諸国因果物語 巻之一 妻死して賴を返しける事 / 巻之一~了
妻死して賴(たのみ)を返しける事
長崎浦(ながさきうら)五嶋町(たうまち)といふ所に玄璞(げんはく)といふ外科あり。生國は江州大津の人なり。
[やぶちゃん注:本話は、底本としている「東京大学附属図書館霞亭文庫」の当該板行原本画像の「巻之一」の最終丁(本来なら「20頁」目にあるはず)が欠損しているらしく、結末が現認出来ない。そこでそこからは「ゆまに書房」版を底本とし、恣意的に漢字を正字化して示した。
「賴(たのみ)」結納のこと。
「長崎浦(ながさきうら)五嶋町(たうまち)」現在の長崎県長崎市五島町(ごとうまち)(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。出島(でじま)の北直近。
「玄璞(げんはく)」ネットで調べると、個人の古書の紹介記事で、寛永一二(一六三五)年跋の回生庵玄璞なる人物の漢方医学書(但し、添えられた本文画像を見るともろに易学)「運気論口義」(全五冊)を見出せるが、結末から見て、偶然の一致か。にしても易学書っぽいというのは皮肉で気にはなった。]
幼少の時分に貨物仲間(くわもつなかま)へ奉公に出けるが、中々、生れつき、發明なりけるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、主人小西何がし、手まはりを離さず、長崎まで召連(めしつれ)下りしに、此もの、生特(しやうとく)、讀書(よみかき)を好(すく)のみにあらず、小療治をも心うけける程に、
「ゆくゆく、物にもなるべき者なり。」
とて出嶋(でじま)の出入(いでいり)を御願ひ申て、通事(つうじ)を賴み、紅毛一流の外科を學ばせけるに、中々、是を好(すき)て取まはし、利口に機轉ある者也しかば、阿蘭陀(おらんだ)の祕方を、ことごとく學びつたへけるにつきて、暫(しばらく)、此路(みち)修行のため、とて小西より仕付(しつけ)られ、長崎に住居(ぢうきよ[やぶちゃん注:ママ。])し、緣をもつて、方(ほう)々と療治しそめしが、見たてといひ、才覺といひ、古勞の歷々にも恥(はぢ)ぬほどの名譽を得たりしかば、およそ長崎は八拾町の内には玄璞といふ名、しらぬものなく、茂木(もてぎ)・時津(とぎつ)の邊(へん)までも、大子(たいし)の病証には、かならず迎(むかへ)て見する程の事也。
[やぶちゃん注:「貨物仲間」運送業者。
「茂木(もてぎ)」恐らくは長崎県長崎市茂木町(もぎまち)。
「時津(とぎつ)」恐らくは長崎市時津町(とぎつちょう)。「ゆまに書房」版は『時由』とするが、明らかに判読の誤りである。
「大子(たいし)」ここは藩主の嫡男の謂いであろう。]
かゝるは、まれによりて、手まへも冨貴(ふつき)しけるに付て、
『然るべき妻を持ばや。』
とおもふ心も出來、又、この家をのぞみて、「我も我も」と緣を組(くま)ん事をのぞみ、さまざまと肝煎(きもいり)ける中に、諏訪大明神の神官――名は何とかや聞しかど、忘れたり――此妹(いもと)を肝(きも)いるものあり、玄璞も常に心やすく往來する家にて、心やすく内證(ないしやう)までたち入るほどの中也ければ、此妹の器量もよく知り、殊には彼女の利發をも窺(うかゞ)ひぬきたり。冨貴といひ、彼是(かれこれ)に心かたぶきて、賴など遣し、既に其年の冬、呼(よび)むかへんとやくそくせしに、此舅(すいと)、殊外なる物忌(いみ)しにてありけるゆへ、同じくは、
「我心にいりたる月日を吟味して。」
と、くりかへしくりかへし見極(みきはめ)て、いついつと堅く約束せし内、一門に愁ひの事ありて思はず、日限(にちげん)違(ちが)ひけるより、段々と、さしあひつゞき、婚禮の沙汰も、ひたと延引し、邂逅(たまさか)、何にも指合(さしあは)すとおもふ日は、大さつしよ曆(こよみ)を操(に)て、心かゞりを見出し、玄璞へ斷(ことはり)をたてしかば、心ならず、年も暮(くれ)、明(あく)れば、元祿五年の春もたちぬ。
[やぶちゃん注:話者登場で特異的にダッシュを用いた。
「諏訪大明神」長崎県長崎市上西山町にある例祭「長崎くんち」(十月七日~九日)で知られる鎮西大社諏訪神社であろう。
「内證」内輪の暮らし向き。特に家計を指す。
「物忌(いみ)しにてありけるゆへ」易学・占いに凝りまくって病的なまでに日取りの吉凶に拘る人物であったために。
