大和本草卷之十三 魚之下 鮫魚 (サメ類(同じく一部に誤りを含む))
鮫魚 フカノ類ナリ本草曰鱗皮有玉可飾刀劍治骨
角○日本ニ鮫類多シ菊トチ蝦夷ニ出コロザメ常陸越
後ヨリ出ツアイサメ伊豆駿河ニ出ウミコアイコロ皆日
本ニアリ又◦ハツハカイラギ花ナシ虎ザメ異國ヨリ來ル
南蠻ゴロサメ皆用テ刀ノ鞘ヲカサル唐ニモツカサメヲ用
ユ凡サメノ皮ハ異國ヨリ年〻多ク來ル本邦ノ人コレヲ
用テ刀ノ柄鞘ヲ飾リ又骨角ト木ヲトギミカク占城
ヨリ出ルヲヨシトス唐人ノ刀ヲミルニ柄鞘諸飾具皆日
本ノ刀裝ニ同シ或云唐ニハツカザメナシト云ハ非也酉陽
雜俎曰鮫子驚則入母腹中本草曰從口入腹中
○やぶちゃんの書き下し文
鮫魚 「ふか」の類なり。「本草」に曰はく、『鱗皮、玉〔(ぎよく)〕、有り。刀劍に飾り、骨・角を治すべし』〔と〕。
○日本に、鮫類、多し。
「菊とぢ」、蝦夷に出〔(いで)〕、「ころざめ」、常陸・越後より出づ。
「あいざめ」、伊豆・駿河に出、「うみこ」・「あいころ」、皆、日本にあり。
又、「はつは」・「かいらぎ」、花なし。
「虎ざめ」、異國より來〔(きた)〕る。
南蠻、「ごろざめ」、皆、用〔ひ〕て、刀の鞘をかざる。唐にも、「つか」[やぶちゃん注:刀の「柄(つか)」。]、「さめ」を用ゆ。
凡〔そ〕、「さめ」の皮は異國より、年々、多く來〔(きた)〕る。本邦の人、これを用〔ひ〕て、刀の柄・鞘を飾り、又、骨・角と木を、とぎ、みがく。占城より出〔(いづ)〕るを、よしとす。唐人の刀をみるに、柄・鞘・諸飾具、皆、日本の刀裝に同じ。或いは云はく、『唐には「つかざめ」なし』と云ふは、非なり。「酉陽雜俎」に曰はく、『鮫の子、驚けば、則ち、母の腹中に入る』〔と〕。「本草」に曰はく、『口より腹中に入る』〔と〕。
[やぶちゃん注:直前の「大和本草卷之十三 魚之下 フカ」に続いて、現行のサメ類(やはり一部に誤りを含む)の記載。現行では、「鮫(サメ)」とは、軟骨魚綱板鰓亜綱Elasmobranchiiのうち、一般にはエイ上目 Batoidea に含まれるエイ類を除くサメ類の内、中・小型のものを指す総称とされるが、大型の種群や個体との厳密な境界はなく、「鱶(フカ)」と混淆して用いられているのが現状である。超巨大なものを「ふか」と呼ぶのに違和感はないので、そうした限定用法として流通名とは別に「ふか」は生き残るであろう。
『「本草」に曰はく、『鱗皮、玉〔(ぎよく)〕、有り。刀劍に飾り、骨・角を治すべし』〔と〕』時珍の「本草綱目」の巻四十四の「鱗之四」に、
*
鮫魚【唐「本草」。】
釋名 沙魚【「拾遺」】・䱜魚【「鵲」・「錯」二音】・鰒魚【音「剝」】・溜魚。時珍曰、鮫波有沙、其紋交錯鵲駮、故有諸名。古曰「鮫」、今曰「沙」、其實一也。或曰、本名「𩵲」、訛爲「鮫」。段成式曰、『其力健强、稱爲「河伯健兒」』、藏器曰、『鮫與石決明、同名而異類也』。
