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2019/08/20

諸国因果物語 巻之五 男の一念鬼の面に移る事

 

     男の一念鬼の面に移る事

Oninokubi



 京都冷泉(れいぜい)通油小路(あぶらのこうぢ)に小間物屋庄左衞門といふものあり。

[やぶちゃん注:旧交差位置から推すと、京都府京都市中京区大文字町(北)と橋本町(南)の孰れかが相当する(グーグル・マップ・データ)。]

 此女房、十二、三より、去方(さるかた)につとめ、髮かたちも人に勝れ、琴・しやみんの態(わざ)も大かたに間(ま)のわたる程也しかば、ゆくゆく一國の御臺(みだい)樣などゝもいはるべかりける身の、心ざま、みだりがはしく、色ふかき人なりければ、十八、九のころより、親もとへ歸り居たりしが、不圖(ふと)したる緣にて、此庄左衞門につれそひ、はや、六、七年にもなりければ、六つになりける子と、四つになると、二人の子もちになりぬ。

[やぶちゃん注:伏せてあるが、彼女が奉公先から戻っらざるを得なくなったのも、その主人との色事やそれに関わる色事、或いは家人とのそれと匂わせている。]

 庄左衞門は、こまものを賣(うり)につきても、歷々の家に出入(いでいり)ごとには、女中まじはりの多きにつきて、芝居ばなし・物まねなど、そこそこに覚え、又は、はやり歌のはしばしをも、すこしは諷(うたひ)などする事、今時の小間物やは、大かた、これを屑(とりゑ)[やぶちゃん注:以前にも出た。これを見るにやはり誤字ではなく、得意なものの意である。]にしてあきなひもする事なれば、御日待ぞ、庚申ぞ、といふ内證(ないせう[やぶちゃん注:ママ。])のあそびには、出入の小座頭(こざとう)・魚屋の男など、御こゝろやすう、めしよせらるゝ中間ともなるためとて、其比、宇治外記(げき)とかやいひし淨瑠理の太夫に通ひて、託宣(たくせん)の道ゆき、「あふひのうへ」・「賴政」など、けいこ隙なく、折ふし、手まへにも、月待などゝかこつけて、彼(かの)外記を呼て、ふるまひなどする事、たびたびなりけるに、いつとなく心やすくなりて、時ならず、庄左衞門方へも行かよひしかば、後々は庄左衞門が留主をもいはず、晝も尋ねゆきつゝ、起(おき)ふしして淨瑠理[やぶちゃん注:ママ。]を口すさび、芝居ばなしなどしてあそぶ事、たびたびに及び、あまつさへ、庄左衞門が妻に、心をうつして、人しれず、何かといひ、渡りけるに、女房も心おほき生れつきといひ、殊に音曲などにおもひ、つらい[やぶちゃん注:ママ。]女こゞろの習ひなれば、何の事もなく、うちとけたり。

[やぶちゃん注:「日待」既出既注

「庚申」「庚申待(まち)」。私の「北越奇談 巻之三 玉石 其七(光る石)」の私の「庚申塚」の注を参照されたい。

「内證のあそび」内輪だけの私的な遊宴の集まり。「日待」や「庚申待(まち)」は、とっくに名目ばかりで中身は単なる夜明かし遊びと化していた。

「託宣」ここは他者の指導する義太夫節を冗談めかして言ったものであろう。

「あふひのうへ」「源氏物語」の葵上が六条御息所の生霊に苦しめられるそれを謡曲化した「葵上」。世阿弥以前に作られて改作された能。詳細は「銕仙会~能と狂言~」のこちらを参照されたい。

「賴政」源三位頼政の霊を扱った複式夢幻能のそれ。世阿弥作。詳細は同じく「銕仙会~能と狂言~」のこちらを見られたい。

「中間ともなるためとて」「中間」は「なかま」。構文が今一つ上手くない。庄左衛門は、家へ出入りする小座頭・魚屋(うおや)の男などをも、貴顕の家に心安く呼ばれる際の、芸の磨きを掛けるための「仲間」ともなろうからしてと考え、太夫の外記を呼んでは自分と一緒に習わせた、というのである。

「宇治外記」これを名乗った太夫は実在する。川端咲子氏の論文「宇治一派の末流達 宇治姓の人形遣いを中心に」(一九九九年発行『待兼山論叢 文学篇』三十三巻所収・PDF)京都には「土佐」という太夫の名代があったが、これは延宝期に「宇治加賀掾」と並び賞された京都の太夫「山本角太夫」の『受領号であった。しかし、角太夫没後』、『その名代は所持していた角太夫の息子源助を経て、正徳五年十二月』『に源助の従弟で』宇治一派の一人であった宇治外記『へと譲られた』とあるからである。]

