明恵上人夢記 81
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一、同十二月三四日の比、坐禪之時、上師、外より來りて、繩床(じようしやう)の右の角(すみ)に坐し給ふ。之に謁するに、無禮之(の)思ひを作(な)す。然れども、所作(しよさ)之(の)時なれば、苦しみ有るべからずと思ひて、見參(げんざん)すと云々。
[やぶちゃん注:「同十二月」は「80」(承久二年十二月のある夜の夢)の順列と読めるので、承久二年十二月三日から四日にかけて、或いは、その孰れかの日に見た夢と採ってよかろう(同年旧暦十二月は既に六日でユリウス暦一二二一年一月一日、グレゴリオ暦換算で一月八日)。本「夢記」(断簡を切り貼りしたもの)は全体を見渡すと、毎日、日記のように記したものではない。恐らくは、記憶、或いは、下書きのようなものを以って、かなり纏まってから清書したものと推定出来るから、後者の三日か四日のどちらかという意味合いが強いのかも知れない。「さんしにち」で掛け算で十二日とする場合もあるが、実は続く「82」が「同六七日」とあるので、それは採らない。
「坐禪之時」これは書き方から見て、実際に座禅をしている最中に脳内に生じた夢様のものという設定と読む。今までも、睡眠中ではなく、修法中や昼夜を問わぬ観想中に見た夢が含まれてある。即ち、この夢様記述は特異的で、一種の、座禅中の脳の覚醒したレム睡眠(Rapid eye movement sleep:REM sleep)的な夢で、尚且つ、実際の現場と一致している状況でオーバー・ラップ映像を想起すべきものと私はとる。
「上師」今迄通り、母方の叔父で出家最初よりの師である上覚房行慈ととる。明恵はこの十二年前の建仁二(一二〇二)年に、この上覚から伝法灌頂を受けている。行慈は嘉禄二(一二二六)年の十月五日以前に八十歳で入寂しているので、この頃は存命である。
「繩床」は「じょうじょう」(現代仮名遣)と読んでもよい。ここでは、繩を巡らして作った円座風の敷物。
「無禮之(の)思ひ」師が明恵の寺を来訪されたが、堂内に置かれてある繩床の中央でなく、右縁の方に座をとっておられることを、本寺の主僧である明恵自身が師行慈に対して失礼なことと思ったことを指す。
「所作之時」ここは座禅中であることを指していよう。]
□やぶちゃん現代語訳
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承久二年十二月三日か四日の頃、座禅行を修している際、こんな夢のようなものを見た――
……上師が、外より来られて、繩床(じょうしょう)の、真ん中ではなく、そこを空けておかれて、遙か右の角(すみ)にお座りになられた。
私はこの師の御来訪に対してちゃんと礼式を成さねばならないのだが、そのように違例の場所に師を坐(ま)さしめ申し上げたままでそれをし申し上げることは甚だ無礼なことであるという思いが私に去来した。
しかしまた、
『――これは――座禅行の所作(しょさ)の時ことであるに依って――例外として――苦しゅうないものであると判断してよいのだ』
と思い、徐ろに、そのままで見參(げんざん)した……。