集解 恭曰、『鮫出南海。形似鼈、無脚有尾』。保昇曰、『圓廣尺餘、尾亦長尺許、背皮粗錯』。頌曰、『有二種、皆不類鼈、南人通謂之沙魚。大而長喙如鋸者曰「胡沙」、性善而肉美。小而皮粗者曰「白沙」、肉彊而有小毒、彼人皆鹽作修脯。其皮刮治去沙、剪作鱠、爲食品美味、食益人。其皮可飾刀靶』。宗奭曰、『鮫魚、沙魚形稍異、而皮一等』。時珍曰、『古曰「鮫」、今曰「沙」、是一類而有數種也。東南近海諸郡皆有之。形並似魚、靑目赤頰、背上有鬛、腹下有翅、味並肥美。南人珍之。大者尾長數尺、能傷人。皮皆有沙、如眞珠斑。其背有珠紋如鹿而堅彊者、曰「鹿沙」、亦曰「白沙」、云能變鹿也。背有斑紋如虎而堅彊者、曰「虎沙」、亦曰「胡沙」、云虎魚所化也。鼻前有骨如斧斤、能擊物壞舟者、曰「鋸沙」、又曰「挺額魚」、亦曰「鱕䱜」、謂鼻骨如鐇斧也。音「蕃」、沈懷遠「南越志」云、『環雷魚䱜魚也。長丈許、腹下有兩洞、腹貯水養子、一腹容三四子、朝從口中出、暮還入腹、鱗皮有珠、可飾刀劒、治骨角』。藏器曰、『其魚狀貌非一、皆皮上有沙、堪揩木、如木賊也。小者子隨母行、驚卽從口入母腹中』。
肉 氣味【甘、平、無毒】
主治 作鱠、補五臟、功亞于鯽、亦可作鱐鮓【詵】。甚益人【頌】。
皮
氣味【甘鹹、平、無毒】
主治 心氣鬼疰、蠱毒吐血【「別錄」】。蠱氣蠱疰【恭】。燒灰水服、主食魚中毒【藏器】。燒研水服、解鯸鮧魚毒、治食魚鱠成積不消【時珍】。
[やぶちゃん注:以下、「附方」が最後に続くが、略す。]
*
これを見るに(私の附した下線太字部)、益軒の引用は沈懷遠「南越志」から時珍が引用した部分にほぼ一致する。この「集解」を眺めていると、一説に鮫は紋から鹿が、或いは紋と強暴なる性質から虎が変じたとするのは、まっこと、民俗社会の理にかなった化生と思う。「骨・角を治すべし」とは、装飾用の獣骨と獣骨とを、鮫の皮を用いて、接(つ)ぐことを言うか。
「菊とぢ」魚類としての名は「菊登知」を当てる。この語は本来は「菊綴じ」(歴史的仮名遣「きくとぢ」)で水干・直垂・素襖(すおう)などの縫い目に綴じつけた紐を指し、結んだ絹の紐の先をほぐして、菊の花のようにしたものである。則ち、この「きくとぢざめ」というのは、体表の皮の表面にこの「菊綴じ」の文様を持つ種を指し、ここで「蝦夷」に棲息するということから、私はこれは、サメ類ではない、条鰭綱軟質亜綱チョウザメ目チョウザメ科 Acipenseridae の、
本邦固有種である(であった)チョウザメ亜科チョウザメ属ミカドチョウザメ Acipenser mikadoi(或いはAcipenser medirostris mikadoi)
及び、
ダウリアチョウザメ属ダウリアチョウザメ Huso dauricus
に比定する。以上の二種への同定は、主に石狩市教育委員会「いしかり砂丘の風資料館」二〇一〇年十月発行の『石狩ファイル』(第百二十二の一号)(PDF)の志賀健司氏の論文「石狩のチョウザメ(生物編)」に拠った。それによれば、『チョウザメは、日本近海では北海道や東北の沿岸で見られることがあり、河川ではかつては石狩川、天塩川、釧路川、十勝川に遡上していました。しかし大正時代から昭和初期にかけて急激に減少し、今では見られなくなってしまいました』。『かつて北海道にいたチョウザメは、ミカドチョウザメ(Acipenser mikadoi)とダウリアチョウザメ(Huso dauricus)の2種と考えられています。