諸国因果物語 巻之二 虵の子を殺して報をうけし事
虵(くちなは)の子を殺して報(むくい)をうけし事
京新町(しんまち)三条の邊に眞苧煮扱(まをにこき)など商ふ人あり。手まへも冨貴なる人にて、手代・小童(こわらう[やぶちゃん注:ママ。])などもつかふ家也。
[やぶちゃん注:「報(むくい)」ママ。但し、江戸期には既に口語的に「むくい」がかなり一般化していたので誤りとは言えない。
「新町(しんまち)三条」現在の京都府京都市中京区三条町附近(グーグル・マップ・データ)。
「眞苧煮扱(まをにこき)」剝いだ麻(アサ)を重曹水等で煮、それを流水に晒して余分な滓を扱(しご)き取って麻繊維とする業者と思われる。]
元祿十年[やぶちゃん注:一六九七年。]の夏の時分、江州高嶋より、朽木嶋賣(くつきじまうり)または蚊帳賣(かてううり)など、此家に登りつどひて、荷物なども夥しく積置たりける比(ころ)、何として出來(でき)たりけん、小虵(こへび)、あまた湧(わき)て彼(かの)荷物の下より、
「ひらひら。」
と、出けるを、手代・でつちなど、折ふし見付(つく)る度に、拾ひとり、打殺(うちころ)さんとせしを、此旦那は、近比、慈悲(じひ)なる人なりければ、見付次第に拾はせ、曲物(まげもの)に入て、蓋をしめ、偸(ひそか)に袖にいれて、寺まいりのついでに、黑谷・万無寺(まんむじ)などの山にて、彼(かの)まげ物の蓋を取て、草村へ放し、終に殺さする事を嫌ひけるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、大かたは手代どもゝ見のがしにして、追迯(おひにが)しなどして置(おく)事も多かりけり。
[やぶちゃん注:「江州高嶋」現在の滋賀県高島市(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。
「朽木嶋賣(くつきじまうり)」前にも出た高島市朽木(くつき)地区は、古くから麻の栽培と麻織物を生業(なりわい)としていた(「高島市」公式サイト内のこちらを見られたい)から、そこで織られた「嶋」は「縞」で、それの入った麻織物を「朽木縞」と呼んだのではないか?
「黑谷」京都市左京区黒谷町。
「万無寺」京都府京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町にある法然所縁の善気山法然院萬無教寺。法然院の通称で知られる。黒谷の東北。]
此おりふし、祇園會ちかくなるまゝに、宵より、道具など片づけ、序(ついで)ながら、
「嘉例なれば、煤(すゝ)をも掃(はく)べし。」
とて、夜の内より、出入のものなど、呼よせ、爰かしこ、洗はせ、埃(ごみ)など掃(はか)せけるに、此旦那の乳母(うば)あり、宿は上の橫町(よこまち)にて、木履(あしだ)やの妻なりしが、夫(おつと[やぶちゃん注:ママ。])は去(さる)かたに雇(やとは)れて、加州金澤へ行(ゆき)たり。妻は年久しき出入とて、宵より來り、諸事に心を付て、ともにはたらき、明しける。
[やぶちゃん注:京都府京都市上京区下横町か。
「木履(あしだ)や」足駄屋。下駄屋。]
彼(かの)荷物どもを積(つみ)たる所は、竃(へつい)と壁一重(ひとへ)へだてたる中の間の庭なりしかば、此荷物どもを取除(のけ)けるに、四寸ばかりなる小虵、いくらともなく此下に蟠(わだかま)りて、
「うやうや。」
として、あり。
男ども、肝をつぶし、恐れて寄(より)つかず、
「如何(いかん)せん。」
と、あきれて居たるに、此乳母は今年五十ばかりにて、後生(ごしやう)ごゝろもあるべき時分なるに、是を見て、
「皆の衆、それ程こはくて捨(すて)にくきか。いで、我のけて參らせん。」
と大釜に湧立(わきたて)たる熱湯(にえゆ)を大柄杓(おほびしやく)に汲(くみ)て小虵の上へ、
「さつ。」
と懸ければ、
「ひりひり。」
として蜿轉(のたり)けるが、悉く、よはりて、大かた、死(しぬ)るもの、多かりけり。
「今こそ捨たまへ。」
と搔(かき)よせて、捨させける。
其日も一日はたらき暮して、乳母は、
「宿の事、心もとなし。」
とて歸りぬ。
明る朝(あした)、はなを祭り、前の拵(こしらへ)とて、いつも、朝、とくより、乳母なども來(き)あつまりて、諸事の世話をやく事也。
しかるに、今日に限りて、四つ過(すぎ)迄も、乳母の來ぬは、不思議也。
[やぶちゃん注:「前の拵(こしらへ)」祇園祭(葵祭)の店の表の化粧飾り。
「四つ過(すぎ)」定時法なら、午前十時頃過ぎ、不定時法なら、九時半頃過ぎ。]
「もし、心にても惡敷(あしき)か。見て參れ。」
と内義より氣を付られ、下女、はしりて、橫町に行けるに、門の戶なども、夕部(ゆふべ)の儘にて、見せも卸(おろ)さず。
[やぶちゃん注:「見せも卸(おろ)さず」下駄屋の店の方も閉じたままで開けていない。]
「留主(るす)か。」
とおもへば、錠もおろさず、只、内よりしめたり。
敲(たゝけ)ども、呼(よべ)ども、音のせぬも、心もとなくて、走り歸り、男どもを遣(つかは)し、戶を打破りてはいりけるに、乳母は寢部(よんべ)のまゝにて、蚊帳の内に寢てゐたるを、引(ひき)うごかして見るに、首のまはりより、胸(むな)いた迄、大なる虵(くちなは)、いく重(え[やぶちゃん注:ママ。])ともなく、まとひつきて、鎌首をもつたて、乳母の咽吭(のどぶへ[やぶちゃん注:ママ。])にくい付て、虵(へび)も人も、共に死(しゝ)て居たり。
「子を殺されて、親虵(おやへび)の、かく恨みしも斷(ことはり[やぶちゃん注:ママ。])也。」
とぞ、みな人、かたりあへり。
むごき殺生は、すまじき事なり。
[やぶちゃん注:「夕部(ゆふべ)」「寢部(よんべ)」「昨夜(ゆふべ)」(元は「夕(ゆふ)方(へ)」の意で、上代は「ゆふへ」と清音であった)及び転じた「ゆんべ」→「よんべ」への当て字。]
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