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2019/08/22

諸国因果物語 巻之六 夫に不孝なる妻盲目になる事

 

     夫に不孝なる妻盲目になる事

Akujyo



 河原町(かはらまち)蛸藥子上(たこやくしあが)る町(てう)に餠屋の三郞兵衞といふ者あり。

[やぶちゃん注:現在の京都府京都市中京区河原町通蛸薬師上る奈良屋町附近(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。]

 此父は六十ばかりにて、元來、若きより、駕籠まはしにて、鐘木町(しゆもくまち)・嶋原(しまばら)の小揚(こあげ)せしもの也。

[やぶちゃん注:「鐘木町」「鐘」はママ。京都府京都市伏見区撞木町(しゅもくちょう)。京で一番小さな花街として永く知られた。町名は道路の形がT字形で鉦叩きのそれに似ることに由来する。本作が時制として好んで設定する元禄時代には山科に隠居していた大石内蔵助が出入りしたことで知られ、そのため、第二次世界大戦後まで続いた。

「嶋原」京都府京都市下京区にあった花街。「島原」とも書く。正式名は「西新屋敷」と称し、六つの町(上之町・中之町・中堂寺町・太夫町・下之町・揚屋町)で構成されている。現在は輪違屋のみが正式なお茶屋の鑑札を有し、置屋兼お茶屋の営業を行っている。この中央附近。

「小揚」客を乗せて遊里へ往復した駕籠舁きを指す。]

 妻は三条の米澤(よねざは)屋に乳母(おち)をつとめたる者なりければ、宿はいりの時より、纔(わづか)の扶持を養ひ君(ぎみ)より、とらせられける程に、常々も、女ごゝろに高ぶり、鼻にかけて、つれあひの夫をあなどり、万(よろづ)に我まゝをぞいひける。殊に此乳(ち)ぬしなりしかば、一子三郞兵衞をも、米澤屋より何かと心をそへ給ひしに任(まか)せて、纔なる元手を打こみ、唐綿(たうわた)の商(あきなひ)をさせ、宿には餠をつきて賣(うる)などして渡世としけるにつきても、親七兵衞は、年たけ、よはひもかたぶきけるまゝに、思ふまゝのはたらきも得(え)[やぶちゃん注:漢字は当て字。呼応の副詞。]せず、よはりたるを、女房、はしたなくせめつかひ、昼はからうすを踏(ふま)せ、綿をうたせ、手すきあれば、木を割(わり)、水を汲(くま)せ、餠の手つだひとて、夜の内ゟ[やぶちゃん注:「より」。]、追(おひ)おこして、米をとがさせ、臼(うす)とりさせなど、片時も、下(した)におかず。

[やぶちゃん注:「三条」ここの東西。

「米澤屋」不詳であるが、以下の叙述から相当に裕福な格式の高い商家であったようだ。

「宿はいり」嫁入り。

「養ひ君」乳母として育てた米澤屋の御曹司、後の主人。

「唐綿」木綿(アオイ目アオイ科ワタ属アジアワタGossypium arboreum)のことであろう。本邦では戦国時代に普及した(それよりずっと以前の延暦一八(七九九)年にインドから種子がもたらされたが、栽培に結びつかなかったらしい)。]

 たまたま、彼岸十夜のころ、

「寺まいりせん。」

といへば、女房、大にしかり、恥しめ、

「わぬしは、常に何をまふけて、氣まゝに寺參りしたまふや。散錢(さんせん)一文も、むす子が物なり。あてがはぬ錢を盗(ぬすみ)て參りたる後生(ごしやう)は、罪にこそなれ。」

と、さんざんにしかりすくめ、食物(くひもの)なども、滿足にはくはせずして、十四、五年も過(すぐ)しけるに、いよいよ、年かたぶき、手あしよはくなりけるまゝに、木をわり、水くむ態(わざ)も成(なり)がたく見えしまゝに、

「さらば、草鞋(ぞうり[やぶちゃん注:ママ。])を造りて口を過(すぎ)給へ。人はたゞ居て口の過(すぐ)さるゝ物にもあらず。三郞兵衞が手ひとつをまもりて、三人は過(すぐ)されず。」

と、いひせたげて、夜は、八つ、七つ[やぶちゃん注:午前二時、午前四時。]までも、草履(ざうり)・草鞋(わらんじ[やぶちゃん注:ママ。])をつゞせけるに、それも、足の湯(ゆ)の下(した)を、燒茶(やきちや)を煮(にる)火(ひ)の影にて、つゞらせるのみか、冬の夜(よ)も、庭にむしろを敷(しき)、素布子(すのこ)ひとつにて置(おき)けるゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]、やゝもすれば疝氣(せんき)おこりて、二日、三日、打ふせども、藥などもくれず、

「死(しに)給へ、死給へ。」

と、せがみ、あげくに法体(ほつたい)させて、追(おひ)たて、

「毎日、『はちひらき』に出(いで)て、樂をしたまへ。」

と追やりしが、程なく、飢こゞゑて、七十五といふ冬、長兵衞は、死(しに)たり。

[やぶちゃん注:「彼岸十夜」限りなく、この三郎兵衛は今までの本書にしばしば見られた浄土宗の信徒であると思われる(私は作者青木鷺水も浄土宗と踏んでいる)。これは所謂、浄土宗で大切にする「御十夜(おじゅうや)法要」、正しくは「十夜念仏法要」を指すものと考えられるからである。浄土宗で旧暦十月六日から、十日十夜の間、念仏勤行を修する儀式のことで、後花園天皇の頃,後に室町幕府政所執事となった伊勢(平)貞国(応永五(一三九八)年~享徳三(一四五四)年)が京都の真如堂(天台宗)に参籠して三日三夜修して出家しようとしたところ、夢の告げで、「弥陀の誓願によって救われるから出家を思いとどまるように」と言われ、三日目に公命で家を相続することになったので、その後続けて七日七夜に亙って念仏勤行を修したという故事に由来するとされる。