ごく稀に今でも石狩(石狩川河口周辺、石狩湾沿岸)で捕獲・混獲されることがあり、記録や標本が残っている事例が近年では5件ありますが、養殖種ベステル(オオチョウザメ』(ダウリアチョウザメ属オオチョウザメ Huso huso)『とコチョウザメ』(チョウザメ属コチョウザメ Acipenser ruthenus)『を交配したもの)の1件を除き、いずれもダウリアチョウザメです』(リンク先に捕獲年・水域・体長・種の表が載る)。『現在、日本ではチョウザメは事実上絶滅したとされています(環境省と北海道のレッドリストには絶滅種として記載されている)。昭和初期に激減した理由は明らかではありませんが、河畔林の減少など河川環境の悪化が原因ではないか、とも言われています』。『また、世界的にも環境悪化や乱獲などにより個体数が激減しており、27種中23種がIUCN(国際自然保護連合)の絶滅危惧種に指定されています』とある。チョウザメ類は体側に並ぶ大きな鱗を特徴とし、これが古くから装飾として用いられ、研ぎ出すと、まさに「菊綴じ」のような美しい文様となるのである。私の二〇〇八年六月の記事「チョウザメのこと」で、刀の鞘に用いられたそれを見られる。リンク先の記事で私に非常に丁寧な情報をお寄せ下さったY氏は、「釜石キャビア株式会社」というところでチョウザメの養殖に係わるお仕事に従事しておられた方で、お礼に純日本産キャビアとチョウザメの肉を買おうと思っているうちに、同社は、かの東日本大震災で被害を被られ、再開の目途が立たずに解散となってしまった。嬉しい御助言であっただけに、少し哀しい思い出でもあるのである。なお、石橋孝夫氏の詳細を究めた論文「北海道チョウザメの博物誌1―遺跡,地名,絵図,民具からみた北海道のチョウザメの記録―」(PDF)の「3.チョウザメ類の絵図」の「(1)『鮫皮精義』の図」には、お恥ずかしながら、私のこの記事と写真が紹介されてある(五十七ページ。「引用文献」にも記載有り)。
《引用開始》
関連して「Blog鬼火~日々の迷走」(藪野,2008)に「チョウザメのこと」という記事に読者Y氏から提供された「菊綴」の鞘とする画像があるので引用する(図5).しかし,「菊綴」とはあるものの拡大画像では鱗板が研ぎだされたと考えられ,正確には「蝶サメ」ではなかろうか[やぶちゃん注:これは原論文のこの前の部分と、その『図3「菊トヂ」「蝶サメ」』で意味が分かる。参照されたい。].今後,チョウザメ皮を使用した鮫鞘も調べてみる必要がある.
なお,「菊トヂ」とは「菊綴じ」に由来する.この模様は水干,直垂などの縫目に綴じ付けた紐の先がほぐされて,菊の花のような装飾効果が生み出されることからその名がある.『鮫皮精義』の説明では「角(つの)で刻ミ製したるものある」と書いており,「菊トヂ」の模様を際立たすための加工技術が存在したとも読み取れる.また鮫鞘は「鮫屋」という職人によって製作され,この職業は江戸,大阪,京都にあったという(朝倉,1990).
