明恵上人夢記 82
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一、同六七日の比、一向に三時坐禪す。持佛堂に於いて繩床に於いて好相なり、佛像に向ひ奉りて涕(なみだ)を流し、悲泣し、罪障を懺悔(さんけ)すと云々。
巳上、此(これ)は行法を修(しゆ)せざる事を危ふく思へる間(あひだ)也。
[やぶちゃん注:「80」・「81」に続いた順列で、「81」の「三四日」と同じく承久二年十二月六日か七日の孰れかの日で(同年旧暦十二月は既に六日でユリウス暦一二二一年一月一日、グレゴリオ暦換算で一月八日)、またしても「81」と同じく、その日に行った「坐禪」の最中に脳内に生じた夢様のもの――座禅中の脳の覚醒したレム睡眠的な夢で、またしても「81」同様、実際の現場と一致している状況でオーバー・ラップ映像を想起すべきものと私はとる。
「一向に」ただ只管(ひたすら)に。
「三時」六時〔六分した一昼夜〕を昼三時と夜三時に纏めたもの。晨朝(じんじよう)・日中・日没(にちもつ)を昼三時、初夜・中夜・後夜を夜三時という。即ち、一昼夜ぶっ続けで座禅をしたのである。
「繩床(じようしやう)に於いて好相(がうさう)なり」これは底本では「持佛堂に於いて」の右にポイント落ちで附されてある。「繩床」は「81」に既注。そこの「好相」(ごうそう)は「相好(さうがう(そうごう))」に同じい。仏の身体に備わっている三十二の相と八十種の特徴の総称である。実際の明恵の寺の持仏堂に敷かれた繩床(或いはやはりそこに、実際に事実、座禅していたものととってよい)で、そこに自身が居て、その自身の姿は既にして仏の「相好」に等しいものであったというのである。
「巳上」この「82」単独とも、性質上、特異点で、通底しそうな「81」と合わせて、の謂いととってもよい。後者の方を私は推す(但し、「危ふく思へる」という述懐に直に応ずるのは無論、この夢の「罪障を懺悔す」の部分ではある)。]
□やぶちゃん現代語訳
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承久二年十二月六日か七日の頃、ひたすら、昼夜ぶっ通しで座禅行を修している際、こんな夢のようなものを見た――
……私は持仏堂に於いて【実際の繩床と同じものがあってそこに座している私の姿は相好に見合ったものなのであった】、仏像に対面(たいめ)して涙を流して、悲泣し、己(おの)が罪障を懺悔(さんげ)している……。
以上の夢は、これ、自分がしっかりした
行法を修していないことを極めて危(あ
やう)いことだと思っていた頃の夢であ
る。