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2019/08/08

諸国因果物語 巻之一 男の亡念下女の首をしめ殺せし事

   男の亡念(もうねん)下女の首をしめ殺せし事

Ekan

 西六條に惠海といふ僧あり。一向宗なりけれども、何と思はれしにや、始の程は定(さだま)る妻もなく、淸僧をつとめられしなり。其後(そのご)、住(ぢう)惠閑(ゑかん)の代になりて、下女を心に思ひける程に、折ふしのなぐさみとしけり。

[やぶちゃん注:標題の「亡念(もうねん)」はママ。歴史的仮名遣は「まうねん」が正しい。

「西六條」東西本願寺の北直近。

「惠海」「惠閑(ゑかん)」ママ。冒頭の一文を除いて、本文内は以下、「惠閑」で一致しているから、冒頭の「惠海」が誤りである。なお、真宗僧で恵閑を調べてみると、同名の実在僧はいる(広島県広島市安芸区中野東にある浄土真宗本願寺派高峯山隨泉寺の公式サイトの当寺の縁起の中に、慶長九(一六〇四)年に『僧恵閑(えかん)なる人により開基され』たとし、『恵閑師は、賀茂郡熊野跡村(現・広島市安芸区阿戸町)の薬師堂』から『隨泉寺の前身湯原山法専寺に入寺し』たとし、『湯原山法専寺は 真言宗の道場であ』ったが、『恵閑師が真言宗から浄土真宗に改宗』し『た事は確かで』あろうとある。しかし、この実在の僧をモデルとしているとすると、少なくとも本話は江戸開幕前後(慶長八年二月十二日に徳川家康は征夷大将軍に任ぜられて江戸幕府が開府されている)のえらく古い時代設定となってしまう)のだが、本話末尾に示されたクレジットから彼ではない。]

 下男(しもおとこ[やぶちゃん注:ママ。])五助といふもの、若氣の餘りに、是も、比しも女に心をかけ、さまざまといひ寄(より)けれども、旦那の情(なさけ)かけらるゝ事を鼻にあて、却(かへり)て五助をさんざんに輕(かろ)しめ、情なくいふのみならず、万の事につきて、『ものさはり、我こそ』といはぬばかりにさばきければ、中々に、五助も今は、興ざめて、諸事につきても、憎みわたりけるに、ある時、此女、裏の口に出て、脚布(きやふ)をあらひ居ける所へ、五助も用ありて來りしを見かけ、五助に、[やぶちゃん注:「脚布(きやふ)」女性の下着である腰巻。「ゆまに書房」版は「脇布」と判読しているが、それでは読みも意味も通らない。]

「水を汲(くみ)てくれよ。」

といひけるに、五助は、常々、此をんなと、心よからず物ごとに付て、すねあひしかば、

「和御料(わごれよ)が脚布あらふ水を汲(くみ)には來ぬ。そいらは自身(じゝん)汲(くん)でつかやれ。」

と答へしゆえ[やぶちゃん注:ママ。]、女も、少はらたつる氣色にて、彼脚布をあらひたる灰汁(あく)を手にて、しやくりかけける也。

 男、なかなか、腹にすえかね、

『憎い仕かた、かないで、眞二つにせん。』[やぶちゃん注:原本「かないて」。恐らくは「乱暴に引き倒す・引っ掻く」の意の「かなぐる」(ラ行四段活用)の転訛したものであろう。]

と思ひこみて、我部屋にはいりしが、又、おもひかへしけるは、

『彼(かれ)が腹に旦那の子を孕(はらみ)て、既に八月ばかりぞかし。女にこそ恨みあれ、此子に何の科(とが)もなし。よしよし、時分を待(まち)て、いかやうにもすべし。』

と、心ながら、我と心(むね)をこすりて、扣(ひか)へけれども、いかにしても、胸につかへて、いきどほりの念も止(やめ)がたく、後(つひ)にその明る日の朝、首を縊(くゝり)て死けり。

 書置もなく、何の覺ありて死たりとも知る人もなければ、表むきは亂氣のやうに聞えて事濟(すみ)ぬ。

 さて、彼女も、つゝがなくて、產(うみ)月にもなりぬとおもふ比、ある夜、惠閑と居ならびて、只二人、夜ふくる迄、心よく咄(はなし)など仕て居たりしが、寢所とりて、惠閑を寢させ、我も身繕(づくろ)ひして、小用に立けるが、緣の障子をあけて出ん、とせし時、

「なふ、かなしや、あれ、五助がこわい[やぶちゃん注:ママ。]かほして、參りました。」

と、逃てはいり、惠閑にいだき付けるを、惠閑、先[やぶちゃん注:「まづ」。]、女をだきすくめ、呼(よび)つけなどして、

「何を分もない事いふぞ、『こわい、こわい』とおもへば、さやうの事ある物なり。」

などゝ、なだめて、寢させけるが、程なく產の氣(け)づきて、二、三日、過(すぎ)けるほどに、產もやすく、何事もなく、女子を產(うみ)ぬ。

 一七夜[やぶちゃん注:「ひとななよ」と読んでおく。七日間。]も過ての夜(よ)より、

「なふ、おそろしや、五助が參りまして、私(わたくし)が首をしめまする。是、引はなして下され。」

と、泣(なき)わめく程に、始(はじめ)のほどは、『血の態ぞ』とおもひ、色々と氣をつけなどしけれど、後は昼もまぼろしにあらはれ、

「ひた。」

と、首をしめけるはどに、さまざまと吊(とふら)ひ祈禱すれども、のかず。

 終に二七夜(や)めに、血をはきて、死(しに)けりとぞ。

 たしかに元祿四年の事なりとかや。

[やぶちゃん注:「血の態」「ちのわざ」。所謂、「血の道」。女性が、思春期・生理時・産褥(さんじよく)時・更年期などに訴える、眩暈・のぼせ・発汗・肩凝り・頭痛・疲労感などの諸症状で、一種の自律神経失調症。

「氣をつけ」気つけ薬を飲ませたりしたのであろう。

「元祿四年」一六九一年。]

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