《引用終了》
なお、同論文には続篇で同じ石橋氏の手に成る「北海道チョウザメの博物誌2―明治期以降の北海道におけるチョウザメ捕獲に関する記録集成―」(PDF)もあるので、是非、読まれたい。なお、私は「谷の響 三の卷 八 異魚」で、文政年間(一八一八年~一八三〇年)に現在の北津軽郡小泊村下前(したまへ)で捕獲された「沙魚(さめ)」をミカドチョウザメに同定している。ご参照あれかし。
「ころざめ」軟骨魚綱カスザメ目カスザメ科カスザメ属コロザメSquatina nebulosa(リンク先は「WEB魚図鑑」。画像有り)。リンク先の記載によれば、本邦では北海道(但し、日本海側)から九州まで広く棲息し、朝鮮半島沿岸・黄海・東シナ海・台湾北部などの北西太平洋の沿岸にも分布するエイ型を呈するサメで、『少なくとも』、全長が一メートル六十三センチメートルにも『達する。体色は茶褐色』乃至『青みがかった茶色で、体には明色斑点が散在し、黒色斑点が多数密在する。腹面は明色で、胸鰭の先端はより暗くなる。背鰭の先端は明色。鼻孔から伸びる髭は先端にむかって細くなり、前鼻弁はわずかに房状になるか』、『平滑。眼は大きく、眼と噴水孔間の距離は眼径の』一・五『倍に満たない。噴水孔間の幅は眼隔幅より小さい。胸鰭は幅広く、先端は鈍い』とある。
「あいざめ」板鰓亜綱ツノザメ目アイザメ科タロウザメ Centrophorus granulosus。益軒が「伊豆・駿河」と挙げていることから、漁師のカズ氏のブログ「宝は駿河湾深海にあり!part2」の「アイザメ」(写真豊富に有り)に拠ってこれを一番に挙げた。それによれば、『僕らのメインは深海ザメ漁と言っても過言ではない』。『主に健康食品(スクワランオイル)の原料として、深海ザメは健康食品の会社に直接卸している』。この深海ザメの油は『他にも化粧品にも』『使われている』。『その中のでもこの『アイザメ』が本命の深海ザメ』で、『本当はタロウザメって言うんだけど、漁師はアイザメの仲間を総称してアイザメと呼んでいる』とあったからである。また、『頭の上に白い星』(写真有り)『があるのがアイザメの仲間の特徴でもある』とあった。従って別にアイザメCentrophorus atromarginatus としてもよい。「WEB魚図鑑」の「アイザメ」によれば、『胸鰭内角は著しく突出せず、第』二『背鰭は腹鰭後端より前にある、鱗はブロック状に並ぶ、などの特徴からゲンロクザメ』(アイザメ属ゲンロクザメ Centrophorus tessellatus)や、『ニアウカンザメ』(アイザメ属ニアウカンザメ Centrophorus niaukang)『などと似るが、これらとの区別は標本を基に計測しなければ難しい。全長』一メートル『ほど』で、『深海性のサメの』一『種で、水深千二百メートル』以浅に生息する』とある。以上の四種を挙げておけば間違いあるまい。
「うみこ」不詳。但し、これ、寺島良安「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鮫」の項に「海小鮫」と出、私はその注で、中国産の刀剣の欛(つか)用の鮫皮の商品名であろうと思われるとし、従ってその素材はサメでなくエイである可能性が高いと断じた。詳しくはリンク先の注全体を読まれたいが、要は実は、刀剣の鞘に用いるのは古くから、日・中ともに、サメの皮よりもエイの皮の方が知られていたらしいのである。商品名というのは今は留保しておくが、エイ説は今のところは保持しておく。
「あいころ」これも寺島良安「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鮫」の項に、「常州の愛古呂(あいころ)」と出、そこでは、『これは頭の「愛」のアイザメよりも、むしろ後ろの「古呂」がカスザメ目カスザメ科のコロザメSquatina nebulosa を連想させるように思われる』としたのだが、コロザメももう出したし……アイザメ類も上でごっそり出たしなぁ……こまった、にゃん……