 外記は、いよいよ是に心をとられ、戀に、知惠、くらみて、

『我、いまだ定(さだま)りたる妻とてもなし。あはれ、かゝる情(なさけ)ある人を引とり、一期(いちご)[やぶちゃん注:一生。]、我ものとしても見ばや。』

と、思ひつゝ、寢(ね)るにも起(おき)るにも、心にかゝりて、いやましの戀しさ、やるかたなければ、さまざまと術(てだて)をこしらへ、庄左衞門が女房と相圖して、來らん時節を待たりしに、ある時、庄左衞門、三十六、七におよびて、痘疹(はしか)といふものを煩ひ、よほど、大事なりしが、さまざまの療治、手をつくしける功見へて、やうやう、本復(ほぷく)したりけるに、兄むすこの庄太郞、六つになりけるもの、食傷(しよくせう)をしそめてより、疳氣(かんけ)になり、是も、いくばくの世話となりて、

「少、此ほどは、心地よろしきかたになりしよ。」

と、見る内、また、女房、何となくふらふらと病出(やみいだ)して、物なども、しかじかと食(くは)ず。

「定て[やぶちゃん注:「さだめて」。]此ほどの、病人うちつゞきたるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]は、情(せい)[やぶちゃん注:ママ。「精」の誤記か。]のつかれなるべし。」

などいひて、藥などのませけれども、しかじかと、そのしるしもなくて、同じ調子になやみ渡りける。

 庄左衞門も、病後いまだちからづくまでしなきに、惣領の子は、いまだ煩ひの心もとなくて、せがみ泣(なく)も悲しき中に、妻は、ふらふらと病ながらも、己(おのれ)の子をすかし、とりまはして、世話にするなど、是は何さまにも只事にあらずと、心もとなさも、一かたならねば、いつも德意(とくい)のやうにして[やぶちゃん注:神仏ずくで報酬を求める風もないようにして。]、此二、三年が間、一日・廿八日には、かならず見舞るゝ常德院とかやいふ山ぶしの來られしをたのみて、当卦(とうけ[やぶちゃん注:ママ。])を見てもらひけるに、

「今年は、夫婦ともに『禍害(くはがい)』といふ卦にあたれり。『禍』は『わざはひ』の文字、『害』は『殺害(せつがい)』とて『人を殺す』の卦なり。そのうへ、本番[やぶちゃん注:意味不祥。当該の卦の別な本来の属性を見ると、の意か。]は『離(り)』の卦也。『離』は『はなるゝ』の理ありて、たがひに、夫にわかれ、妻に別れ、子を失ふの年なりたれば、是を祈禱するには、七日が間、夫婦に別火(べつくわ)させ、所をかへて夜も寢て、たがひに目も見あはせず、物をもいふ事をいむ也。その心は、假(かり)に七日の内は離別する心まで居たまふを、某(それがし)、そのあひだに、祈り、加持して、夫婦の緣をむすび直して參らすべし。」

など、口に任せていひけるを、外記も、此ほどの不仕合(しあはせ)にたんじて[やぶちゃん注:「嘆じて」か。]、さらば、兎も角も、然るべきやうに祈禱を賴たてまつるよし、ひたすらにいひける。其しさ[やぶちゃん注:「示唆」か。「由真に書房」版は『ましさ』であるが、それでは意味がとれない。]もあらば、

「先、我らが、いふやうに仕たまへ。」

とて、家内にしめを張(はり)、ことごとく敷壇(しきだん)をかまへ、此壇の右左(みぎひだり)を仕切て、夫婦を置、たがひに別火をたて、俄(にはか)に、

「物もいはず、目も見あはせぬやうに。」

と、堅くいましめられ、亭主は、夜のねざめ淋しく、

『かやうの事にては、中々、七日もすぐしがたく、物うけれど、身のため、人のためなれば。』

と、心をとりなをし[やぶちゃん注:ママ。]、氣を持かためて待ぬるに、明日(あす)は七日の滿參(まんさん)といふ夜、常德院、きたりていふ樣、

「此ほど、つゝがなくつとめて、早(はや)、あすは、願(ぐはん)成就の日なり。假(かり)に、こよひ、夫の方より、暇(いとま)の状を書て渡し給へ。こよひ緣切(ゑんきり)のおこないをつとめ、明日は生をかへて、めでたく、緣をむすばせ申べし。」

と、すゝめけるまゝ、心には染ぬ[やぶちゃん注:「そまぬ」。]ながら、庄左衞門は、硯、ひきよせ、三行半(みくだりはん)に、妻を去よしの手形を渡しけるに、女房も、淚こぼして請取、そのまゝ、かけ硯の中へなげいれけるとぞ見えし。

[やぶちゃん注:「かけ硯」「掛け硯」で「掛硯箱(かけすずりばこ)」の略。掛子(かけご:箱の縁にかけて、中に嵌まるように作った箱のこと。蓋附きの箱)のある硯箱。外箱の縁に内箱が掛かって重なるようにしてあり、そこに硯や墨や水入れを入れ、別に小物を入れる引出(ひきだし)などを作り、また、蓋をした状態で提げることができるようになっているものを言う。]