「散錢」神供の一つで、本来は祓(はらい)や参拝の際に神前で米を散らす散米(さんまい・うちまき)が、近世に入って金銭に変わった。賽銭のこと。

「せたげて」「せたぐ」で「虐(せた)ぐ」(「しへたぐ」の音変化とする)。「攻めたてる」「きつく責める」の意。

「草履(ざうり)・草鞋(わらんじ)」草履は鼻緒があらかじめちゃんと作られてあり、そこに足の親指とひとさし指を挟んで履くもので、草鞋(歴史的仮名遣は「わらぢ」)は緒と呼ばれる紐があり、これを足首及び同前の指の間等に回して巻き絞って履くものを指す。後者と前者が大きく異なる点は、草鞋の方が遙かに足の裏に密着し滑りにくく歩き易い点で、昔は草鞋が長旅の必需品であったし、現在でも沢登りには草鞋が欠かせない。

「足の湯(ゆ)の下(した)を」意味不明。足を洗う洗い湯を置く土間のところで、の謂いか。

「疝氣」漢方で広く下腹部の痛みを総称する。胃炎・胆嚢炎・胆石・腸炎・腰痛・悪性腫瘍などを原因とするものが多い。

「はちひらき」僧が金品を乞い歩く托鉢(たくはつ)のこと。この人非人の女の救い難い酷さは、夫を出家させたのではなく、強いて「法体」(ほったい)を「させて」、「物乞いして来い!」と尻を叩いて出して、その施物をも奪い取ったに違いない点である。]

 人めを思ひてや、女房、いつにかはりて、淚をこぼし、旦那(だんな)[やぶちゃん注:旦那寺であろう。菩提寺。]の邊(へん)まで、いひありきて[やぶちゃん注:念仏を唱えるのを「いひ」(言ひ)と言っているか。]、葬礼、かたのごとく、とりおこなひける。

 三郞兵衞にも、ちかき比(ころ)、女房をよびて、内にありしが、

「產の氣(け)つきたり。」

とて、親もとより歸らず、後家と三郞兵衞と、忌中をつとめ、けふ、あすと、過しける内、はや、七日にあたるといふ、逮夜(たいや)[やぶちゃん注:初七日法要の前の晩の意。]の夜、とても、さのみ、とぶらひといふ心もちもせず、宵より、戸をしめて臥たりしに、人、みな、寢しづまりて、庭に、

「ひた。」

と、人の音して、いふやう、

「……扨も……日ごろのうらみを……何として……はらすべきぞ……先……あのかいなを……一本づゝ……もぎおとすべし……やゝもすれば……我にこぶしをあてし也……」

といふ聲、まさしく、夫の庄兵衞也。

 何とやらん、物すごくて、引かぶり臥(ふし)たりしに、間ぢかく、枕もとに、聲して、

「……おのれ……今……おもひしれ……片うでづゝ……もぎとり……眼(まなこ)をつぶし……咽(のど)をしめ……日かずを經て……我むねのはるゝまで……さいなむべし……我今のなりを……見よ……おのれゆへに……うかみもやらず……此すがたなり……」

と、たぶさを取て、引あふのけし時、たゞ一目見し、そのさま、すがたは、長兵衞が道心にて、かしらはすさまじき角(つの)はへ出、まなこは、日月とかゝやき、まことに、繪にかける、鬼、なり。

「あつ。」

と、おもひて、ふさぎたる眼、その夜より、うづき出、五、六日の間は、夜、ひるとなく、うめきけるが、終に、目は、二つながら、つぶれたり。

 扨、そのゝち、四、五日ありて左のかいな、しびれ出て、うづき、右にうつり、足にわたり、四十日ばかりありて、惣身(そうみ)なへけるうへに、膈(かく)をわづらひいだし、二年ほどありて、死(しに)たり。

 三郞兵衞も、それより、段々に、手まへあしく、ぼろぼろとなりゆきて、行かたを、しらず。

[やぶちゃん注:夫の亡霊の台詞に特異的にリーダを使用した。そうでもしないとこの悪女への恨みは伝わらないと思ったからである。この妻ほどひどい奴は、滅多にいない。今までの怪奇談の中でも頭抜けた超弩級の救い難い根っからの悪女である。一抹の憐憫さえ感じない。父を救う一言も浮かばなかった馬鹿息子も然りである。なお、挿絵師が角を描かなかったのは、私は、よかったと思う。

「膈」既出既注だが、再掲する。「膈噎(かくいつ)」。厳密には、「膈」は食物が胸の附近でつかえて吐く症状、「噎」は食物がすぐ喉の附近でつかえて吐く病態を指すが、現在では、これで現行の胃癌又は食道癌の類を指していたとされる。ここはまさに進行したそれによって、夫にろくに食事を与えなかった報いでものも食えず、激しい痛みの中で死んで行ったのである。]

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