大和本草卷之十三 魚之上 鰻鱺 (ウナギ)
鰻鱺 河魚ノ中味最美是亦上品トスヘシ性純補
脾胃虛ノ人食フヘシヤキテ皮コカレ堅キハ食滯ヲ生ス
入門曰ウナキノアツモノ補労殺虫治肛門腫痛痔
久ク不愈空心食小兒疳疾可用小兒ノ雀目ニウナ
キノ膓ヲ煮テ食ス甚效アリ肉モ可也ワタノ尤ヨキニ
シカズ又注夏病ヲ治ス夏ヤセノ叓ナリ萬葉集第
十六巻大伴家持歌ニ石麻呂ニワレ物申ス夏ヤセニ
ヨシト云物ゾムナキトリメセ癆療傳尸病ノ蟲ヲ殺ス
妙藥ナリ中華ノ書※神錄ニ出タリ○夏月ニ乾タル
[やぶちゃん注:「※」=「稽」-「禾」。同書名は一般に「稽」で通用するので書き下しではそれに代えた。]
ヲ燒テ蚊ヲフスフ蚊皆死ス食物本草ニ載タリ武士ハ
指物竿ヲフスフ虫ハマズ器物屋舍竹木ヲフスフレハ
蟲死ス入門ニ骨ヲ箱中ニヲケハ白魚衣ヲクハス白魚ハ
シミ也毛氊皮褥ナトモ是ニテフスフレハ虫クハス又ウナキ
ノ頭并骨ワタナトスツヘカラス乾シテヤキ存性菜子凡物
ダネニマセテマケハ虫不食○鮓トナス消化シカタシ病人ニ
不宜凡無鱗魚ノ鮓尤不益人ト本草ニイヘリ日向州
ノ鰻鱺甚大ナル叓他州ニ十倍セリト云是別種ナル
ヘシ其周圍一尺餘長六尺餘アリト云本草曰小者
可食重四五斤者不可食々之死スト云種類ニヨリテ
然ルニヤ日向ノ大ウナキハ食乄無毒ト云
○やぶちゃんの書き下し文
鰻鱺(うなぎ/むなぎ[やぶちゃん注:前者が右ルビ、後者が左ルビ(原本は「むなき」)。]) 河魚の中、味、最も美〔(うま)〕し。是れ亦、上品とすべし。性〔(しやう)〕、純にして、〔よく〕補す。脾胃虛の人、食ふべし。やきて、皮、こがれ、堅きは、食滯を生ず。「入門」に曰はく、『うなぎのあつもの、労を補し、虫を殺す。肛門〔の〕腫痛、痔の久しく愈えざるを治す』〔と〕。空心に食ふ〔てよし〕。小兒の疳疾に用ふべし。小兒の「雀目(とりめ)」にうなぎの膓〔(わた)〕を煮て食す。甚だ效あり。肉も可なり。〔しかれども、〕「わた」の尤もよきにしかず。又、注夏病〔(ちゆうかびやう)〕を治す。「夏やせ」の叓〔(こと)〕なり。「萬葉集」第十六巻、大伴の家持〔の〕歌に、
石麻呂にわれ物申す夏やせに
よしと云ふ物ゾむなきとりめせ
癆〔を〕療〔し〕、傳尸病〔(でんしびやう)〕の蟲を殺す妙藥なり。中華の書「稽神錄」に出でたり。
○夏月に、乾したるを燒きて、蚊を、ふすぶ。蚊、皆、死す。「食物本草」に載せたり。武士は指物竿〔(さしものざを)〕を、ふすぶ。虫、はまず。器物・屋舍・竹木をふすぶれば、蟲、死す。「入門」に、『骨を箱〔の〕中にをけば[やぶちゃん注:ママ。]、白魚(しみ)、衣を、くはず』〔と〕。白魚は「しみ」なり。毛氊・皮・褥〔(しとね)〕なども是れにてふすべれば、虫、くはず。又、「うなぎ」の頭并びに骨・「わた」など、すつべからず。乾して、やき、性を存し、菜子〔(なたね)など〕、凡そ「物だね」にまぜてまけば、虫、食はず。
○鮓〔(すし)〕となす。消化しがたし。病人に宜しからず。『凡そ、無鱗魚の鮓、尤も、人に益せず』と「本草」にいへり。日向州、鰻鱺、甚だ大なる叓、他州に十倍せりと云ふ。是れ、別種なるべし。其の周圍(めぐり)、一尺餘り、長さ六尺餘りありと云ふ。「本草」に曰はく、『小〔さき〕者〔は〕食ふべし。重さ、四、五斤なる者〔は〕食ふべからず。之れを食へば、死す』と云ふ。種類によりて然るにや、日向の「大うなぎ」は食して毒無しと云ふ。