「大さつしよ曆(こよみ)を操(に)て」意味不明。個人的には「大册・諸曆」で易学書や種々の占いを附帯した暦と採る。「操(に)て」は「ゆまに書房」版ではそう判読しており、私も他の可能性として「も」等を考えた(「操」には「取る・持つ」の意がある)たが、崩し字としてはやはり「に」としか見えない。或いは筆者は「操(にきつ)て」或いは本文を「操つて」とするつもりだったのかも知れない。「操」には「持つ」と並置して「握(にぎ)る」の意があるからである。孰れにせよ、そうした膨大な占い関連書を繰(く)って方角・日付の凶事であることを調べ上げて玄璞にその日ではだめだと知らせてくるのである。ここまでくると、神官だからという好意的見方は出来ず、「禁断の惑星」(Forbidden Planet:フレッド・マクラウド・ウィルコックス(Fred McLeod Wilcox)監督の一九五六年公開のアメリカ映画。ロボットの「ロビー」(Robby the Robot)でとみに知られる)の「イドの怪物」みたような、おぞましい父親のように見えてくるね(「イド」は「id」(ラテン語)で、リビドー(libido:性欲動)と攻撃性の原核部分。具体的には自身の娘アルティラ(Altaira)へ持つ父モービアス(Morbius)博士の近親相姦的潜在意識の増幅実体化したモンスター)。
「元祿五年」一六九二年。]
「わつさりと、珍しきあら玉の祝(いはゐ[やぶちゃん注:ママ。])とゝもに、祝言も取いそぎて、身のかたつきをもせばや。」
と、玄璞方にも取しきりて、此春は、人を遣し、自身も行(ゆき)て望みけるに、舅(しうと)、すこしも動ぜず、
「夫婦(ふうふ)のかたらひは、誠に一生の大事。かろがろ敷(しく)急ぎて、後に二度(たび)あらたむる事、あたはず。念を入たるこそ、よけれ。」
と、猶、引(ひき)しろひて、はたさず。
[やぶちゃん注:「わつさりと」副詞。原義は「拘りや思惑などを含んだところや飾ったところがなく気軽に物事を成すさま・あっさり・さっぱり」で、後、「明るく陽気なさま、にぎやかで威勢のよいさま」などを表わす語となった。ここはハイブリッドでよい。
「身のかたつき」妻を娶って家庭を作って身を固めること。
「引(ひき)しろひて」引き延ばして。
以下、「一刀(かたな)に」までが、「霞亭文庫」画像に拠るもので、そこからあとは(「霞亭文庫」には以下の画像がなく、落丁している。後述)、冒頭注で述べた通り、昭和六〇(一九八五)年ゆまに書房刊・小川武彦編「国文学資料文庫三十四 青木鷺水集 第四巻」を用いて、漢字を恣意的に正字化し、今まで通りの仕儀で自由に加工してある。なお、同書の原本は編者である小川武彦氏架蔵本である。『□□』はママ。判読不能か、虫食いかは判らぬ。特異的に六点リーダを用いた。実際、ここで改丁されていることが「ゆまに書房」版の翻刻指示(『一刀に(廿一オ)』と『諸國因果物語卷之一終(廿一ウ』。「オ」は表、「ウ」は裏。されば、「霞亭文庫」の落丁は一丁落ちではなく、二十一折りの裏面が破れて落ちていることになる)によって明らかである。]
玄璞、
『はじめの程こそ此詞を用ひつれ、餘り延引して來年にあまれと、猶、はたさぬは、吉凶に事よせて、我を欺(あざむく)にこそ。』
と思ひしかば、有夜(あるよ)、ひそかに忍び込(こみ)、いひ名付(なづけ)せし娘をとらへて、一刀(かたな)にさし殺し、首を引提(ひつさげ)て、我家に歸り、
「あら、心よや。惜(おし)みてくれ□□心の憎さ、今は晴(はれ)たり。」
と、つぶやきける時、此首。
「うこうこ。」
と、はたらきて、いふやう、
「……誠(まこと)に……一たび……いひ名付有(あり)し身なれば……我(われ)とても……爰に來るを嫌ふにはあらねど……さすが……人目もあるに……首ばかり來ては……何の面目かあるべき……所詮……これ迄の緣なるべし……いつぞや……送られつる……賴(たのみ)を……かへすぞ……請取(うけとり)給へ……」
と、いひて、
「さめざめ。」
と泣(なく)に、身の毛たちて、恐(おそろ)しければ、首を庭へ投(なげ)すて、おくへ逃(にげ)て、入らんとする足もとに、我方(わがかた)より遣(つかは)したる賴(たのみ)の絹・樽・肴(さかな)、ありしまゝにて並べ立(たて)たるに、玄璞も、氣をとりうしなひ、しばらく絕入(ぜつじゆ)せしが、それより、うかうかと病(やみ)つきて、終に、廿日ばかり過(すぎ)て、むなしくなりしとぞ。
諸國因果物語卷之一終
[やぶちゃん注:「來年にあまれ」来年に残せ。来年へ回せ。
「惜(おし)みてくれ□□心の憎さ」「おしみて」はママ(歴史的仮名遣は「をしみて」が正しい)。一つ、欠損部は「惜しみてくれざる心の憎さ」が考え得る。
いやいや! しかし! 最後の最後に、とびっきりの怪奇がセットされている! しかも、ここでさて、一巻全体を見渡すに、五話総てが実は「首」と「眼」という恐怖のアイテムによる、効果的なシークエンス対応で統一されていることに気がつく。鷺水! 恐るべし!]
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