「はつは」不詳。ただ、気になるのは「ハツカザメ」ではある。これは浅野長雄・藤本武氏の論文「茨城県産魚類の方言について(第2報)」(『茨水試:試験報告 昭和39・40年度』(昭和三十九年は一九六四年)の記載がある。PDF)の「16」にアブラツノザメ(軟骨魚綱ツノザメ目ツノザメ科ツノザメ属アブラツノザメ Squalus suckleyi)の茨城県の地方名として挙げている。そこではアブラツノザメは、『銚子以北,日本海岸ではほとんど一帯に分布する。その他朝鮮東海岸,北支[やぶちゃん注:ママ。中国北部沿岸。],北洋,アメリカ西海岸(カリフォルニヤまで),北大西洋の東西両沿岸』。『アブラサガ(大洗),ジョクへイ(那珂湊・河原子),ノ、ツカザメ(旭村)』。『このサメは北日本に広く分布し,ことに東北地方で漁獲が多く,竹輪,蒲鉾などの練製品原料として重要である。また頭および尾を除き,さらに内臓や骨を除いて棒状に乾したものを,ボウザメ,ムキザメと言う』。『アブラサガは,このサメの肝臓に多量の油をふくむのでかく言う。福島県小名浜ではサガと言う』。『ジョウへイの意味は不名である。本種は次のヨロイザメとともに機船底曳網で漁獲される』。『ハツカザメは,このサメが他のサメに比べ体が比較的小さいので,ハツカネズミのごとく小さいサメの意である』『標準和名のアブラツノザメは学者の命名によるものである』。『これに近いアブラザメなる方言は,北海道(釧路・網走・三石),青森県(徳沢),宮城県(渡波,気仙沼),福井県(三国)等である』とある。
「かいらぎ」これはサメではなく、真正のエイの一種である板鰓亜綱トビエイ目アカエイ科イバラエイ属イバラエイ Urogymnus asperrimus の異名「梅花鮫(カイラギザメ)」である。ウィキの「イバラエイ」によれば、『底生でインド太平洋熱帯域、西アフリカ沖で見られる。深度30m以浅の砂底・サンゴ礫底・アマモ場などに生息。大きくて重く、体幅1.2-1.5m。ほぼ円形の体盤と鰭膜のない細い尾を持つ。この科には珍しく毒棘を欠くが、全身が大きく鋭い棘に覆われている』。『餌は主に底生無脊椎動物や魚類で、海底を掘り起こして餌を探す。無胎盤性胎生。丈夫で粗い皮膚は鮫皮として価値が高く、剣の柄や盾などに用いられる。この場合カイラギザメ(梅花鮫)とも呼ばれる。沿岸漁業で混獲されるが、棘が多く扱いづらいため商業ベースに乗りにくい』。『広範囲に分布するが、他のアカエイ類に比べると希少である。沿岸に見られ、インド洋では南アフリカからマダガスカル・アラビア半島・セイシェル・スリランカ・東南アジア・西オーストラリア沖のニンガルー・リーフなどで見られる。スエズ運河を渡り東部地中海にも侵入している。太平洋では、インドネシア・ニューギニア、北はフィリピン、東はギルバート諸島・フィジー、南は東部オーストラリアのヘロン島沖まで分布する』。『東部大西洋のセネガル・ギニア・コートジボワール沖でも見られる』。『岸近くの深度1–30mの砂底・サンゴ礫底・アマモ場・礁の近くを好み、汽水域にも入る』。『厚く丸い体盤、背を覆う鋭い棘が特徴』。『体盤は楕円形で、中央部が分厚いため』、『外見はドーム状である。吻は丸くわずかに突き出す。小さな眼の後ろにそれより大きい噴水孔がある。鼻孔は狭く、鼻褶後縁は房状で口に被さる。口底には3–5個の乳頭突起があり、口角には深い溝がある。口の周辺も乳頭突起で覆われる』。『両顎に48の歯列が並び』、『歯は小さく平たい。5対の鰓裂が体盤下面にある』。『腹鰭は小さく細い。尾は急激に細くなり』、『断面は円筒形、長さは体盤とほぼ同じで鰭膜はない。他のアカエイ科魚類と違い、尾に毒棘がない。平たいハート型の皮歯が密に体盤から尾を覆っている。大型個体は更に、体盤全面が長く鋭い棘に覆われる。上面は明るい茶色から灰色で尾に向かうにつれて黒くなる。下面は白』。『大型種で、最低でも体幅1.2m・体長2.2m、最大で体幅1.5mになる』。『海底や洞窟の底に横たわっている』。『ニンガルー・リーフ』(Ningaloo Reef:オーストラリア西海岸にある珊瑚礁で長さは二百六十キロメートルにも達するオーストラリアでは最大規模。ここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ))『では群れを作ることが知られる』。