[やぶちゃん注:本邦産は条鰭綱ウナギ目ウナギ亜目ウナギ科ウナギ属ニホンウナギAnguilla japonica 及びオオウナギ Anguilla marmorata。また、近年ではニューギニアウナギ Anguilla bicolor pacifica の棲息が(二〇〇〇年以降)、屋久島(稚魚)や八重山列島(成魚)で確認されている。ニホンウナギは朝鮮半島・中国大陸・フィリピンなど、東アジアを中心に広汎に分布し、マリアナ海溝付近で産卵していることが近年の調査で明らかなっており、オオウナギの分布はより広範囲で、アフリカ東岸からフランス領ポリネシアに至り、産卵場はフィリピン南部の深海と推測されている。中国には他に他種が複数棲息しているものと思われ、上記の漢籍の本草書に出るものをニホンウナギと同種とするのは問題がある。また近年、中国ではヨーロッパウナギ Anguilla anguilla が養殖でかなり分布していたが、稚魚の乱獲によって激減している(以上はウィキの「ウナギ科」を参考にした)。
「うなぎ」「むなぎ」ウィキの「ウナギ」によれば、日本では奈良時代の「万葉集」に『「武奈伎(むなぎ)」として見えるのが初出で、これがウナギの古称である。京都大学がデジタル公開している万葉集(尼崎本)では、万葉仮名の隣にかな書きがされており、「武奈伎」の箇所に「むなぎ」のかな書きが充てられている』。『院政期頃になって「ウナギ」という語形が登場し、その後定着した。そもそものムナギの語源に』ついては、『家屋の「棟木(むなぎ)」のように丸くて細長いから』、『胸が黄色い「胸黄(むなぎ)」から』、『料理の際に胸を開く「むなびらき」から』などがあり、『この他に、「ナギ」の部分に着目して』、『「ナギ」は「ナガ(長)」に通じ』、『「ム(身)ナギ(長)」の意である』という説がある。『「ナギ」は蛇類の総称であり、蛇・虹の意の沖縄方言ナギ・ノーガと同源の語で』はあり、「なぐ」『は「水中の細長い生き物(長魚』(ながうお)『」を意味する』という説も有力である。実際、『近畿地方の方言では「まむし」と呼ぶ』。この「なぐ」「なご」等『の語根はアナゴやイカナゴ(水中で巨大な(往々にして細長い)魚群を作る)にも含まれている』『などとする説もある』。『「薬缶」と題する江戸小咄では、「鵜が飲み込むのに難儀したから鵜難儀、うなんぎ、うなぎ」といった地口が語られている。また落語のマクラには、ウナギを食べる習慣がなかった頃、小料理屋のおかみがウナギ料理を出したところ』、『案外』、『美味だったので「お内儀もうひとつくれ、おないぎ、おなぎ、うなぎ」というものがある』が、後附けである。
「純にして、〔よく〕補す」陽気の魚であって、よく補益する、の謂いであろう。
「脾胃虛」「脾胃」は漢方では広く胃腸・消化器系を指す語であるから、その機能不全全般を言っていよう。
「こがれ」「焦がれ」であろう。
「食滯を生ず」食欲不振を起こすの意でとっておく。
「入門」不詳。引用からみて、和書かと思い調べたところ、益軒と同時代人の医師岡本一抱(いっぽう 承応三(一六五四)年~享保元(一七一六)年)に「医学入門諺解」があったが、これは宝永六(一七〇九)年の刊行で、本「大和本草」(宝永七(一七〇九)年)の翌年であるから、ただ、この内の漢文部分「補労殺虫治肛門腫痛痔久」「不愈」は、後の清代の費伯雄(一八〇〇年~一八七九年)が著した「食物本草」(後で益軒が挙げている書である)の中の、まさに「鰻魚羹」にある文字列であるから、どうも中国の明代以前の本草書であるように思われる(但し、次注も参照のこと)。
「空心に食ふ〔てよし〕」「てよし」は私が勝手に補ったもの。特に何かの療治を目的とせずに食ってもよい、の意で添えたのだが、一つ、非常に怪しいことに、前注で示した費伯雄の「食物本草」の「鰻魚羹」の次の項の、「健蓮肉」(スイレン科のハスの果実かと思われる)の解説に、『入豬気肚縛定煮熟。空心食。最補虛』とあるのを見つけてしまった。意地悪く推理すると、益軒は「食物本草」の「鰻魚羹」の部分を読み、半可通に「健蓮肉」の解説部を「鰻魚羹」の続きとして誤読したものではなかろうかと思ったりした。但し、益軒は「入門」と「食物本草」を完全に別な書物として挙げている。