 かくて、夜明けるまゝに、常德院がさし圖にて、女房を、先(まづ)、祇園の厄神(やくしん)へ參らせ、

「此人御かへりあらば、又、庄左衞門も參り給へ。晚ほど、來りて、祝言(しうげん)めでたくとりむすび申べし。」

などいひて、歸りぬ。

 庄左衞門、まづ、今は所願もかなひぬる心地して、女房の歸るを、今や今やと、待ゐけるに、日、くるれども、歸らざりしかば、心もとなく、悲しくなりて、さまざまと穿鑿しけるに、常德院と外記と、心をあわせた[やぶちゃん注:ママ。]ばかりて、女房を離別させ、今ほどは、大津百石町邊にふかく忍びて住(すむ)よしの沙汰を聞出(きゝいだ)し、腹立(はらたつ)るは山々なれども、一たび、僞(いつわり[やぶちゃん注:ママ。])にもせよ、いとまとらせし女なれば、すべき方なくて、是を氣にしけるより、亂心になりて、井戶へ身を投(なげ)て、死けり。

[やぶちゃん注:「大津百石町」現在の滋賀県大津市中央のこの附近かと思われる。]

 かくともしらず、外記が家には、おもふまゝに仕おほせ、月日を送りけるほどに、明(あけ)の年の三月には、

「久しく都の花をも見ず。なつかしければ。」

と、女房をともなひ、京都に上り、東山のさくら、見めぐり、歸りには壬生(みぶ)の大念仏(だいねんぶつ)などおがみて歸りけるついで、

「近所の子どもへの土產にもせばや。」

と、鬼の面、一つ、買(かい[やぶちゃん注:ママ。])もとめ、道すがら、手にさげて大つなる宿へもどりぬ。

[やぶちゃん注:「壬生の大念仏」壬生狂言。京都市中京区壬生にある律宗の別格本山である壬生寺(宝幢三昧(ほうどうさんまい)院或いは地蔵院とも号して通称は壬生地蔵)で現行では四月二十一日から二十九日の「大念仏会」の間に行われる民俗芸能。「壬生大念仏」とも呼ぶ。鎌倉末期の正安二(一三〇〇)年,壬生寺中興の円覚が、大衆を導くために始めたもので、鰐口(わにぐち)・太鼓・笛の囃子に合わせて舞い踊る無言劇。約二十曲が残っている(以上は平凡社「百科事典マイペディア」に拠る)。ウィキの「壬生狂言」によれば、『仮面をつけた演者が、鉦や太鼓、笛の囃子に合わせ、無言で演じる』。『演目には、勧善懲悪などの教訓を伝える話や、『平家物語』のほか御伽草子などに取材した話がある。煎餅を観客席に投げる「愛宕詣り」、紙でできた糸を観客席に投げる「土蜘蛛」、綱渡りをする「鵺」「蟹殿」、素焼きの皿(焙烙)を割る「炮烙割り」といった派手な見せ場を持つ演目もある。炮烙割で約』三『メートル下に投げ落とされる皿は』、『およそ一千枚にも及び、厄除けや開運のため』、『参拝客があらかじめ奉納する』。『鉦と太鼓の音から「壬生寺のカンデンデン」の愛称で親しまれている』とある。私は未見なので注した。]

 其夜は、くたびれて、宵より、夫婦ともに寢たる夢心に、彼(かの)面(めん)、おそろしき眼(まなこ)を見いだし、聲をいからかして、頻(しきり)に呼(よぶ)とおもへば、夢、さめぬ。

 女房、あまり、心うく、おそろしくて、かたはらなる外記を引おこしけれども、日ごろに違(ちが)ひて、殊さらに寢いりて、目をさまさず。

 後(うしろ)より、つかみ立るやうにおぼへて、あまり、こはくおぼへ[やぶちゃん注:ママ。]しかば、油火(あぶらび)をかき立、うしろを見歸りしに、昼、買て來りし鬼の面、大きなる口をあき、眼(まなこ)をいからして、飛かゝりけるを、

「あつ。」

と、いひて、外記にしがみつきける所を、すかさず、くらひつきて、左のかたさきを、

「ほう。」

と、喰(くひ)ちぎりける。

 此ひゞきに、外記も目をさまし、此すがたを見るに、氣を取うしなひ、夜明がたまで、絕入(ぜつじゆ)したりしかども、誰(たれ)ありて、かいはうする人もなければ、昼の比になりて、やうやう、正氣になりしほどに、跡の事ども、とかくして取つくろひ、

「しばし、此事、おんみつに。」

と、ふかく忍びて、寺へもをくり[やぶちゃん注:ママ。]けれども、猶、かくれなければ、恥かしくて、引こもりありし内、又、外記も傷寒(しやうかん)といふ物をやみて、死けるとぞ。

[やぶちゃん注:鬼の面を巨大に描いた絵師に快哉。

「寺へもをくり」は、肩先を食い破られて絶命した妻(庄左衛門から奪った女房)の葬儀を内密に仕まわしたことを指す。

「傷寒」昔の高熱を伴う疾患。熱病。現在のチフスの類。]

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