『餌はホシムシ』(環形動物門スジホシムシ綱 Sipunculidea・サメハダホシムシ綱 Phascolosomatidea に属する蠕虫状の海産である星口(ほしくち/ほしぐち)動物(Sipuncula)。体は左右対称で、節(体節)に分かれていない。約二百五十種が含まれる。嘗つては独立した門に分類されていたが、現在は環形動物門の一部とされる)『・多毛類・甲殻類・硬骨魚など』。『摂餌時には底砂を深く掘り起こし、噴水孔から吐き出すため』、『遠くからでも存在が分かる』『無胎盤性胎生で、母体から分泌する子宮乳による組織栄養で胚を育てる』。『若魚の生息環境としてマングローブ林が重要で』、『雄は体幅90cm・雌は体幅100cmほどで性成熟する』。『毒針は持たないが、無数の鋭い棘は危険である』。『大胆な性格で、人の接近には寛容だと報告されている』。『丈夫で棘の多い皮膚は鮫皮として利用されてきた。特に武器の柄に用いると戦闘中に滑りにくく、日本刀の柄、鞘に用いる最上級の皮として梅花皮(かいらぎ)と呼ばれている』。『マレーシアでは盾を覆うために用いる』。『東アジアでは装飾にも用いられ、染色の後棘を削り落とし、斑模様を出す』。『フナフティ島』(ツバルを構成する島の一つ。ここ)『では乾燥させた尾をやすりのような道具として用いる』。『トロール漁・落網・巻き網で混獲されている。皮は高価値で、肉や軟骨も利用できる。紅海のファラサン諸島などではレバーが季節料理として食べられている』『が、扱いが難しいため』、『経済的重要性は限られ』ている。また、『野放図な沿岸漁業が続いているため、ベンガル湾・タイランド湾などの近辺では、局所絶滅か』、『それに近い状態だと考えられる。沿岸開発による生息地の消失、乱獲などの理由で、IUCNは危急種としている』とある。日本に分布しないが、本項に限っては問題ないのである。則ち、本邦では古くから刀剣の柄(つか)として需要と人気があり、南方から輸入されていたからである。
「花なし」皮革に目だった美しい花のような紋はないということか。「ハナナシザメ」というのも何だかヘン。よく判らぬ。
「虎ざめ」この通りなら、軟骨魚綱メジロザメ目トラザメ科トラザメ属トラザメ Scyliorhinus torazame であるが、益軒は「異國より來〔(きた)〕る」と言っているのがやや不審には思われる。何故なら、本種は日本・朝鮮半島・中国沿岸及び推定でフィリピンにも分布するからである。思うに、前の「梅花鮫(カイラギザメ)」(イバラエイ)の皮などと一緒に既に皮として中国から盛んに輸入された安価なものがあったため、本邦で敢えて獲って加工するという業者が成長しなかったのかも知れない。画像や解説はウィキの「トラザメ」を見られたいが、大型個体は鞍状の模様に加えて白い斑点を有し、特に皮革用に用いられたとする記載はないが、好かれそうな感じではある。
「ごろざめ」原本は明らかに「ゴ」に見えるのだが、「コロザメ」で、前出のそれでよいか。東洋文庫の島田勇雄訳注の「本朝食鑑」の「鮫」の注に引く本項でも『コロザメ』としている。
「占城」チャンパ王国。現在のベトナム中部沿海地方(北中部及び南中部を合わせた地域)に存在した国家。主要住民の「古チャム人」はベトナム中部南端に住むチャム族の直接の祖先とされる。中国では唐代半ばまで「林邑」と呼び、その後、「環王」を称したが、唐末以降は「占城」と呼んだ。位置は参照したウィキの「占城」の地図を見られたい。
「つかざめ」サメの一種ではなく、刀剣の柄を「サメ」(或いは寧ろ「エイ」)の皮で飾ること自体を言っている。
『「酉陽雜俎」に曰はく……』中唐末から晩唐にかけての文人段成式(八〇三年~八六三年)が荒唐無稽な怪異記事を集録した書。八六〇年頃の成立。以下は巻十七の「廣動植之二」に、『鮫魚、鮫子驚則入母腹中』とあり、これはもう既に前項の総論の最後にも出ていた。こういう直近でのダブり方は本草書としては私は退屈で厭だ。儒学者であった益軒はこうした部分に孝の本質を見ていたのかも知れぬが、だとすると、なおのこと、厭な感じだ。生粋の本草学者であった小野蘭山が嫌った理由がちょっと判る気がする。
『「本草」に曰はく……』前の注の引用の下線部を見られたい。]
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