあるべき。
[やぶちゃん注:「宿はいり」ここは嫁を迎えて、主人の町屋の屋敷内の長屋にでも住むことを謂うか。だとすると、甚吉は番頭格になっていたことになる(手代は結婚が許されなかったはずである)。よく判らぬ。]
一つは母の心ざしをも逐(とぐ)る爲にと、ある時、みづから、伊賀に下り、彼(かの)田地、ことごとく證文をいたして、弟にゆづり、
『今は、いかなる繼母なりとも、心にかゝり給ふ事あらず。』
と思ひ悅ひて、歸りぬ。
此間に彼(かの)腹(はら)がはりの弟も、近鄕より妻をむかへなどして、子あり。此甚吉の田地うけ取付る夜(よ)、生れて、しかも男子也ければ、祖母も一しほに悅び、いさみつゝ、しばしも下(した)に置事なく、懷(いだき)かゝへて、かあやかりそだて[やぶちゃん注:ママ。「可愛がり育て」。]、夜(よ)の程も乳を吞(のま)する間(ま)ばかり、娵(よめ)に渡し、其外は祖母の手に取て寢起したりしに、二七夜(や)[やぶちゃん注:生まれて十四日。]も過(すぎ)ぬらんと思ふ比、彼生れ子、祖母の懷に手を延し、乳ぶさをとらへて口に含まんとするを、繼母は嬉しさのあまり、
「恐しの知惠や、此子は早、乳(ち)を探る事よ。」
と、乳ぶさを取て、赤子の口に入けるに、始の程は、
「しかしか。」
くと嚙(かむ)やうに覺えしが、次第に痛く覺えしまゝ、恐しくて、引はなさんとする時、此孫、左の乳ぶさを喰切(くひきり)たれば、祖母(はゝ)は、
「のふ、悲しや。」
と、いひて、絕入(ぜつじゆ)したり。
夫婦、おどろき、急ぎ、起(おき)て見るに、赤子、俄(にはか)に起(おき)なをり、
「我は汝が父、甚介なり。いかに繼(まゝ)しき事なりとて、惣領たる甚吉を追のけ、此跡職のみか、田地まで、ことごとくおのれらが物にさせたる根性の惡さに、我、今、此家に生(むま)れ、祖母(はゝ)には、思ひしらせ、喰殺しける也。あら、心よや。」
といふ聲そのまゝの甚介にて、『物いひやみしよ』と思へば、やがて、是も、死たり。
おそろしき事也。
[やぶちゃん注:う~ん、なんだか、珍しく妙に読後感が悪い。実父の変成(へんじょう)した赤ん坊が後妻であった継母の乳房を食い破って殺し、その赤ん坊のままに祖母の声を出して恨みと本懐を述べ、しかしてゴロンと、その赤子も死ぬという一連のコーダが、どうも映像として生理的に気味(キビ)悪いのである。]
« 諸国因果物語 巻之三 目録・女の執心人に敵を討する事 | トップページ | 諸国因果物語 巻之三 盗せしもの神罰をかうふる事 »