「小兒の疳疾」小児が神経過敏によって痙攣などを起こす疾患。所謂、「癇の虫」である。
「雀目(とりめ)」夜盲症。小児のそれは遺伝性である可能性が高いが、後天的なそれはビタミンA欠乏によって惹起される。所謂、「鰻の肝」(ウナギの身も含めて)には、目や皮膚の粘膜を健康に保ったり、抵抗力を強める働きを持つビタミンAが豊富に含まれているので、この処方は現代医学にも適ったものであると言える。
「注夏病」漢方医学で現在の「夏バテ」の諸症状を指す語。
「萬葉集」「第十六巻、大伴の家持〔の〕歌」「石麻呂にわれ物申す夏やせによしと云ふ物ゾむなきとりめせ」確かに、同巻の「大伴宿禰家持(ほおとものすくねやかもち)の、吉田連(むらじ)石麿(いはまろ)の瘦せたるを嗤咲(わら)へる歌二首」(以上は目録の記載。三八五四及び三八五四番歌)に、
瘦せたる人を嗤咲へる歌二首
石麻呂(いしまろ)にわれ物申す夏瘦せに良しといふ物そ鰻(むなぎ)取り食(め)せ
瘦(や)す瘦すも生けらばあらむを將(はた)やはた鰻を漁(と)ると河に流るな
右は、吉田連老(よしだのむらじのおゆ)
といふ人あり。字(あざな)をば石麿と
曰ふ。所謂、仁敎(にんきやう)の子(し)
なり。その老、人と爲(な)り、身體(み)
甚(いた)く瘦せたり。多く喫飮すれど
も、形、飢饉に似たり。此れに因りて、
大伴宿禰家持、聊かこの歌を作りて、
戲(たはぶ)れ咲(わら)ふことを爲せ
り。
である。
「癆〔を〕療〔し〕」「傳尸病」「療」がなければ、「癆・傳尸病」で孰れも肺結核の古称となるのであるが、仕方がないので各分離した。「癆」には「労咳」(肺結核)と別に、もともとは「(病的に)痩せ衰えること」或いは「薬物に中毒すること・薬物にかぶれること」の意があるのでそれでとって分離したのであるが、思うに「療」は「病」の誤記か、或いは単なる衍字ではないかと疑っている。
「稽神錄」五代十国から北宋代の政治家で学者の徐鉉(じょげん 九一六年~九九一年)の伝奇小説集。
「指物竿」鎧の背に差したり、又は従者に持たせて、戦場での目印にした小旗や飾り物を「指物」と呼んだが、それを支える竿のこと。
「白魚(しみ)」昆虫綱シミ目 Thysanura のシミ類。私の「和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 衣魚(シミ)」を参照されたい。
「すつ」「捨つ」。
「やき」「燒き」。
「菜子〔(なたね)など〕」アブラナの種ととった。
「物だね」諸栽培植物の種子。
「無鱗魚」時珍も益軒も誤りである。ウナギは非常に細かな鱗を持った有鱗魚である。ユダヤ教徒は可食食物の制限が厳しいことで知られ、「鱗のない魚」は食べてはいけない。私の昔の知人でイスラエル人の友人に顕微鏡写真を見せて、「ウナギには鱗があるから食べていいいんだ」と説得したが、遂に彼は鰻を食べることはなかった。
「四、五斤」明代の一斤は五百九十六・八二グラムであるから、二・三八七から三キログラム弱となる。ニホンウナギは成魚で全長一メートル、最大でも一・三メートルであるが(巨大個体も稀れにいる)、オオウナギならば、最大で全長二メートル、体重は実に二キログラム以上に達する。]
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